在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
無常感さん
私もエデュで知ったのですけど、
多いみたいですね。中学受験の時に小学校休むのって
最難関を狙うので短期間だったりするとかなり休むってこともあるそうですね。
これは、首都圏とか大阪とかそういった一部の地域だけなのかしら
それとも全国的になってきているのかなあ。
ところで、京都の神社って女寺ということでしょうか?
ちょっと書かれていましたよね。
私は、鎌倉だと東慶寺が好きなのです。
丁度梅の時期に行きまして梅の時期でそれは美しかったのですが、
なんだかなごむ包み込むような寺だなと思いしたら、
女性救済の寺だったのですね。寺ことの空気というのはすごくあります。
円覚寺は、男らしい凛としたところですし、
社会人になると、いろいろな仕事がありますが、①自分だけの仕事、②みんなでやる仕事、の二種類があって、出来る人の仕事はまず②を優先する・・それが終わってから、①を片づけるわけですね。
ところが、何を勘違いしているのか、①だけを手際よくやって、②を無視する・・自分は仕事が出来る、そういう困った人もいます。
小学校をサボられると、授業で他の子どもに迷惑をかけますよね。それでもいいから、自分(の子ども)の中学受験がうまくいけばいい・・それってある種のエゴイズムだと思うのですね。
上の社会人の例の、自分だけの仕事をやって、出来ていると勘違いしている困ったさん・・どこか通じるものを感じます。
さくらさん
京都の神社が女寺(?)ということはないです。
鎌倉が男性っぽい文化と言いたかったわけですね。
鎌倉文化は、武士、質実剛健、禅、リアリティー、そういったイメージですね。
京都のような雅、きらびやかさ、とは対極の文化かと。
一日経つといろいろ増えていますね。
(5)さま
そうですね。(4) と(5)は、近いものがあるかと思います。
老眼さま
いろいろとご意見伺っていると、感性が近い感じがしました。私と近いということは、褒め言葉ではないですが。今後ともよろしくお願いします。
通りすがり2さま
私は私学派ですが、今の塾のやり方がドーピングだと言われると一理あると感じております。フライングについては、誰でもそう簡単にできるものではなく、個々の素質を見ながら親が考えれば良いと思っております。うちは、上の子はフライングができましたが、下の子はどうやっても動きませんでした。
確認させて下さいさま
>そして、それを受け入れてみて、納得しました。 価値観なのだから、色々言われても否定することができないし、我々も否定してはいけない。
否定することも自由だと思います。ただ、人の心を強制的に変えることはできないし、自分の子供であってもしてはいけないと思います。
ふうさま
>うちの子のクラスでも、5年生くらいからちょくちょく小学校に来ない、宿題は親がやるか出さないという家庭が複数ありました。月、金を継続的に休まれると、学校行事の都合上困る事も多いんですよね。
これは、ちょっと嫌ですね。宿題を親がやるのは、サザエさんでもやられているので、私はOKかな。他人に迷惑をかけているのであれば、学校の方も対処できると思うのですが。
無常感さま
>上の社会人の例の、自分だけの仕事をやって、出来ていると勘違いしている困ったさん・・どこか通じるものを感じます。
でも、こういう人は、社会的評価がすこぶる悪いですから、自分が損してしまうわけです。
さくらさま
伊藤つかさは、ちょうど、自分の通学ルートの乗換駅の近くに住んでおりましたので、家を早くでて…(ストーカーですかね)。
否定することも自由だと思います。ただ、人の心を強制的に変えることはできないし、自分の子供であってもしてはいけないと思います。(面白い考え方ですね)
おっしゃるとおりですね。
否定すること自体は自由・・でも「内心の自由」を侵してはならない。
あらためて、通りすがり2さんのご質問なんですが・・
>質問:『「意図的」、つまり、「他人を不愉快にしてやろう」という「目的」をもって、「不愉快な意見」を言うのは、「OK」でしょうか?「NG」でしょうか?』 (通りすがり2さん)
「OK」と「NG」・・言葉として適当ではないです。
「OK]は「承認する」という意味の英語・・だから、他人を前提にしているわけですね。
他人がやることを承認出来るか?・・そういう意味になります。
でも、書いてのとおり、他人の内心なんて分かりようがない・・あくまでも自分の良心の問題だと思います。
「NG]は、No Good という和製英語なんですね・・「良くない」という意味らしい。
日本語だし、「OK]と対語になっていません。
このご質問を正しく整理すると・・
質問(修正):『「意図的」、つまり、「他人を不愉快にしてやろう」という「目的」をもって、「不愉快な意見」を言うことを、自分の行為でやることについて、「YES」としますか?「NO」としますか?』
・・こうすれば、意味が分かります。
これは、それぞれのみなさんの「自分の良心の問題」です・・他人がとやかく言う話ではない。
でも、通りすがり2さんのご質問の趣旨が、他人の行為を承認することだとしたら、
「内心の自由」を侵すことになりかねないですね。
「内心の自由」は決して侵してはならないわけです・・誰がどんなことを思おうが「自由」でなければならない。
どこで制約がかけられるかというと、「内心」に起因して出てきた外的行為・・その言動の内容によって
歯止めをかけるしかないわけです。
問題があるというのなら、そのコメントに関して具体的にどうなのか?・・を問うべきなんですね。
私が・・
>どんなコメントを、何を理由に不適切な表現と断定したのか・・その説明をなさった方がいいですよ。
・・と書いたのは、そういう理由です。
相手がどう思ったか・・なんかを問うたら、思想統制と同じ問題がおきかねないです。




































