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国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
貧困層に限り入学を認める学校にした方が、今より貧困層にコスト効率良くエリート教育が行き渡るのは自明。全員が自営業のわけはないから、遥かに貧困層が入学者は増えし、自営業の事業所得だって税務署は認識しているから、対処のしようだってある。
貧困層にエリート教育を、といのは単なる建前で、附属校の現状維持をしたいという本音が垣間見えるのが痛々しい。
国立って貧困層にはお金がかかりすぎない?
公立なら必要ないことまで負担があるんだから。
どなたかも書かれていましたが、何年間もの通学の交通費もばかにならないし、給食はない、制服も相当な金額かけて揃えなきゃいけないし、学校が親をあてにしててなにかというと親の出番も多いから、生活苦しいのに仕事も休まなきゃいけない、おまけに寄付金も払わなきゃ、で貧困層は余計大変だと思うんだけど。
それともそういうのも全部税金で賄ってあげるのかしら。そうでもなければお金の負担と親の負担がだけが増えるだけの学校にわざわざ行きたいと思う貧困層なんていないと思うわ。
なるほどね。
私は国立附属校にエリート教育などという発想は、そもそも法意としてないとの疑いを抱いている。税金丸抱えの学校でそれを行う理由は、わが国ではなかろう。
この機会に、きちんと棲み分けを検討すべきだ。
>国立附属校にエリート教育などという発想は、そもそも法意としてないとの疑いを抱いている
疑いも何も、法律上は「教育方法の研究開発のための学校」なのだから、「法意」としてエリート教育という発想はないに決まっている。
「疑いを抱いている」とか勿体つけるほどの話かと。
一方で、所得制限をつける、という話も全くナンセンス。「低所得者のための学校」という法律上の位置づけはないのだから。
逆に、進学校であってはいけない、エリート教育であってはいけない、という法的制限もない。別にそうであってもかまわない。「教育方法の研究開発」の目的のもとで成果が出ていればまずは問題ない。
要は、筑波大学が頑張って研究成果を世に示さないとダメになっちゃうよ、ということ。筑波大学がダメだと、附属学校が潰される、という建付けになっている。
いや、そう簡単に決めつけられるものでもない。
法の解釈とは、制定者意思に拘束されるというものばかりではないからだ。
現在の視点から、そこに新規な、独自の解釈を為すこともあり得ない訳ではない。
その意味で、下記君の意見もあながち否定はできない。
だが、それをも踏まえても、私は国民の意思は国立附属校に「エリート教育」なるものを求めていないものと解する。また、それを必要とする社会的事実にも乏しい。蓋し、すでにわが国には優れた私立学校が数多く存在するからだ。ゆえに、国立附属校による補完・代替を必要としていない。
多様化する教育観が錯綜する今日、税金で運営される国立附属校はその対応のための学校という本来の使命に徹するべきだろう。この機会に、本来の姿に復するべきだ。
>逆に、進学校であってはいけない、エリート教育であってはいけない、という法的制限もない。別にそうであってもかまわない。「教育方法の研究開発」の目的のもとで成果が出ていればまずは問題ない。
































