充実した教育環境の日大付属高校
とにかく公立中が嫌
我が家は、とにかく公立中が嫌で中学受験をさせました。
理不尽な内申点、授業のレベルの低さ、生徒同士の過剰な同調圧力等、自分自身がウンザリしましたので、子供は絶対私立と考えていました。大人になっても、中学が公立で良かったことなどありません。幸い、息子は最難関の一つに合格したのですが、そのことよりは、公立中に行かせずに済むことの方がうれしかったです。
とにかく公立中が嫌という方、どんなところが嫌か、お考えをお聞かせ願えますか。
ここの議論を読むと、公立と私立では天と地の差があるような話(私立派)、勉強面では劣るものの総合的に効率がいい(公立派)という構図ですが、日本の場合、正直長い人生で見た場合大差ないですよ。
大差ないの意味は、皆さんの大好きなグローバルで見れば、教育内容の程度の差は公立であれ私立であれ80点か85点かみたいな差であるし、荒れているとかどうとかいう面でも公立と私立の差は同様の差だということです。
教育面では、アメリカの名門校でも日本人の有名大学に入った子が見れば科目によっては驚くほど簡単な内容を教えていたり、荒れているといえばドラッグや暴力・銃器など日本とは程度の違う荒れ方です。
つまり、日本は皆さんが思うよりも基礎学力や生活面では無償の公立であっても相当レベルは高いということで、その上で少しでも良いところを、という意味での私立中に行けばいいと思いますが、それでも大学に入るときや、その後の社会人生活でまた立場が入れ替わる程度の違いなのです。
あとは教養教育を言われる方がいますが、たしかに私立の有名校では学習意欲の高い子どもが集まっているし教員も一流大学出て研究をしていたような人も多いので教養レベルは高いです。ただ、これも同様に、それほどの違いではない。よく、ビジネス書などで欧米のエリートは教養があるとか煽っているものがありますが(歴史がどうとか、芸術がどうとか)、確かにそういう方もおられますが(日本でも家庭環境の学問レベルが高くてそういう方はいますよね)、ほとんどはそうではないし日本と大差ないです。
ハーバード出ていようが、エール出ていようが、ケンブリッジ出ていようが、学校のクラスでそういうものを取った経験はあったとしても社会人になり忘れてしまった人が大半で(心からの興味がないので)全く気後れする必要はないですね。
オッサンになってから歴史を再び学び始めたり、神話や美術が好きになったりは日本人と同じです、年を取ればそういうことに目が向く人は一定程度で出てきます。それから学んだほうがより深く学べます。
学校をどこに行かせるかより、家庭で子どもにどう接するか、どういう思想を日々の生活で話していくか、こちらの方がよっぽど大事だし影響のウエイトは大きいです。
ご家庭の価値観で、どちらでも良いと思います。途中、大学の偏差値が少々違っていても、長い人生で道は変わっていきます。
自分の選んだ道以外の道を非難すること自体、ご自身の教養や知性のレベルが低いということの証明かと思います。
>内申点を見ない枠の制度は神奈川県しかなくなってしまいましたね。
神奈川は確か面接があったので、内申書が基礎資料として扱われる蓋然性が高いと思われます。しかも、公立は湘南くらいしか選択肢がないかも。横浜は多分政令市としては京都並みに公立がお粗末。川崎はもっと微妙。相模原市に至っては何それ食えるのレベルで、公立高校の最大メリットの一つである通学距離の短縮が全然生かせないですから、国公立大志望だと中学受験しかチョイスがないかもしれませんね。早慶志望だと公立中→塾高が合理的(公立中から塾高へ行ってどうするのだという議論は別論。あくまでもコスパの話)
東京都の枠廃止理由はあっ…お察しといったところでしょうかw
地方公立中の音楽や美術ってそこまでひどくないと思う。というのも、そもそも文化レベルが低いので、公立中教員のレベルですぐ市立文化会館レベルのカルチャースクールの講師ができるから。また、音楽や美術は、逆説的だけれども(Fランク私立高校→付属短大→推薦のコース)、むしろ平均レベルは五教科より相対的に高かったと思われる。
自分もモデリアーニやショパンの話を普通に副教科の先生としていたしw
なお、評価がgdgdなのは別論。
>荒れているとかどうとかいう面でも公立と私立の差は同様の差だということです。
ここだけは疑義あり。さすがに私立中学では団地で親のいない子を強制性交して反社会勢力の率いる売春組織に引きずり込んで地方紙にすっぱ抜かれることはレアだと思う。
なお、摘発の最大の理由は「相場を乱した罪」である、念のため補足。
公立中でも私立中でも大差ないとか、それぞれ好みで選べば良いとか言うコメントは、公立中を選んだ人は不快感なく読めるのでしょうけれども、情報としては、ほぼ無価値なコメントです。教育関係では、誰もがより良い選択が出来る訳ではないので、良くない部分について曖昧で抽象的な解説が多いですが、そうした受け入れららやすい解説では、真実はわかりません。
人間はそれぞれ個性もあるし勉強以外の様々な能力を違った形で持っていますから、人生での成功に教育が貢献出来るのは一部です。しかし、有能な人物が教育で失敗したために可能性の芽が摘まれた例は多いです。一定レベルの教育を受けなければ門戸が閉ざされる道が多いことを誤魔化すべきではありません。
また、学習指導要領で画一的に決められた公立中の教育プログラムの質が悪く、学力中底位層が集まる公立中の人間関係や教育環境が劣悪なことも誤魔化すべきではありません。






























