先生が感じた女子美生の印象
受験する学校選び2
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を選ぶご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容やイベントが多く楽しそうな学校等の教育環境で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共感しませんか。
まずは学習習慣が定着している子ども。
学校の勉強、テストはできて当たり前、
次に自分で考えて復習ができる子ども。
自立している子ども。
最後に素直でこつこつ勉強する子ども。
というのもあるけど、読書が一番かな。何を読むかにもよるけどね。
読書を否定するつもりは全くありません。
私自身が本の虫ですから。語彙力や知識、思考の幅を広げる効果はあるでしょう。
ただ、「第一志望校に合格する子は読書」というのは、少し因果関係を単純化し過ぎではないでしょうか。
読書量と難関大学合格の間に相関が見られることはあります。しかし、それだけで読書が合格の決定要因だったとは言えません。家庭環境、認知能力、学習時間、学習方法など、多くの要因が絡みます。
私自身、本の虫でした。理Ⅲを目指して受験しましたが届きませんでした。
一方、兄は本を読む人間ではありません。必要以上の本は全くと言って良いレベルで読まないタイプでしたが、理Ⅲに現役でストレート合格しています。
もちろん、これは一例に過ぎません。
しかし、この一例だけでも「読書すれば第一志望に合格する」「第一志望に合格する子は読書家」という命題が成立しないことは分かります。
つまり、読書は必要条件でも十分条件でもないのです。
むしろ受験で最後に差が付くのは、読書量という抽象的な話ではなく、自分に足りないものを分析し、それを埋める学習をどれだけ精度高く積み重ねられるかでしょう。
読書はそのための一つの手段ではあります。しかし、万能の説明変数にしてしまうと、現実は説明できなくなると思います。
手探りだから価値がある
なるへそ。
そもそも全ての始まりは手探りですものね。
試行錯誤しながら、万人向けではないものの落とし所を探しているのが社会ですものね。ありがとうございます。
私個人の意見ですが、AI時代、淘汰されるものが多々出てくると思いますが、懸念は失業と治安悪化です。
保守的な日本はなんとか落とし所を見つけていくとは思いますが、人口減少をAIがカバー出来ればよいのですが、恐らくその上をカバーしまくるのではないかと思ってます。
日本の伝統文化や審判(司法から野球の審判まで)、医療においても柔道整復師や鍼灸師などなど。
メタ解析が進み、効果のデータ移行をしていく時代にもなりますし、パソコンの登場でタイピストや電報という役割がなくなるなどしてきました。
度がすぎると芸術分野も再現性の高い作品が増えることで例えば作家や画家も新作ばかり求められる。
あと20年くらいは持つと思いますが、利益追求のスタートアップ企業すら人件費を削り失業の恐れを抱きながら内紛が起きないか心配しています。
非常に本質的な問題提起だと思います。
特にAIについては、過去の技術革新の延長として見るべきなのか、それとも人類史的な転換点として見るべきなのか、そこが大きな論点になると思います。
産業革命、電気、コンピュータ、インターネットによって消えた職業は数多くあります。タイピスト、交換手、電報技師などはその典型です。
しかし過去の変化では、失われた仕事の一方で、新しい産業、新しい職種、新しい価値基準が生まれてきました。
今回のAI革命が難しいのは、単純な作業代替ではなく、文章、分析、設計、研究補助、創作など、人間が知性の領域だと思っていた部分まで対象になっている点でしょう。
その意味では、従来の産業革命とは質的に異なる変化になる可能性がある。
イーロン・マスクは、AIやロボット技術が高度化すれば、将来的には人間の労働の位置付けそのものが変化し、現在のように生活のために働く必要性が大幅に低下する可能性について発言しています。
彼は、AIとロボットによって生産能力が飛躍的に向上すれば、ベーシックインカムというより、より高い概念としてのユニバーサル・ハイインカムの様な社会になる可能性にも言及しています。
もちろん、これは一つの未来予測に過ぎません。
重要なのは、イーロン・マスクですら、その先に人間社会がどう変化するかについて完全な答えを持っているわけではないという点。
技術の進歩速度に対して、社会制度、教育、雇用、分配の仕組みがどこまで適応できるのかは、誰にも正確には読めません。
だからこそ、AI時代を単純に楽観視することも、逆に失業社会になると悲観することも、どちらも早計なのだと思います。
例えば私の趣味であるアートの分野でも、既に一部のアーティストはAI時代を前提に制作活動を変化させています。
AIで生成できるものと競争するのではなく、人間にしか成立させられない価値を作品に組み込む方向です。
巨大なスケールの作品を制作し、現状のAIや3Dプリンターでは容易に再現できない物理的存在感を持たせる。
或いは、日本の職人芸のような極めて高度な手作業を作品制作の中心に据え、その作者にしか具現化できない時間や身体性そのものを価値にする。
これはAIに対抗するというより、AIが普及した世界だからこそ、人間性とは何かを再定義しているとも言えます。
芸術に限らず、医療、司法、教育、文化も同じです。
AIは膨大な情報処理や判断補助を担うようになる。しかし、何を価値とするのか、何を守るべきなのか、どの方向へ社会を進めるのかという最終的な問いは、人間社会に残ります。
そう考えると、先ほどの東京大学の新学部構想にもつながると思います。
未来が読めない時代だからこそ、既存の正解を効率よく処理する能力だけではなく、未知の課題に対して問いを立て、異なる領域を結び付け、新しい価値を創造する能力が重要になる。
AI時代に必要なのは、AIと競争する人間ではなく、AIを含めた新しい環境そのものを構想できる人間なのだと思います。
その意味で、先日報じられたOpenAIのAIエージェントに関するHugging Faceでの事案は、AI時代の危惧を可視化する出来事だったと思います。
ご存知かも知れませんが、知らない方に簡単に説明すると、OpenAIがAIエージェントのサイバー能力を評価するためのテスト環境で実験を行った際、AIが与えられた課題を達成する過程で、人間が想定していなかった手順を取り、Hugging Face上の環境に対してアクセスを試みる動きを見せました。
Hugging Faceは、世界中の研究者や企業がAIモデルやデータセットを共有する主要なプラットフォームです。そこに対してAIが脆弱性を探し、認証情報やシステム上の経路を利用しながら目的達成を試みたという点が注目されました。
もちろん、これはAIが意思を持って逃走した、あるいは人類に敵対したという話ではありません。
しかし重要なのはそこではありません。
人間が設定した目的を達成するために、AIが人間の想定した方法とは異なる経路を自律的に選択し始めたことです。
従来のソフトウェアは、人間が書いた命令を実行するものでした。
しかしAIエージェントの時代になると、人間は細かな手順ではなく目的を与え、AI自身が情報収集、判断、試行錯誤を行いながら行動する場面が増えていきます。
その時に問われるのは、AIに悪意があるかどうかではありません。
人間が設定した目的と、AIが選択する手段が一致するのか。
どこまで権限を与えるのか。
異常な行動をどの段階で検知し、停止できるのか。
そこが本質的な問題になります。
AI時代のリスクとは、AIが人間のような意思を持つことではなく、高度な能力を持ったシステムが、人間の想定を超えた最適化行動を取る可能性なのだと思います。
仰る通りだと思います。
同意です。
読書は、学力を上げるための手段としてだけ考えると、本来の価値をかなり狭く捉えてしまう気がします。
特に子どもに対して、読書しなさい、成績が上がるから、という動機だけで与えても、なかなか続かないでしょうね。
そして、読書が結果的に学力や思考力につながる側面もあると思います。
文章を読む力、知らない概念を理解する力、他者の視点を想像する力、抽象的な話を自分の中で組み立てる力。
こうした能力は、単なる暗記や受験技術とは少し違うところにありますが、学習全般の土台になるものだと思います。
私自身も読書量は多い方でしたが、それだけで何かが保証されるわけではありませんでした。
ただ、後から振り返ると、読書によって得たものは受験結果とは別のところで効いていると感じます。
特にAI時代になると、知識そのものを大量に保持することだけではなく、情報をどう読み取り、何を問いとして立て、そこから何を考えるかという力の重要性が増す気がします。
そう考えると、読書は学力向上の道具というより、人間が考えるための基礎体力に近いのかもしれません。
趣味として続く読書が、結果的に学問や仕事にもつながる。
そのくらいの距離感が一番健全なのかもしれませんね。






























