アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
聞かれもしないのに灘生が灘出身ですと言うって、具体的に何人の話ですか?
どういうシチュエーションでの話?
聞かれもしないのに灘出身ですなんて言う人、私はちょっと知らないですけどね。
それに他の学校出身だったら皆無なの?
ノーベル賞とフィールズ賞は一応私立からも出てるし、それだけで学校の実力をはかるなんて馬鹿げてると思う。
>というか、
国民から選挙で選ばれてもいない官僚が
思うがままに政治を支配するのは問題。
国民が選らんだ政治家よる
岩盤規制の破壊は妥当である。
国民主権を知らないのだろうか。
今時、こんな俗論を開陳されてもね。
民主主義の弊害である「(国会での)多数の専制」について、君はどう考えるのかね。そもそも、そのための歯止めとして、三権分立(権力分立)がある。当然、行政の専門家としての官僚の役割も重要だ。まして、現行憲法では、国会を唯一の立法機関とする原則の例外として、内閣=行政による個別的、具体的事項の委任命令が想定されている(73条6号但書)ではないか。
もちろん多数者の意見と専門家たる官僚らの見解のどちらが妥当であるかという問題は残る。しかし、君の主張の如く「国民が選らんだ政治家よる」を単純絶対視する意見には首肯できない。それであるならば、たとえば当時のドイツ国民が「民主的」「合法的」に選んだナチスによるその後の独裁や蛮行の数々まで正当化されやしまいか。
民主主義社会においても、「国民が選らんだ政治家よる」との大義名分は、けっして免罪符とはならないのである。
同時に、上述は本件問題の本質を考察するうえにでも大切な議論でもあろう。
「学習観」が歪んでいるのは各人の勝手かもしれませんが、事実を無視しちゃだめですよ。
ここが一貫しているのはすごいけど。
日本人のフィールズ賞受賞者は3人で、中等教育段階の履歴をみると「府立第五中学」「柳井中学」「東海中学・高校」で、全員中学受験をして合格しています。
中学受験をしなくても「官僚から天下り」という「成功者」にはなれるそうですが、フィールズ賞は難しいようですね。
そもそも「四年に1回」「40歳まで」という縛りは極めて厳しく、これについて「何人いるからこの学校は」のような論じ方をするのは宇宙の中でD氏ひとりだけです。
ノーベル賞受賞者を作ろう!プロジェクトのような変なことをしている国は2、3あるようですが、さすがにフィールズ賞について同様のことを主張するところはありません。
まずは、森重文先生に謝るところからはじめてくださいね。
また、がん研究に対する権威ある賞「マイエンブルク賞」をみると、日本人受賞者は2人です(特に21世紀に入ってからはノーベル賞との連動性がかなり高いです。フランスのスターエマニュエル・シャルパンティエも2016年に受賞していますしね)。
お2人の中等教育歴を同様にチェックすると「灘中学校・高校」及び「大教大附属中学・高校」ですよ。
高度な研究のためには「これまでの科学の成果を正しく認識するに足りる高い学力」が必要なので、ごく自然な結果だと思います。
この有識者会議は、
「教員需要の減少期における教員養成・研修機能の強化に向けて」
という報告書の中で、
国立大学附属学校についての対応策【中長期的な方針】として、
「附属学校は、学校ごとに、公私立学校とは異なる国立大学の附属学校としての存在意義や役割及び当該学校ならではの特色を明確にするとともに、各大学は、附属学校園全体としての存在意義・役割分担・特色を明確にするべきである。」
と結論つけていますが、一方で、
「非教員養成系の大学に置かれている学校、あるいはいわゆるエリート校と呼ばれる学校についても同様に、すべての国立大学附属学校は、附属学校の本来の使命・役割に立ち返り、多様な入学者選考の方法を実施すべきである。」
とも言っています。
学校ごとに存在意義や役割があるというのであれば、入学者選考の方法についても「当該学校ならではの特色」があっていいのではないかと思ってしまいます。
鏡よ鏡さん、全く同感です。
”公私立学校とは異なる、学校毎の特色”を出すには、選抜方法も学校毎に特色が有って良い(むしろ、有るべき)、と思います。
しかし文科省も、SSHやSGHの指定をする一方で、エリート校批判とは、何がしたいのか全く分かりませんね。





























