アートの才能を伸ばす女子教育
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
そもそも急に附属の話になったのは
早稲田は一般入試が40パーセント程度しかない!他は推薦!これからは推薦の時代!って主張にそれ附属の内部進学無視してない?って突っ込まれたのがきっかけ
それまで一度も話に出てなかった「附属生は優秀!」が急遽追加された
いきあたりばったりで話してるだけだから深く考えなくてもいいよ
それを小学生でも分かる具体性を持った文章に直していただけますか?
申し訳ないけど、分かりにくいんですよ 笑。
ええ、私の読解力に問題があるので大変恐縮ですけど、小学高学年くらいを想定して、具体的にどうぞお願いします。
西千葉さんの整理は、いわゆる「運」の再定義として興味深いですね。とても分かりやすい。
一般に「運がいい人」という言葉は偶然性の強調として使われがちですが、西千葉さんはそこに、事象の再解釈、転換までの実行力、弾力的な思考という、三点を読み込まれたと。
これは単なる努力論とも異なり、認知の柔軟性と意思決定能力を含めた資質の話になっていますよね。
実際、組織において評価される人材は、失敗や偶然の出来事を単なる結果として処理せず、意味づけを変え、新たな機会として再構成できる人でしょう。
ここに「運を運ぶ才覚」という表現は非常に的確だと思いました。
更に重要なのは、西千葉さんがそれを「見抜く人事の眼力」にまで広げている点。
運を呼び込む人材は、履歴書や試験点数だけでは見えにくい。
例えば、予期しない異動への対応、失敗案件の再生、周囲との関係構築。。。
こうした文脈の中で初めて見える資質です。これを評価できる組織こそ、長期的に強いという指摘も合点がいきます。
つまりこの議論は、単なる「運がいい人」の話ではなく、偶然を機会に変える認知力、それを実行に移す行動力、それを見抜く組織の成熟度という、三層構造の話になっている。
西千葉さんの「運を運ぶ才覚」という表現は、かなり本質を突いていると思いますねぇ。
お見事。
ところで、そもそもこの文章はどのような意図で投稿されましたか?
附属校の拡大は大学の学力低下をまねくという私の意見に対してのものですか?
附属には進学校より運のいい人が多くいる、という意味なのでしょうか。
唐突に見えますけど、勿論何らかの意味合いがあるのですよね?































