アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
高度な教育を国民全体に施すだけの時間・金・設備の余裕はない。しかし優秀な「指導者」がいてくれないと国が維持できない。
というのなら、少数精鋭のエリート教育は有効。
王族だけ、名家の子供だけ、男だけ、長男だけ、などなど、一極集中型の教育を施さないと国や家庭を存続できないなら、不平等だかエリート教育もやむなし。
しかし、それを長らく続けていると「国民全体に高度な教育を平等に施す」という最終目標からは遠のく。
>筑駒も、開成や櫻蔭もあそこまでエリート集団になってしまっているのは、メインが「中高一貫」だからでしょう。
は?
これって鉄緑会御三家ですよね?
学校は大したことはせず、子供は塾で要領良く勉強
大人になってとんでもない考えの人間になり、事件、問題をおこす。人生を舐め、他人をバカにする、倫理面が非常に未発達の人間が多いよ。とよ 田真由子、親子札人、放火札人、バイシユンタイホは氷山の一角だよ
受験板だから思考が偏るのは仕方ないが、某国立のように、頭の良い子、芸術の得意な子、運動が得意な子、生徒会活動のようなコミュニケーションが得意な子など様々な生徒がおり、その組み合わせとなっているところもある。特に運動能力は普通校としてはトップクラス
進学という片寄った切り口だけで議論するとおかしくなる。
いつの時代?様
だから、学校が何してるとかそんなことは一つも書いていないです。
単に中高一貫システムが、最近数十年のトレンドとしてますますエリート志向の子を集める結果になっちゃってるだけでしょということを言っているだけです。それも学校側の働きかけというより、中学受験塾が市場拡大のために過熱を煽ってきた、そこに乗せられる親が増えてきた部分が大きいと思ってますが。
そういう層が入学してからも鉄緑会直行というのはさもありなんではあります。
ここで私が書いてある「エリート」というのはさしあたりその程度の「受験エリート」のことであって、それが「トップリーダー」たるような「真のエリート」かどうかなんてことは問うていません。
そんな程度の浅い部分についてちょっと書いただけです。
これらの学校が全部「国のトップリーダーを育てる真のエリート教育」をしてるか?と言われれば、正直そうは思いませんね。
エリート教育というのは東大合格者数何人のランキングなどが指標にできるものではないと思うからです。
東大合格者数が現状鉄緑会在籍者数とリンクしてると多くの人が思うとしたらなおさらでしょう。
だからNOさんは何を根拠に筑駒以外の国立を「私立の後塵を拝し」と盛んに書いてらっしゃるのか?疑問だったんです。
お答えで、エリート教育の話をしてるんじゃないんだ、単に東大何人という話なんだということはわかりました。
なので私は退散しますよ。
その程度の話をいつまでもしててもしょうがないと思うのでね。
だいたいお茶中共学化すれば受験エリート校が完成するかといえばそうはなく、お茶、筑附、学附とも完全中高一貫化しないと今の消費者トレンドに合わないでしょ。いくらこれら三校が中学、高校それぞれで本質的な教育をしていたとしても、高校受験がメンドくさいんですよみんな。高校受験回避で中学受験してる層って一つのパターンになっちゃってるでしょ。
国立で比べれば、筑駒含め中学入学偏差値が「高校進学確実度」順に並んでることからも明らか。(東附は別ね)
じゃ、仮にお茶を女子のみの完全中高一貫にしたとして、偏差値は上がって東大合格者数は増えるかもしれないが、さて、真のエリート教育とは何か、というのは、また別の次元の話ですよね。ということです。
長くなってすみません。
運動会の棒倒しが有名なトップ進学校があります。今年、その競技で開始と同時に自ら棒を倒して担ぐことにより絶対倒せなくして優勝したそうです。
それを校長が斬新なアイデアだと褒め称えています。
棒倒しが有名な防衛大でも過去にありません、何故なら競技自体が成り立たないことをが、例えルールに載っていなくても皆がわかっているからで、やってはいけないことだと知っているからです。
今のトップ進学校は、それを教えるどころか、素晴らしいと褒め称え、学校宣伝いまで利用しています。
進学実績が全てという現状を物語っています。例え進学実績がよくても、そんな教育がよいとは思えませんが。
国立には治五郎大先生の意思をうけついだしっかりとした教育を望みます。
>今年、その競技で開始と同時に自ら棒を倒して担ぐことにより絶対倒せなくして優勝したそうです。
それを校長が斬新なアイデアだと褒め称えています。
そりゃ開成の校長は正しい。
既存のルールを疑うことができる人間は賞賛に値するよ。
開成の生徒はそういうの苦手と思ってたけど、わりとまともじゃないか(笑)
それは内容次第ではないでしょうか。
その手法が新手になるなら素晴らしいと思いますが、
単なるルールの不備(後日、ルール変更されることが明らか)なら、
実践せずにルール不備を指摘するのが正しいと思います。





























