先生が感じた女子美生の印象
受験する学校選び2
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を選ぶご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容やイベントが多く楽しそうな学校等の教育環境で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共感しませんか。
夏休みはつらい 親のイライラ
逃げ場を失う子どもたち
という記事に
給食のない夏休みはネグレクトで親から食事が与えられず餓死寸前となる子どもたちか少なくない。
一日中顔を合わせることで親のストレスとなり、暴力などの虐待が増える。
安全なはずの家庭でなぜ子どもがSOSと訴えるのか。
お弁当を忘れたと子どもがいった場合はネグレクトのリスクが高い。
夏休みは受験戦争が過熱する時期。子どもの成績不振に親のイライラがつのり、取り返しのつかない事件に発展する事例もある
以上
他方、こんな記事もある。保護者が子どもに過度に介入したり、ネグレクトで食事を与えなかったりする親もいれば、子どもに嫌なことをさせない親もいる。親と子どもの関係は各家庭で大きく違う。
夏休みというのは、子どもにとって楽しい季節であると同時に、家庭の姿がむき出しになる季節なのだと思う。
給食がなくなれば、食事を用意してもらえない子どもにとっては、生存そのものが家庭に依存する時間になる。
学校という逃げ場がなくなれば、家庭内の暴力やネグレクトから逃げる場所もなくなる。
一方で、毎日子どもと向き合う時間が増えることで、親の疲労や苛立ちも蓄積する。
受験家庭なら、成績という数字まで毎日目の前にある。
つまり夏休みは、家庭が温かければ温かいほど幸福な時間になる一方で、家庭に問題を抱えている子どもほど逃げ場を失う。
ここが非常に悲しい。
同じ夏休みなのに、ある子にとっては朝から母親が作った弁当を持って友達と出かける季節で、別の子にとっては冷蔵庫を開けても何もなく、親の機嫌を伺いながら一日を過ごす季節になる。
さらに難しいのは、親の関与も多すぎれば問題になり、少なすぎても問題になることだ。
過干渉で子どもの人生を支配する親もいる。
逆に、子どもが助けを求めても放置する親もいる。
嫌がることを一切させない親もいれば、子どもの人生を自分の成績表のように扱う親もいる。
親子関係には、これほど大きな振れ幅がある。
だから、子どもにとって本当に必要なのは、単純に親が優しいことでも、厳しいことでもないのだと思う。
安心して帰れる場所があり、そのうえで必要なときには大人が介入してくれること。
そして、子どもの人生を奪わない程度に距離を取りながら、放置もしないこと。
言葉にすれば簡単だが、実際には極めて難しい。
夏休みは、その家庭の光も影も、学校という緩衝材がなくなることで一気に露出させる。
だから私は、夏休みの記事を見るたびに、楽しい夏休みという言葉の裏側にいる子どもたちのことを考えてしまう。
同じ一日でも、その子が置かれている家庭によって、天国にも地獄にもなり得る。
それが、子ども自身には選べないということが、一番悲しい現実なのだと思う。
だからこそ、子どもの安全を家庭の善意だけに委ねてはいけないのだと思う。
学校は勉強を教える場所であると同時に、家庭の外から子どもの状態を確認できる数少ないセーフティネットでもある。
給食も同じだと思う。単なる昼食ではない。家庭で十分な食事を取れない子どもを、毎日発見できる仕組みでもある。
夏休みになると、その接点が突然なくなる。
ならば、長期休暇中こそ学校、自治体、学童、子ども食堂、福祉機関などが緩やかにつながり、食事だけでも、居場所だけでも、子どもが家庭の外と接点を持てる仕組みが必要になる。
そして重要なのは、問題が起きてから救うのではなく、SOSになる前に拾うこと。
お弁当を忘れた、急に痩せた、夏休み明けに様子が変わった。
一つ一つは些細な兆候でも、それを継続的に見られる大人がいるだけで違う。
親を監視するためではない。
子どもには家庭を選べないから、家庭だけでは守れない瞬間を社会が補うためだ。
家庭を理想化するのでも、親を悪者にするのでもない。
親が疲弊したときにも、子どもが家庭で傷ついたときにも、どちらにも逃げ道がある社会を作る。
本当の意味で子どもを守るというのは、そこまで含めた話なのだと思う。
夏休み明けの9月1日周辺は子どもが一番〇〇する時期という事実がある。
家庭が最高の場所でも学校が苦痛の場所である子どもも多数いる。通信制の学校に学生が劇的に増えているように、学校や社会に適応できない子どもも多数いる。もちろん通信制の学生はすべてそういう理由ではない場合もあるが、不登校は過去最高を記録している。
実は家庭の問題だけでなく、学校や社会にも問題があること模擬多い。
ここは少し慎重に考えた方がいいと思います。
9月1日前後に自殺が増えるという事実があったとしても、学校が始まったから自殺した、と直ちに因果関係を結ぶことはできません。
自殺は、家庭、学校、人間関係、精神状態、孤立、過去の経験など複数の要因が重なって起きるもので、発生した日付だけから原因を特定できるものではない。
寧ろ精神疾患について身近で見てきた経験からすると、そこは単純化できないと強く感じます。
例えば双極性障害では、最も深い抑うつ状態、分かりやすく言えば精神どん底状態そのものではなく、そこから少し回復して活動性が戻った時期に、自殺リスクが高まることがあります。
だから、学校が始まった直後に自殺したから学校が原因、とは言えない。
これは家庭でも同じです。
夏休み中に家庭で起きたから家庭が原因、学校が始まってから起きたから学校が原因、という単純な話ではない。
大切なのは、家庭だけが悪い、学校だけが悪いと犯人探しをすることではなく、子どもの状態を継続的に見て、危険な変化を早期に拾える仕組みを家庭、学校、医療、福祉の間に作ることだと思います。
因果関係を慎重に扱うことと、学校や社会の問題を無視することは全く別です。
寧ろ本当に子どもを守るなら、そこを混同しないことの方が重要ではないでしょうか。
例年子どもの〇〇が最も多いのは9月はじめ。
それはおそらく偶然ではない。学校にいくことに躊躇する時期だからだろうと想定できる。
もちろん学校や家庭のせいだというつもりはない。家庭も学校も慎重になるべき時期だということ。
9月はじめに子どもの自殺が増えるという事実があるなら、学校や家庭が慎重になるべき時期だという点には同意します。
ただ、そこから学校に行くことへの躊躇が主因だろうと推測するのは、少し慎重であるべきだと思います。
私は身内に自殺者がいるので、この問題だけは理屈だけでは割り切れません。
大人と子どもの自殺を同じように扱ってはいけないことも分かっています。
ただ、実際に身近で見てきて痛感したのは、死を選ぼうとしている人間の内側は、外から想像するほど単純ではないということです。
本人にとっては、死が問題から逃げる手段ですらなく、苦痛そのものから解放される唯一の出口になってしまうことがある。
家族がどれだけ生きてほしいと訴えても、その言葉が届かない。
悩みを解決したい、環境を改善したい、誰かに助けてもらいたいという段階を、すでに通り過ぎていることすらある。
生きていることそのものが苦痛になってしまえば、逃げるという選択肢すら本人には残っていない。
だから、学校が始まった時期に自殺したから学校が原因、とは私は考えません。
精神状態、家庭、学校、人間関係、孤立、病気、過去の経験など、いくつもの要因が重なっている可能性があるからです。
身近な経験でも、例えば双極性障害では、抑うつのどん底だけでなく、そこから活動性が戻ってくる時期に危険が高まることがある。
外から見ると少し元気になったように見えるのに、その時期に行動することがある。
だからこそ、9月という数字を単純な因果関係に変換してはいけないと思います。
ただし、因果関係を断定できないことと、9月はじめを警戒すべきことは両立します。
学校が始まる。
生活リズムが変わる。
人間関係が再び動き出す。
本人が抱えていた問題が一気に現実として迫ってくる。
そうした環境変化が、すでに限界に近かった子どもの状態を悪化させることは十分考えられる。
だから必要なのは、学校が悪い、家庭が悪いという犯人探しではない。
9月はじめという時期に、子どもの小さな変化を見逃さないこと。
そして、本人がもう助けを求める力すら失っている可能性まで含めて、大人側が見に行くこと。
自殺は、最後の一瞬だけを見ても分からない。
その子がそこまで追い込まれていく過程を、どれだけ早く見つけられるか。
私はそこが一番重要だと思っています。






























