アートの才能を伸ばす女子教育
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
桃季さん
おっしゃりたいことは、分かりますが、
データというのは、意味のあるデータを示したときに有効なのであって、「データを示したもの勝ち」みたいなデータの要求の仕方に
私は、イヤな顔をします。
医学部臨床論文さんの示したのは、単に、
大学病院別の臨床研究論文数のデータであって、これをもって中高一貫私学が優秀・・ともっていく論法は推察に過ぎないですよ。
そういう意味で、視点さんと同じく推察なんですが、データを示した分だけ、なんだか客観性があるかに装う、そういうのがイヤなんですね。
じゃあ、金沢大学病院 〉 東大病院
これはどう説明するのか・・北陸の高校の方が、灘、開成などより優秀と結論づけしてよろしいのでしょうか。
医学部臨床論文さんのご主張を裏づけるためには、私が思うに、
・書いた論文数が優秀さを示すという根拠。(引用数ではなく、書いた数ですよ)
・基礎研究論文ではなく、あえて臨床研究論文のデータを出すことに意味があるということの根拠。
・大学病院の医師は、ほぼ自校出身者と考えていいという根拠。
・論文数の少ない大学病院の医師は、東大、京大などの難関大学出身者が少ないという根拠。
・以上の根拠、データは、検証可能なように出所を明らかにしなければならない。
・・・・
まだまだ、いっぱいあるのですが、こういった疑問に、お答えいただかなければならない。
でも、こんなデータ根拠合戦・・楽しいでしょうか?私は、全然楽しくないです。推察で結構なので、自由に議論していただいた方が楽しいです。
芥川龍之介の「薮の中」で、3人の登場人物が同じ体験をしたにも関わらず、認識が異なる・・人間の認識なんてそんなものです。
データといえば、なにやら客観性があるかのように聞こえますが、そのデータを計測するのは人間の認識によるし、どんなデータをどんな論拠で引っ張ってくるのか、これも人間の認識によります。
要は、データなんて、恣意的になんとでもなるのですよ。
データが・・とやたらこだわる人には、このように結論をもっていきたい、そういうベクトルが働いているはずで、
私は、警戒心を感じます。
データの裏はみないといけないでしょうが、
そのためにも、ある程度の根拠はあげておくべきでしょう。
銀行だって、推測で「この人は信用できます」と言って、お金を貸すわけではないでしょう。
それとも国家がでてくることになった不良債権は、それで失敗したからできたのかなあ?
努力をしてある程度の情報、データを集めるにしても、
最後はあらゆることが推測です。
多数ある推測・・シナリオのなかから、
どのシナリオが起きると予測し行動するのか・・
この行為を「判断」といいます。
つまり、推測のうえに、融資判断は行われるわけです。
推測じゃない、分かったうえでやるんだ・・
そんなことが現実社会にあるでしょうか。
世の中は、あらゆることがリスクシナリオですよ。
無常感さん
>データというのは、意味のあるデータを示したときに有効なのであって、「データを示したもの勝ち」みたいなデータの要求の仕方に
私は、イヤな顔をします。
私はこの掲示板での論議の勝ち負けには興味がありません。ただ、推論を重ねるだけのやり取りや、明らかな誤りをコアとしたしたやり取りがiイヤなだけです。
視点さんが
「東大医学部や京大医学部はその入学者の偏差値に見合った実績を出していない」
という仮説を提示されました。
これが正しいのか、そうでないのか、私には分かりません。
これは大学の業績と入学者の偏差値という、二つの次元の異なる評価軸の関連についてのとても興味ある仮説であると思います。
しかしどんなに目を凝らしも、この仮説の拠って立つ根拠が全く書かれているようには見えません。
ノーベル賞が取れないから、と書いてあったよう気もしますが、ご存知のようにノーベル生理学・医学賞をアジアで受賞したのは利根川氏・山中氏の日本人2人だけです。
あとはほとんど欧米、特に1990年代以降はほとんどアメリカの独壇場となっています。
ノーベル賞受賞の有無は日本の医学部の業績を判断する指標としては明らかに不適切なのです。
それなのに、なぜかこの仮説を前提として話が展開されている。それが不思議でならないのです。
真摯な論議を期待するなら、仮説を提示するときに自らその拠って立つべき根拠を提示する、それが最低限のマナーではないかと思います。
あと、有効な反論が出ないからこの仮説は正しい、というようなおかしなことを言い出す人がいますが、そもそも根拠のない話にまともな反論が存在するわけがありません。
当たり前のことです。
客観的な事実やデータを集め、それをもとに仮説を導きだし、提示する。そしてそれが正しいかどうか皆が知恵を出し合って推察あるいは検証を行う。
こうした流れの中に有益な論議が存在し得るのではないかと考えます。
あと、
明らかな誤りをコアとしたしたやり取りがイヤなだけです。
と書きました。
失礼を承知で、無常感さんの書き込みを引用させていただき、実例をお示しします。
>医学部入試の面接を医学部の教官だけでやらなければならない必然性って、何なんだろう?・・と思いますけとね。
医学部の教官なんて研究者なんだから、医療行為を行う人材の適性が十分分かっているのか怪しいですよ。(無常感さん)
実際には医学部入試の面接は臨床経験数十年、この世界を勝ち抜き、生き残ってきた海千山千が担当します。
医者なんて世間知らず、というのは勝手な思い込みです。大手銀行の役員と同じくらい、煮ても焼いても食えないタヌキ揃いですよ。(失礼)
従って彼らはかなり高い精度で不適格者を見抜いています。
問題は日本では「試験の公平性」が強く要求され、よほどの理由がない限り、面接だけを理由に不合格には出来ない、ということにあります。
この程度のことは、医学部受験性ですら知っていることです。
仮にこの書き込みをもとに話が展開していった場合、それ以降のやり取りの価値は著しく低い物となるでしょう。
そうしたやり取りが私にはイヤなのです。
誤解のないように申し上げておきますが、私は無常感さんの鋭い視点や論理的な物の考え方には常々敬服の念を抱いております。
勝手にコメントを引用させていただきましたが、どうかご容赦ください。(弘法も筆の誤り。)






























