アートの才能を伸ばす女子教育
中学受験に大きな影響あり!地方創世って?
内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。
中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。
定員抑制で本当にやりたかったことは教育困難大学の保護でしょう。
実質的には、首都圏から地方への流れではなく、上位から下位大学への流れが出来ただけ。
程のいい理由付けとして「地方創生」を利用しただけで、教育改革や少子化問題への取組みを先延ばししただけです。
むしろ、大きな後退なので皆さんが反対されているのだと思います。
東洋経済のこのシリーズの記事に、定員抑制によって、レベルのある学生が来るようになって、まともな講義をできるようになったと書いてありましたので、存在価値が出てきたのではないですか。
ボーダーを無理矢理押し込むのではなく、適切なレベルのところへ順に行かせるべきでしょう。
最近の学部のゼミでは、ゼミ生たちの社会科学に関わる基礎知識が乏しいために議論が一定ラインから深まって行かないそうである(既述)。
その理由として、学生らは高校での日本史や世界史の未履修や入試科目でなかったことを理由に弁明するという。本当だろうか。他方で、東大の加藤陽子教授が「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)で紹介した神奈川・栄光学園での素晴らしい授業の実践例もある。
都立高OGの家内によれば、やはり日本史等は「後は各自で読んでおけ」、という有様であったらしい。ゆえに浪人も多かった(『4年制』高校、と自嘲していたそうな)、とも。しかし、私学である私の高校では戦後の時期まで授業が進んだとの記憶がある。個々の学校間での相違との事情もありそうだ。
教授たちからすれば、こうした姿は信じがたいものであろう。社会科学系の学問を専攻する者が英国での産業革命やフランス革命、アメリカ独立宣言の意義、明治以降の日本帝国の天皇制イデオロギーと国権主義外交、ポツダム宣言受諾とGHQ占領行政、新憲法制定等々の史的知識を知らずして何を学ぼうというのか。
これらは、小手先の「定員数を抑制(厳守)した」からとて解決できる問題ではあるまい。もっと本質的な議論が必要である。もっとも、昔の高校のように社会意識高い生徒らが『社会科学研究会(社研)』に集い、『マルクス』だの『共産党宣言』だのと言いだされても困る、というのも本音であろう。
なにより、真の意味で「モノを疑い、自ら考え能動的に実践する」学生を企業社会は欲していないはずだ。あくなき利益追求を本旨とする商事会社にとって、彼等は歓迎されざる「人材」なのである。その本音は、財界の要請を反映する中教審の姿勢に如実に表れている。だからこそ、為政者らは哲学や文学、歴史学を敵視するのであろう。
指導者の指示にロボットの如く忠実に従う。
いやそれどころか、その意向を忖度して動き、成果は指導者に捧げ、他方で失敗の責任は自ら甘受する(辞職や退職金減額まで)どこぞの高級官僚のような都合よき人々こそ、中教審、為政者、企業経営者らの理想とする「人材」なのであろう。
国家公務員の仕事は、新しい何かを新設するよりも、廃止する方がはるかに大変なのです。
廃止する場合には、既得権を主張する人達の反対が必ずあり、いい加減なデータなどを使用すれば[裁判で負ける]からです。
裁判のリスクを考えれば慎重にならざるを得ません。
新設の場合は、重要法案である「働き方改革法案」を見ても、厚労省と内閣府が説明してきたデータはいい加減極まりなくあの有様でしたが、可決できました。
総理の後ろ盾があるので、設立さえすれば官邸からも評価されます。
教育困難大学といえども、廃止をする労力は膨大なので担当者はやりたくないのでしょう。そもそも何十年も放置した「定員」のあり方を整理するのも大変なことです。
だけども少子化問題はあり、何もしないは許されない。
そこでどうしようかと考えて、地方創生政策に絡めて抑制していまえば楽に問題を10年間も先延ばしにすることが出来きると考えたのでしょう。
ここには教育に対する理念は全くないです。
どうしてこんな事をしているのか?
ただの行政の怠慢を受験生の生贄にして先延ばしするのは反対ですね。
安倍さんは、小泉さんの真似をして第一次政権の時には教育改革を断行しようとしたけど、抵抗により体調を崩した。
第二次政権は、それを踏まえて改革路線から融和路線に変更して、規制を緩和させる真逆の拡大政策を行ってきた。
敵を作るよりも見方を作る方が良いから。
教育困難大学の廃止なんて、絶対にやる気ないだろう。
>都内は保育園とか、特養とかとして使用できるし、大きな土地は利用価値があるので全く問題なし。
>現実として受験学生の進学先を制限するのだから、
もうこうなってくると、この人への受け答えはフロイト的なテーマになってきますね。精神分析の対象として扱っていくしかないです。「教育困難大学」を廃校にして保育園や特養老人ホームにするというのは社会心理学的には納得できますが、現実的な手続きを考えれば荒唐無稽でしょう。私立大学の敷地は私有地なので、国や都が購入しなければ勝手に保育園や特養老人ホームにすることはできません。
ただ、社会的な必要性の観点から項目を置換することは可能です。もしこの置換が可能であれば多くの保護者の負担は減ります。「教育困難大学」を保育園と特養に転換すれば、あとに残るのは「進学希望大学」と保育園と特養ばかりになるので、保護者(特に主婦)にとって望ましいものばかりになるからです。これは夢の中での願望充足の手続きです。
また、「進学先の制限」というのは、夢の中での言葉の転換です。一般論としてはあくまで「定員の厳格化」なのであって、これが「進学先の制限」となるのは個別の事例にすぎないからです。ほんの数%の個別の事例が一般論にすり替わっている。
>ボーダーを無理矢理押し込むのではなく、適切なレベルのところへ順に行かせるべきでしょう。
適切なレベルとは、政治介入により設定されるものではないですね。
そもそも「まともな教育が出来るようになってきた」は、まともな教育をやっていなかったと言っているのと、まだまともな教育が出来ていないと言っているのと同じです。
つまり現状もまともじゃないのです。
それを学生のレベルの所為にしているけど、それを言っている教員の質も大概なんだ。
学生からしたら、政治介入されて定員枠が少なくなっても、まともな教育をやっていない大学には行きたくないから、無理しても上のレベルの大学に行きたいと考えているわけで、だから浪人生が溢れているのです。































