アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
客観的モノサシ…をどう定義するか、というのもさまざまな状況で変わるでしょう。
しかし、現代社会を眺めていて、客観的モノサシというのは、多数決モノサシになっている感じがしませんか?
増税もそうかも。。。。
■枕流漱石さん
>客観的モノサシというのは、多数決モノサシになっている
とは、具体的には、どういうことなのでしょうか??
●●という客観的モノサシ が ××という多数決モノサシになって、それで・・増税になるのですか???
「多数決」モノサシとは??なんでしょうか?どういうものなんでしょうか?
あまりイメージがうまくできません。
昨日一足早く選挙に行ってきました。
そこでNHKのアンケート調査というものを初めて体験しました。
別にどうこうは無いのですが、皆さんどう書いたのか少し興味
有ります。
さて、これからいよいよ中学受験の本番突入時期ですね、関西は
首都圏より期日が早いので、最後の追い込みを頑張っておられる
お子さんも多いでしょう。
出来ることなら体調万全で試験に臨んでください。
後1ヶ月、悔いが残ることのないようお祈りしています。
適性さま
言葉足らずですみません。上手く説明できるか分かりませんが。
まず、客観的モノサシは、厳然と存在するのか?と疑問に思います。
170センチの女子について、
私は、私と比べて、背が「高い」と判断します。
女子をランダムに選んだら、「高い」部類に属するでしょう。
しかし、女子バレー選手の中では「低い」部類かもしれません。
客観性・普遍性というのも、関係性、間柄によって変化するものでは?と思います。
その上、最近は、
「多くの人間が美味しいと評価した」から「美味しい」
「権威者が必要と判断した」から「必要」
と、多数決・権威主義的なものを、客観的モノサシと勘違いする節があるのではと危惧しています。それが、社会であり、ブームであると。
そこに在る、何を選ぶかは個人の問題です。
客観的モノサシが実存するのか?という疑問を持ちながら、
教育について考えるときに、主観的モノサシで測るばかりではなく、
その本質、不易流行、の不易の部分をもっと見つめていかないと、
教育は衰退していくような気がします。
増税は、私の周りの皆が、財源がないから必要だ~という意見なので、
どうして~皆がそう言えばそうなっちゃうんだ~という気持ち・・・・
愚痴に近かったです・・・私自身は増税には反対ですから。
面白い話?(かどうかは分かりません)
私は、ある、スィーツの長年のフアンなのですが…
その歴史を先日知りました。
戦後、そのスィーツは、日本人には受け入れられず、
宣伝の為にご近所に配っても、家畜の餌になっていたとか。
しかし、ある博士が、「〇〇に非常に適していて優れた食べ物」とラジオだか何だかでコメントしたとたん、売上が伸び、現在に至る…というもの。
私は、そのスィーツを主観的に美味しいと心から思うので、何とも思いませんが、
人間なんてそんなものかな…という気持ちはあります。
「〇〇に非常に適していて優れた食べ物」という権威者の言葉が客観的モノサシの測定結果として多くの人に受け入れられるのでしょう。
相手のモノサシが、主観的であろうが、客観的であろうが、相手に内臓するモノサシについて言及すると、多くのものを否定することに繋がるとは思います。































