先生が感じた女子美生の印象
受験する学校選び2
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を選ぶご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容やイベントが多く楽しそうな学校等の教育環境で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共感しませんか。
ちまたで流行りのグローバル教育や探究学習に変えていくと君は認めているじゃないか。
ちまたで流行りとは、それだけ保護者たちや子どもたちのニーズがあるから流行りなんだよ。
教育ニーズがあるからグローバル教育や探究学習に移行する。それに気づこう。
そこ、事実と因果関係を完全に混同しています。
伝統校がグローバル教育や探究学習を導入したことは、そういう教育に変えた学校が存在するという事実を示しているだけです。
その学校が人気化したとしても、人気化の原因が教育内容だったとは限らない。
校名変更、経営陣の刷新、教師陣の入れ替え、広報、立地、募集戦略、大学合格実績、共学化など、同時に変わった変数はいくらでもある。
さらに、保護者のニーズがあるから流行っている、というのも循環論法です。
人気だからニーズがある。
ニーズがあるから人気になった。
これでは原因を説明していない。
本当に教育ニーズを論じるなら、導入前後で志願者層がどう変わったのか、何が選好理由になったのか、導入した教育内容が学力、進学実績、大学卒業後の成果、非認知能力などにどんな効果を出したのかまで見なければならない。
まして、学校が生き残るために流行している教育を導入することと、その教育が教育学的に優れていることは全く別です。
需要がある商品と、優れた商品も同じではない。
教育は市場人気だけで効果を判定するものではありません。
学校が変わっている。
人気も出ている。
だから教育内容が正しい。
この三段論法には、肝心の因果関係が一つも証明されていません。
現実を見ろというなら、まず現実のデータで因果関係を示すべきでしょう。
上手く伝えられず、すみません
探求学習やグローバル教育という考えは、作られた流行じゃないの?と言いたいわけです。
メディアが急に激推しする芸能人みたいな感覚かな。
しかし探求グローバルはこのスレだとギャグ大賞級だからもういいわ。
市川も共学にしてリベラルアーツ、SSH、グローバル教育など新しい教育を実践していることから人気となった。
新しい教育を実践している中高が人気となるのは、社会の変化に伴ってそうした新しい教育が必要だと共感する保護者たちや子どもたちが集まるからだ。
誰も教育内容が正しいとは言っていない。
結果を出すかどうかだけだ。日本の従来の教育で結果を出せなかったのだから、新しい教育で挑戦する必要がある。
探究学習が結果を出すのか
グローバル教育が結果を出すのか
それだけだ。
スタンフォードなど米国トップ大学が結果を出しているのだから、彼らから学べばいい。
結果とは知を創出し、その知見や研究成果等を経済的価値として創出する人材を輩出することだ。
オープンAI、アンソロピック、グーグルなど世界を変革する人材を輩出する。日本の経済成長を牽引する人材を輩出する。
そのための教育は尖った才能をのばす教育に尽きる。
従来の日本の教育、知識偏重、与えられた知識体系を受け身で学ぶこと、答のある問題を早く正確に解くこと、学力専門人材などではなく、経済成長を牽引する人材を輩出することが重要。
いや、結果だけを見るなら、なおさらそんな単純な話にはならないでしょう。
まず、スタンフォードから起業家や研究者が出ているという結果と、スタンフォードの教育がその結果を生んだことは別です。
そもそもスタンフォードは、世界中から突出した才能と資源を集め、莫大な研究費、産業集積、投資家、企業、卒業生ネットワークの中に学生を置いている。
そこで生まれた成果を、教育手法だけの成果として切り出すことはできません。
さらに、結果を経済価値だけで定義するのも恣意的です。
科学的発見、基礎研究、医療、公共政策、教員、技術者、インフラを支える人材まで、社会に必要な成果は起業やユニコーンだけではない。
そして一番大きいのは、従来の日本教育が結果を出せなかったという前提です。
日本は戦後、製造業、基礎科学、医療、インフラ、精密技術などで巨大な成果を出してきた。
現在の経済停滞を教育だけに帰責する因果関係も示されていない。
つまり、
日本教育は失敗した。
米国トップ大学は成功した。
だから教育方法を米国型に変えれば日本も成功する。
この三段論法には、肝心の因果関係が抜けています。
探究学習やグローバル教育を試すこと自体は構わない。
尖った才能を伸ばすことも重要でしょう。
ただし、それを唯一の解としてしまえば、今度は別の知識偏重に対する反動で、尖った人材偏重という別の単純化をしているだけです。
教育改革で本当に問うべきなのは、何を流行らせるかではない。
どの能力を、どの集団に、どの方法で伸ばせば、どんな社会的成果が生まれるのか。
そこまで検証して初めて、結果を語れるんですよ。
そして最後に一つ。
あなたは、その教育改革をどの立場から評価しているのでしょう。
教育研究者として効果を検証しているのか、企業側として人材の成果を見ているのか、それとも保護者として教育を選択しているのか。
立場によって、結果の定義も評価軸も当然変わります。
まさか、スタンフォードなどが結果を出しているから、それを見て正しいと判断しているだけではないですよね。
それなら結局、実証ではなく成功者を見て教育方法を逆算しているだけです。






























