アートの才能を伸ばす女子教育
中学受験に大きな影響あり!地方創世って?
内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。
中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。
>センター既卒者は、浪人の一部ですよね。
>絞られてるのが私文だから、センター受けない浪人
>がどれだけ増えたのか気になります。
ほんとそれ!
とんでもない数字になるはずです。
中高に父母がいれば、自校の状況もお友達の学校の情報も自然と入ってくるから、今年の卒業生がどれだけの厳しい状況に追い込まれたかは知っています。
浪人が増加したデータを出せと連呼していた人いますけど、要するにこの人はエアプで、しかも情報すら何も持っていないということです。
浪人生が増えたかどうかなんて、中学受験スレに来る人なら大抵は事実として認識しているのに、浪人は増えていないのだと頑張っちゃっていた人は恥ずかしいね。
そんなことすら事実を掴めない人達が「地方創生」を語るのは烏滸がましいと思います。
早稲田政治経済 の試験変更は3年後ですね。
この意味わかります?
周知期間と対策が出来るように、受験生の影響を考えて3年後としているのです。
内閣府の政策は、政策として一番大事な部分を欠いた欠陥商品。
>その意味で、大学の自治で保障された自由や権利を担う機関としての教授会の役割は依然として重要である。
あなたは相変わらず、金儲けに目がくらんだ一部の悪人が真面目に生きようとしている善人を不当な手段でいじめて抑圧している、という単純な勧善懲悪の図式で大衆の義憤に訴えるやり方に固執しているが、それがそもそも危険だと言っているのです。
今の社会の行き詰まりは、一部の悪人の不正のせいで起こっているのではない。真面目な善人の当たり前の生き方が社会の停滞を招いている。だからこそ、構造改革が必要だと言っているのです。
その例として、教授会に権限が集中した教授、准教授の人事制度を挙げているのです。ここには誰も悪人はいません。みんな自分が築きあげてきた学説の人類社会に対する貢献を信じて、それを適切な後継者に引き継ごうとして人事を決めているだけでしょう。その権限を握っているのが教授会です。だが、それは多くの場合、既得権の存続に傾いてしまい、社会のニーズに合った新しい学問の台頭を妨げている側面がある。
例えば、マルクス経済学を学びたい学生など今どきほとんどおらず、ビジネスに役立つ基礎知識としての経済学を学びたい学生が大半なのに、大学は、政治経済学、とか、経済史とか経済原論とかの名称で学生を誘って、講座を取ってみたらマルクス経済学を学ばされることが多々ある。計量経済学ですら、取って見たら実はマルクス計量経済学だったなどという笑い話のような逸話もある。
教授と学生の間には、かように多くの情報の非対称性があり、大学は多くの場合、学生に社会で役立つ知識技能の習得を行わせるという公共サービス提供機関の役割を十全にはたしていない。
だから、「学問の自由」「大学の自治」は公共性の観点から一定の制限が必要だと言っているのです。教授会の教員人事への権限は削減されるべきです。時代に合った観点からの教授の採用が必要になる。教授会の教員人事への強大な権限はその妨げとなる。
早稲田政経学部入試の数学の必須化は英断でしたね。これでこの学部でもビジネスのインフラとしての近代経済学がもっと盛んになる。でも、どうせだったら数ⅡBを必須にしてほしかった。
繰り返すが、早稲田の一般入試枠が減っている主因は、大学がAOと推薦による進学者選抜を増やし、一般入試枠を減らしているから。大学定員枠制限だけが理由ではない。これは、鎌田総長の意志であり、早稲田の方針であるということ。
理由は、
・東大志望者はいらない。(熱意も母校愛も無い=寄付金も納付しないだろう)
・地方からでも早稲田第1志望で、熱意があり、個性豊かな生徒が欲しい
・AO,推薦による進学者が進学後、優秀である
浪人増という現象には問題はあるとは思うが、それは数年間の過渡期による変化であり、そもそもの日本の大学を取り巻く潮流は少子化により18歳学生が減り続けることだろう。それは今後18年間は既に確定している。大学の教育レベル維持にために定員枠制限は最低限の対策だ。
問題点を指摘し文句を言うのは結構だが、それに終始するのが最も害が多い。
状況をよくするために自分が出来ることをする。
有益な語りにこそ価値がある。
(記事抜粋)
日本を代表する私立大学である早稲田大学と慶應義塾大学の入試が変わりつつある。どちらも「一般・センター利用」の割合が下がり、4割強が「AO・推薦」になっているのだ。早稲田大学の鎌田薫総長は「一般とAO・推薦の比率を逆転させる」との方針も示す。
>問題点を指摘し文句を言うのは結構だが、それに終始するのが最も害が多い。 状況をよくするために自分が出来ることをする。 有益な語りにこそ価値がある。
マルクスの名言に、
「哲学者は、世界をただいろいろに解釈しただけである。しかし、大事なことは、それを変革することである」がある。
ただ、十分に議論を交わすことの意義もけっして軽視できるものではない。
それは、思い付きのように次から次へとその都度キャッチフレーズを変えては国民を騙し続け、何らの検証もせず強行採決を繰り返す(「高プロ」導入や「博打場」開設問題の件もそのつもりだろう)どこかの政権の悪い見本があるからだ。
そもそも「有益」とは何かね。
しかもその認定はあなたがなさるとでも?































