充実した教育環境の日大付属高校
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
もともと「説明責任」という言葉自体がきわめていかがわしいものです。
カリフォルニア州などで教育に対する公費援助に関連して「創造説ではなくダーウィン進化論を教える学校に補助金を出すべきかどうかの説明が必要だ」という言いがかりが起源です。
歴史に対する無知は怖いですね。
筑波大学ができたころ、研究学園都市に竹園小学校という小学校があった。いわゆる付属のエリート校ではないけれど、学園都市では大学、各省庁の研究機関に勤務している人が普通なので、親に博士様はありふれていた。当時は教育実習とかしみったれた事はいわず、お高い、ツインプラズマディスプレイのCAIシステムが実験的に導入されていた。
CAIは効果なしと否定されたというのが社会の共通認識ではないと思うが、何十年もたっているのに教育実習とは、世の中は進歩しないものだ。
浅薄な動機さん
普通の人なら文句を言われない、皆やっていることでも、公人がやると叩かれることって多いですね。筑駒さんが立てた学歴と不祥事のスレの多くの例も、一般人がやっても文句は言われない、でも公的な立場の人だから大きく批判された話でしょ。
私立なら自由でも、国立だと目くじら立てられるのは当たり前です。
例えばお茶の水。中学まで共学なんて、大学進学を考えれば不利なのに、中学は義務教育だから男女平等が建前、ということでやっているわけです。
ところが、筑駒という学校とその保護者には、そういうパブリックなマインドがない、自分達にとっていい学校だから何の問題もないでしょ、という態度だから叩かれるんです。
うちに男の子がいたら、いい学校だと思うかもしれませんが、子供は女子なので、こんな不平等な学校は叩かれてしかるべき、あるいは私学にして自由にやれ、男子だけのために税金使うな、と思います。
「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」
(第8回)資料1より]抜粋
○附属学校の役割の明確化
国立大学附属学校は、当該附属学校に求められる教育・研究課題を踏まえた選
考方法に改めるとともに、教育・研究の成果の活用先や活用方法を明確化し、国
立大学附属学校としての存在意義を明らかにする。また、地域のニーズを踏まえ
た教員養成・研修の拠点としての機能を高めるとともに、附属学校全体として大
学による統一的な考えの下に有機的なつながりをもって教育活動を展開するよ
う、大学によるガバナンス体制を強化する。
⇒当該附属学校に求められる教育・研究課題は何か? ここが問題
凡人学校では浮いてしまう潰れてしまうかもしれないギフテッドを集め
どのような成長経過をたどるのか、取扱が良いのか、卒後の進路は、
などを研究するのが筑駒ならそれも良し、ただし成果を全国のトップ校に
活用することが前提。
>凡人学校では浮いてしまう潰れてしまうかもしれないギフテッドを集め
>どのような成長経過をたどるのか、取扱が良いのか、卒後の進路は、 などを研究するのが筑駒ならそれも良し
だめですよ。
それなら共学化するか女子校を併設しないと。
ギフテットの教育が如何にあるべきか?というのは、戦後わが国では少なくとも試みられたことが無いので、本気でやるなら、お茶を女子一貫化/筑駒は男子一貫のままというのでもいいんでは?ある意味「時代」に逆行しますが、極端な環境は多々あるのも1つの「多様性」ですよね(笑)
国庫でやるなら、あるいは国庫でやるからこそ、極端なことをやる場所があるといのも正当性の1つにはなりうると思います。改組・改革というのは国庫が厳しいが故のパブリック・コレクトネスの最たるものである様な、、、、
これから子供減るんだし、個々の能力に立脚した、バラエティのある教育システムを開発するのは至上命題ではないでしょうか?公平性等、都道府県市町村立の学校で行い、そうした教育の支援を行う、研究校も必要ですが、それだけで十分かという議論も成り立ちうるのではないかな?
つーか、国庫で尖ったことできずにどうする。





























