充実した教育環境の日大付属高校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
枕流漱石さん
日本人の魂の再生ですかね。
先日、九谷焼がさびれてきていることを懸念して
地元の小学校で子供達に九谷焼を使ったデザインの発表を
し、画鋲や、ルービックキューブなど面白いアイディアがでていました。
企画したのは小学校の先生で、子供達に種を蒔いて
九谷焼を生きづかせるということです。
各家庭持ちでしましょうという案もあったのですけど、
やはり教育者が意識的に行うということが一番効果があるとは
思うのですけど、
しかし国民としての教育って思想がからむので難しい。
伝統文化や工芸からはいっていくのもいいですね。
枕流漱石さん
>そう考えると大学って何?という問題にぶつかります。専門を学ぶところ?本当でしょうか?
大学は長い間いい会社へ就職するための切符のようになっている気がしますね。
高校も私立中学も、切符を手にするための前哨戦のような感じで。
最近では企業から即戦力になる大学教育を求められたりする。
以前は面接で「入社してから教育するから大丈夫ですよ」と言われたのですが…。
最初から期待に応えられるデキる学生は、企業の枠は窮屈になったりするでしょうに。
>自分を律するというのは、学び方というより、人生観や人格形成に関わることかなと感じます。
遊びたくても、するべきこと(勉強)をするという点で自分を律する必要があるかなと。
勉強しなさいと言われなくても、無言の空気がなくても、自らできたらいいですね。
>これこそ、転んだ経験から、学んでいくことかな~と人生を振り返って思います。
>享楽に耽った挙句、転ばないと、自律は難しいかも(笑)
そうだと思いますが、享楽に耽るまで行かないといけませんか~。
そこまでしなくても、普通にあちこちで転ぶと思うんですけどね。
同じ転ぶでも、転ぶにはつらすぎると思えるところから立ち上がった人には、
ああ、この人にはかなわないな…と思います。
大体不器用な人が転びやすいのですが、これが人格に関わってくるんですよね。
これは神様のご褒美でしょうか。
>どんな点が子どもっぽいというのでしょうか?
何かのせい、人のせいにしたがるところでしょうか。
自分を見ない。
私もですが。
>やはりまだ学歴主義である、ということがとても気になっています。
日本人の弱点ですよね。
学歴や肩書きに弱い。
(私の投稿者名はここが始まりでした)
超多忙につき、レスが遅くなり申し訳ありませんでした。
枕流漱石さん
>バレーボールの東洋の魔女のメンバーのインタビュー番組を観ました。
そこでのコメントに、
>また、「監督に、俺が試合に出るわけではないから、自分で考えろと言われ、自力で工夫し、自分で技?を編み出した。半年かかった。」というコメントもありました。これが、無常感さんの主張の一部ですよね、きっと。
試合で何とかしなければならないという悲壮な自由のなかで、
忍耐力、集中力は芽生えていくのでしょうね。
好きなゲーム、享楽から忍耐力、集中力は生まれるのか・・
こういったことしか関心がない人は、嫌いなものからは逃げてしまうのではないか。
凡才さん
>ところで、苦行の事ですが、一番の問題点は、子供の社会も一人では無いと言う事です。
その世界には、風潮、流 行などの流れがあるので、あまりにそこから逸脱する事は、自分がその世界に
入れなくなってしまうのだと思うのです。
>今の時代は駄目な事と自分で分かっていても、 あえてその中に入らないといけない場合もあります。
それが仮に怠惰な事であっても、付き合わざるを得ない事だったりします。
きっと、現代は親も子もそのさじ加減をどのようにしたら良いかが宙ぶらりんなので、
きっと悩むのだと思います。
受験勉強をやらなきゃいけないのに、学校行事がある・・友人との付き合いもある・・
プライベート(受験)よりも、パブリック(学校行事、交友)を優先しなければならない。
これって、大人の態度ですよね。
このパブリックとの関係維持・・これは「苦行」だと思うのですね。
かつては、自力でやる受験も「苦行」だったし、パブリックとの関係・・これも「苦行」だったわけで、
大人に育てる仕組みが備わっていた。
9歳から、塾 → 中高一貫私学・・のコースに流れると、
受験勉強をすることがパブリック(塾、私学)であるし、受験勉強を集団でやるわけだから
どこにも苦行が無い・・大人になる契機が無いと感じるのですよね。
弱点さん
>特に興味もなく使わないのに覚えていることは、それが面白かったからかしら。
化学の元素の周期表とか。
何度も何度も必死に苦労して覚えたものほど、真っ先に忘れますね。
覚えているものは苦労しなかったもののような気がします。
私は、中学の歴史教科書の下欄注書で小さく書いてあった
「ターヘルアナトミア」という言葉が、今でも忘れられません。
「解体新書」のオランダ語原本名なんですね。
定期試験前に覚えて、いまだに忘れられない・・理由は分かりません。
>自学(本)で得た思考は自由があり本物で、
ゲームで得た思考は自由でなく欲望の従者ですか?
何か無理がありませんか?
最近の若い方に多いですが、好きな仕事はすぐ覚えるけど、
嫌いな仕事は覚えない・・これって、ダメだと思うのですよ。
嫌で嫌で仕方無かったけど、あれこれ自分で考え苦労して工夫しているうちに、
やがてその仕事が好きになる・・これを「本物」と言ってはいけないでしょうか。
凡才さま
人間が社会を作るのか、社会が人間を作るのか、
卵か鶏か、という悩みにぶつかります。
社会が人間形成の根底にあるようにも思います。
そして、その結果は、もっと遠い将来に現れるのでしょう。
そこでまた、人類は、その成功か失敗かを経験し、変わっていくのかもしれません。
バブル時には右肩上がりなので、殻を破ろうという勢いは激しかったように思いますし、反対に、それが弾けた時の悲惨な状態は栄枯盛衰そのものでした。
現在は、会社は、守りに入っている部分があると思います。
細く長く・・・リスクを取らない安定を。ですから、それに合致する人材を必要としているのかもしれないとも思います。
>>残っていると言う安心 感もあります。
この、残っている安心感・・・というのが教育にも必要だと常々思っています。
少なくとも、教育者は、それを持ち続けて欲しいと思うのですよね。
たらようさま
>>国民としての教育って思想がからむので難しい。
私たちは、一つの、指針をもつことを許されていない・・そう感じます。
国としての方向性を示すことで、他国まで刺激する場合があるから。
でも、多様かと言われると・・・みんな同じ方向を見ていると思えます。
>>伝統文化や工芸からはいっていくのもいいですね。
そうですね。実は、文化的なもの、古典的なもの、に日本人としての心を感じる機会をもつことが大事だと思っています。日本人の感覚?血?に無関心では悲しいと思うし、自分を知らないことに繋がると思うのです。
無常感様
遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。
私が考えるに、中学受験の試験を見た時、国立に見られるような多科目の試験で、私立の主要
4科目の試験で無い方が、よりそれぞれの人物のバランスを公平に判断できるのだと信じており
ます。
しかし、実際には、私立上位の学校に進み、その中で又上位に立つには、その勉強を続ける事自
体がかなりの「苦行」であり、物理的に他の部分に時間を取る事が、そんなに簡単なものでは無
いと思っています。
しかし、勉強以外の事をそれと同時に兼ね備えている人も存在する事は確かです。
要は、それがこなす事が出来る秀才がいる限り、私立のシステムと言うものも変わる事が無いと
思います。
私が理想的には両方を兼ね備えていればそれが一番良いとは常々思う事ですが、実はそこには落
とし穴があって、時間的に物理的にどちらかを選択しなければどちらも出来ないと言う事がある
と思うのです。そうしたら、その場で取捨選択を迅速に行わなければなりません。もし、それを
行わないか、決められない場合、結果的には流れに任され、主体性はそこにはありません。
きっとその辺りが、「苦行」が無いからと理解されているのだと思いますが、本当の問題は、レ
ールが引かれているから、自分で物事の判別をしない為に起こる主体性の無い判断によるもので
は無いかと思います。決められたものでしか出来ないと言うのは、きっと自分の責任において、
物事の判断をしていないからだと思います。
きっと、誰でも「苦行」はしているけれど、それが何の為かと自分の中で自問自答し続け、結論
に至らなくとも、その過程で一つ一つの判別、判断、決断をしていないか、責任が及ぶのを敬遠
する為にあえて手を出していないので、現代の様な事が起こると思うのですが、物質的に、時間
的に、思想的に、昔に比べ気持ちに余裕がある限りは、きっと中々無くならない様な気がします。






























