先生が感じた女子美生の印象
受験する学校選び2
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を選ぶご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容やイベントが多く楽しそうな学校等の教育環境で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共感しませんか。
子どもに無理をさせたくないという親が増えた。
以前は学力を顧みず、難関校を受験させる親が多かったのに、最近は子どもが嫌にならない程度に頑張らせて入れる学校に入ればいいという親が多い。しかも途中で子どもがやりたくないと言ったらやめればいいというスタンスの親が目立つ。
子どもの暴力事件が過去最多となっており、感情を抑えたり、望まないことも一定時間取り組んだりする経験の附則と無関係ではないと考えられる。
小さいときから我慢することを学ぶことは大切だ。
以上
中学受験などに参入する家庭が増えたからかと思ったが、ゆとり教育世代は親に叱られたことがないので子どもを叱ることができないという説明だった。本当かいな。
これ、子どもが嫌がることを無理にやらせるべきかどうか、という単純な話ではないと思う。
本質はもっと別のところにある。
子どもが嫌と言った瞬間に、大人が環境そのものを消してしまうことだ。
宿題が嫌なら宿題を減らす。
厳しい塾なら塾を辞める。
苦手な人間関係なら、最初から関わらせない。
こうして世界を少しずつ無菌化していく。
その結果、本人は確かに快適になる。
だが、その快適さの代償は何か。
負荷に対する耐性そのものが、静かに失われていく事。
筋肉と同じで、負荷を取り除き続ければ、負荷に耐える力は育たない。
私は実際にそれを自分の身体で経験している。
仕事量を極小化し、仕組み化で最大効率を作り、人間関係も極限まで絞り、ほとんどストレスのない環境を作った。
その結果どうなったか。
驚くほどストレスに耐えられない自分を痛感するのだ。
つまりこういうことだ。
ストレスがないことは、ストレスに耐えられない人間を作るだけ。
前者を徹底すればするほど、後者は確実に増える。
子どもも同じ。
暑熱順化をしなければ、身体は猛暑の中ですぐに悲鳴を上げて熱中症で倒れる。
社会も同じ。
いくら親がストレスを取り除こうが、現実社会には理不尽があり、失敗があり、競争があり、嫌いな人間がいて、自分の思い通りにならないことが日常として存在する。ストレスのかたまりなのだ。
それなのに、学校や家庭であらゆる不快を取り除いてしまったらどうなるか。
その瞬間は、たしかに優しい世界に見える。
しかし社会に出た瞬間、その不快を誰が取り除いてくれるのか。
ここで起きるのは単純な二択だ。
自分が壊れるか、人を壊すか。
今の社会、そんな事例に溢れていないだろうか?
耐えられない人間は、自分を壊すか、あるいは環境を攻撃してでも変える側に回る。
問題は、嫌なことをさせるかどうかではない。
嫌なことから逃げる自由を残しながら、それでも逃げずに耐える経験を同時に持たせられるかどうかだ。
快適な環境を作ることと、快適でない環境でも壊れない人間を育てることは、似ているようでまったく違う。
子どもを守るという行為が、いつの間にか環境に適応する機会そのものを奪っていないか。
そこを見誤ると、優しさはそのまま、静かに狂気へと変わってしまう。
最後の、ゆとり教育世代は親に叱られたことがないから子どもを叱れない、という説明には、私自身ゆとり世代ですが、ほんまかいなと思いますね。
寧ろ私は以前から、子どもを叱らない親が目立つのは、現在のアラフィフ以降の世代だと感じていた。
もちろん世代差を全部否定するつもりはない。育った時代や家庭観が違えば、子育ての作法にも違いは出る。
ただ、少なくとも今の若い親を見ていると、普通に叱るし、駄目なものは駄目と言っている。
では、なぜこの記事ではゆとり世代が原因になるのか。
ここがよく分からない。
しかも、ゆとり世代が受けた教育は、単純に叱らない教育ではない。
自分で考える。
自分で選ぶ。
その代わり、自分で責任を負う。
自由と責任をセットで教える教育だった。
だから、子どもの意思を尊重すること自体には違和感がない。
問題はそこから先だと思う。
子どもの意思を尊重することと、子どもが嫌がった瞬間に負荷そのものを大人が取り除くことは全く違う。
嫌ならやめていい。
苦しいなら環境を変えてあげる。
失敗しそうなら最初から避けさせる。
こうした価値観が広がった理由を、ゆとり世代という一つの世代属性だけに還元するのは無理がある。
むしろ、親世代の価値観、少子化、学校教育の変化、子どもの権利意識、受験市場、SNSなど、複数の変化が重なっている。
そして何より、記事自身が子どもの暴力増加と我慢する経験の不足を関連づけているなら、必要なのは世代の犯人探しではない。
なぜ子どもが不快や失敗を経験する機会が減ったのか。
そこを掘らないと、原因を取り違えると思う。
Mさん良いこと言うね。
自分含めて老若男女人は楽な方、許してくれる方に流れてしまうよね。
一度味わったぬるま湯から抜け出すのは難しい。
暴力や人格否定は良くないけど、旧日本軍(想像の域を越えないが)、戦前を生きた人達はしっかりしている方が多い気がする。
また、ゆとり世代って真面目な人多いよ。
目的意識や将来像をしっかり持ってる方多いし。履き違えた方は打たれ弱いけど。
親がゆとり世代だからと因子を断定せずに複数の因子を具体的にあげるのはMさん特有で上手いです。
ただ確かドンピシャゆとりは平成七年生まれらしいよ。
放置系と徹底管理系の子育てを両極としたら、放置系の方が駄目な人間になりやすいといわれる。
徹底管理系の場合、酷いときには殺傷事件や無気力になったりするリスクもある。
子育ては難しい。
自走して学んでくれる子どもがいたら理想だろうけど、中学受験は山のような演習等を限られた時間でしなければならず、自走できる子どもは限られるだろう。
親なら誰でも子どもに苦労をかけさせたくないと思うだろう。附属が人気なのも子どもに大学受験などさせるより、のびのび育ってほしいと願う親が多いからだろう。
中学受験を突破した子どもより帰国生の方が明るく快活にみえるように、受験勉強を子どもに強いたくない親がいるのはよくわかる。記事ではそれが大きく誇張されているが、現実にも事例が多いのは事実なんだろう。






























