アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
教育実習って大変そう。
もし公立に教育実習を移すなら、薬品会社の治験料に相当するような謝礼を児童や生徒たちに対して払うべきでしょうね。そもそも教え方がちょっと変わっただけで混乱する子も沢山いるわけだし何らかの手当が必要でしょう。対応の為に補助教員を何倍にも配置しなくてはならない。
また、公立の教師はそれじゃなくても多忙で、しかも今小学校教師は新しく始まる英語対策に四苦八苦しているのに、それ以上の負担を増やすということは公立教師に対しても手厚い特別手当を支給するとかしない限り、相当なブラック職業になりそう。
教職過程希望の学生を指導出来る公立の教師がどれくらいいるのか分かりませんが、児童・教師、両者の観点から補助教員なども相当増やすとかしない限り無理っぽい。多額の追加予算を公立に回さなきゃね。
そもそも実習自体の価値を感じないので、発想の転換を望む。
就業後にOJTすれば良いだけであり、学生時代はせいぜい見学だけで良いと考える。
それよりも就業後に、国立等への短中期の研修派遣や教科主任任用には研究紀要の執筆経験者を優先するなどの実経験を優先させるべき。
なお、民間のインターンは採用のための選別であり、見事なまでに大学による足切りを行っている。それ以外は、将来顧客になるだろう学生へのサービスであり社会サービスであり、まず採用はしない。
負担 と 利益のバランス
たしかにこうした実情にはあまり触れられていないですね。
よく、この掲示板でも、通学する子供の学力向上につながる様に改革を、という言葉が出るのですが、建前としては、附属学校は「教員養成機関の一部」であり「研究校」なんですよね。
従って、そのミッションは第一義には通われているお子さん一人一人の学力の向上にはなく、教育実習性を受け入れたり、免許取得者が大学に戻って研究をしたり、あるいは指導要領にある新しい教育方針を公立に普及させていく上でのフィジビリティのチェック等を行っています。入学説明会で口を酸っぱくして言われるのも、このことです。
実際、アクティブラーニングは、新指導要領では大幅に縮小されることになっていていまして、先取的なとりくみに参加できるメリットがある一方、それが一般化しなければあまりアドバンテージが無いといったリスクもまたあります(結局偏差の大きな集団では教室運営が難しくて、教育論というより、組織論になってしまうそうです)。この他、以前も書きましたが所定の教程が終わらなかったり、後半、かなり苦しくなって、猛烈なスピードで進めざるを得ない事もあります。
まああと、総じてレベルが高いことは事実なので、中学の場合、公立中であれば上位層であろうお子さんが平均くらいになってしまう場合もあり(中の上かなあ)、この場合、内申は辛めに出てしまいますから、公立トップ高への進学が難しくなってしまうケースもあるでしょうね。これは附属小から公立中高一貫に出るという場合等にも考えられることで、如何に費用負担は私立より抑えられているとは言っても、出口が私立だと、グロスでも見ればお金のかかる進路選択になってしまうことも事実としてありそうです。
また、費用が安いといっても、名目はどうあれ校納金も存在しますし、教材費も存在しますから、費用面でもこうした教育研究の原資を一部保護者も負担していますし、受験期間中には一週間程学校がお休みになったり、授業参観の多さ、PTAを通じた労務の提供等、これを負担と呼ぶかは否かとして、親の負担も大きいです。また通塾率も高いですから、そうした費用も別途かかります。
こういうのを含めて、良く、この掲示板でも国立の板を見ると「相性」という言葉が散見されますが、知的好奇心があり、雑多な授業に意欲をもって取り組めるお子さんは必ず伸びる(かならずしも大学入試の実績に直結するものではないです)と思いますが、上述は「構造的な」問題です。
こうしたリスクや負担とメリットが釣り合わなくなれば、やはり志望者は減ると思います。
補足です
総じてレベルが高いというのは、
スクリーニングを経ている事
塾が通いをされるお子さんが多い事
ある程度は教育熱心な保護者が多い事
によるもので、国立だからレベルが高い等というつもりは無いです。
別のスレを見ていても、国立潰しは喜々として語られるけど、代替案となるとほとんど中身が空っぽか、バラバラで貧弱なこと。これまでの改革も失敗例が多過ぎだし。一体誰のために一番メリットがあるんだろ。
でもJQさまの言うように生徒のための教育ではなく実習生のためにあるとしても、中身はこどもたちの教育を扱っているのに、そんな非教育的な事ばかりの感じですか?国立といってもそれぞれ違うのかも知れないけど、身近な子が行ってる学校の教育と教育環境は聞く限り非常にいいと思ってるしとても好きだけどなあ。
視察してくる学校もすべて真似ということではなく取り入れたいものを各学校に合わせた形で取り入れているようだし、何よりも付け焼き刃的な教育をしてて教育実習もないだろうね。授業だけでなく課外活動も含めソフト面で普段の教育基盤自体が上手く機能しているということ、常に研究熱心で新たな取り組みに積極的なイメージ。そういうしっとりとした基盤が実習生を受け入れるにも重要なことではないかと。様々な所からの視察に加え、特に今後は修士・博士過程の研究にも使われることが増えるらしいので。
たしかに教育実習は受け入れ側の学校に負担をもたらす。指導教員も後輩学生を熱心に指導するように努める。ゆえに、学校によっては事前に希望者面接を行うところもある。真に教職志望か否かを確かめようとするものだ。
たしかにわずか2.3週間の学校での実習、さらに社会福祉施設や特別支援学校での1週間程度のそれでは身につくものも多くはなかろう。だが、それでも実習生にとってはよき経験になる。私も、学部生の頃、女子校での実習から戻った仲間からの「みやげ話」をくだらないと思った。だが、中年になって自ら経験した実習はやはり格別であった。生徒らから贈られた色紙にある「授業で野球の話をしてくれてうれしかった」との野球部員の言葉を思い出す。
教員志望の学生らは、教育実習で初めて「(学校で)教える側」に立つ。睡眠時間を削っての指導案作成など多忙な時も過ごす。その中で、自分ははたして教員に向いているのだろうか、との自問自答を繰り返す。その結果、苦労多く、報われることの少ないその厄介な仕事を天職だと思える人々のみが、教壇を目指すことになる。
生徒を信じ、その成長を我がことのように喜べる人々。
その彼らだけが尊い喜び-教師冥利-を味わえるスタートラインに立つ。
おかしいなと思う事さん
非教育的ではなく、合わない場合は合わないだろうなということです。
その辺は、ご家庭が何を期待しているかという期待値と実情から何を感じるかという話なので、定見は無くて、各論にしか成り得ないと思います。
教育実習については、
有識者会議において、公立学校で実習生の受け入れ云々も議論されていましたが、講堂に事務机ならべて(この期間、講堂は実習生の教室兼控え室みたくなってます)、朝はやくから夜遅くまで実習生の先生頑張っているので、公立での実習が相応しい場合、少人数がどこか相応しい公立小で実習をする、、、ということはあり得ても、50人とか70人一気に受け入れる様なハコは、指導可能な教員・そこまでカリキュラムに柔軟さをもてる環境・単にハコのキャパを考えても、公立では代替難しいんじゃないかとも思います。
ちゃんと実習計画書を作って来て、担当教諭と実際の実施計画をもう一度見直し、模擬授業を実習生の中で揉んでみて、ある程度ダメ潰しをしてから、子供に授業をして、その改善策を担当教諭や聴講していた他の実習生を話し合い、次の授業をするというのを繰り返す訳で、これが公立校で出来るのかなあとは思います。
この観点に立って言えば、しっかりした基盤ではあるとも思ってます。





























