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国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
>>ですので、無知蒙昧さんの、「附属の役割という観点での細かい突っ込みはしないで、・・・有能な人材を輩出しているから、まっいいか」という発言は問題なのです。
意に沿わない記載を伏字にしたばかりか、「有意」を「有能」と書き換えてしまっては、もはや私の手による発言とは言えないでしょう。
しかも、せめて前のセンテンスから引用して頂かないことには、東教大と筑波大の関係を述べる中での発言であることが全く抜け落ちている。
こんな改竄をしては、引用の形態をとる必然性も主張の正当性も皆無。
錯乱してますよ。
一定の層しか入れない特別な条件が何かあるのですか?
居住区制限は仕方ないとして、それ以外で何かあるのであれば基本的人権に関わる重大な問題です。
もし、学力をいうのであれば、入学選抜方法の問題であるので公立も含めて議論するべき問題であり、個別の学校がどのような生徒を欲しいかは個別の学校が決めることで、無知識者会議できめることじゃないだろ、単なる利害関係者会議に見える。
では、長いが、無知蒙昧さんのご意見を転載する。
>そんな中途半端さをはらむ筑波ですから、国立大学の附属学校の役割云々する以前に学校として矛盾に満ちていてお話にならない状態という受け止めが現状を捉えた見方だと思います。
で、初めに戻りますが、筑波の附属学校については、附属の役割という観点での細かい突っ込みはしないで、せいぜい政策特区ぐらいに考えて、有意な人材を輩出しているから、まっいいか、程度の受け止めで良い(しかない)かなと思います。
で、無知蒙昧さんは、筑波の附属は、今後どうあるべきだとお考えでしょうか?
政策特区にすべきというスタンス?
論の大部分については無知蒙昧さんのほうが筋が通っていると思います。
しかし気になるのは、さかんに「有意」と繰り返している語は「有為」の変換間違いではないかということ。
「有意」は「統計的に有意である」などの文脈で使う別語ですよね。
旧学校教育法には「有為」とあります。
有為と有能は類語です。
無論同義ではありませんが。
「国家有為の人材」のように、特に戦前にはよく使われていた言葉ですね。
「無知蒙昧」と大きく構えるなら、そういうところにも神経を行き届かせるべきではないでしょうか。
論争相手もそこを突っ込まなかったということは、意味がわかっていなかった可能性が高いですが。
筑附や学附は、多少優等生が多い程度で、東大目指す進学校という感じではなくなったし、理想(建前)通りの研究授業や実習も力を入れてやっていて、公立校の先駆的な教育実験もやっているので、何ら問題がないと思う。
唯一問題にすべきは筑駒。
公立には中学レベルで男子校が一つもないから、何のモデルにもならない。筑附の副教科入試のような国立の建前も守らず、小石川のような特殊な(受験テクニックに偏らない)問題を出すわけでもなく、他の私立男子校と同様の入試問題。
研究授業はやっているとしても、誰のモデルにもならないので税金の無駄。
貧困層が多いわけでもないし、民営化しても誰も困らない。
筑駒の母体は筑波大学生命環境学群で歴代校長の多くは農学部教授、それからすると全国にある農業高校の模範となる取り組みをするのが本分かなあ、そうすると都心にあるとダメなのでは?価値ある学校ならどこにあっても皆が通うでしょう。
難しい議論は不要。
税で最高レベルの偏差値秀才の学費払う必要がありますか?しかも男子校。
エリート教育はそれを求める人が、応分の対価払って行かせれば良い。
なかなか支払いが難しい方へは、公助にて支えてあげれば良い。
ただそれだけだ。





























