先生が感じた女子美生の印象
受験する学校選び2
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を選ぶご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容やイベントが多く楽しそうな学校等の教育環境で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共感しませんか。
>やる気のないのり子どもにどう対応したら良いのか、それが多くの保護者の知りたいことなのではないか。
そんなこと、人に聞いて教えてもらえるほど単純な事じゃない。
例えばパティシエになりたい子は、フランス留学のために第二外国語にフランス語がある中高一貫校を目指したいとスイッチが入るかもしれないし、入らないかもしれない。
あと、努力にも、努力遺伝子があるっていいますよ。努力遺伝子がなさそうなら公立でいいんじゃないの?
今世界でも子どものSNSを規制しようという動きがあり、中学生くらいまでは法律でSNSを規制
している国が多くなってきている。親としてもSNS規制してほしいと思う親もいるだろう。
世界中の子どもたちがSNSに嵌って家庭環境に悪影響を及ぼすとともに子どもの育成にも悪影響を及ぼしつつある、
家庭内でSNS等の利用ルールを決めても、守られないことも多い。
オンオフを自立的にしっかりできない子も多い。友達が多く常に誰かからコメントが入る子の親も、友達との関係も大切だとは思うものの、学びが足りていない子もいる。
誘惑を減らす環境をつくるにしてもいろいろと難しい状況だろう。
アイデアを出し合うことで、気づかなかったことに気づくこともある。
また、ある子どもにはうまくいくアイデアもあれば、まったくうまくいかないアイデアもある。
学校でも塾でもそうだが、個人で出し抜こうとする人より、みんなで学びを向上させていくことの方が気づかなかったことも気づくきっかけになる。
個人主義の学校より学校やクラス、グループ、仲間たちみんなで向上しようという学校やグループ等は、大学合格実績等も良くなる傾向にある。
SNSの問題は学校の友人たちと家庭にまで持ち込むことにあるんでしょう。
学校内はリアルに友達と会話できるのでSNSとかスマホそれ自体はあまり問題にならないでしょ。
家庭内で友達等とSNSを通じてコミュニケーションし続けるので、家庭内で自立的に学ぶことが困難になっているんだろう。
向上心のある友達たちならSNS使っても良い部分はあるけど、多くの場合は違うからね。
そこはまさに、私が言っている内容だと思います。
SNSを規制する、利用時間を制限する、家庭でルールを決める。これらは外部から誘惑を減らして、子どもが学習に向かいやすい条件を作る介入です。
ただ、そこで問題になるのが、外部から誘惑を取り除いた後に何が残るかです。
同じようにスマホを制限しても、自分で机に向かえる子と、別の刺激を探してしまう子がいる。ルールがあるから守れる子と、監視がなくなると崩れる子もいる。
つまり、環境調整は必要条件になり得ても、それだけで学習行動の個人差を説明する十分条件にはならない。
むしろ中学受験のように長期間の継続が必要な場面では、最終的には外部から誘惑を除去するだけではなく、外部の統制がなくても自分で行動を調整できるところまで移行できるかが重要になるのでしょう。
だから私は、SNSを規制することに反対しているわけでも、家庭環境を軽視しているわけでもありません。
環境によって行動を変えられることと、環境がなくても自分で行動を制御できることは、別の能力です。
そして、医学部に届くような子を見ていると、後者の強さを感じることが非常に多い。
結局、良い環境を作ることと、自分で自分を動かせる人間を育てることは、同じではないのだと思います。
SNS規制や家庭内ルールがなくても自立的に学ぶ能力との違いなんて誰でもわかる。
問題は自立的に学ぶ能力はどのように培われるのかに尽きる。
それは生得的なものであって保護者の導きではできないというなら遺伝や地頭論と変わらない。言葉を変えているだけ。みずから学ぶには何が必要か、
自立的に学ぶにはどうしたら良いのか、オンとオフをきり分け自立的に学ぶためにはどういうことが必要か、ということが明確ではない。
多くの中学受験保護者や中学入学後の保護者の悩みはその一点に尽きる。
いや、そこは私の考えが少し違います。
私は、自立的に学ぶ力が生得的なものだけで決まるとは考えていません。寧ろ、先天的な個人差がかなりあることを認めた上で、環境や経験によって伸ばせる部分もある、と考えています。
以前から書いている通り、必要なときにスッと学習モードに入れるスイッチ力や、面倒でも一定期間努力を継続できる力には、かなり大きな個人差があります。気質や実行機能、自己制御傾向など、生得的な要素も強い。努力できること自体が、残念ながら一種の才能だと思っています。
ただ、だから保護者の導きが無意味になるわけではありません。
誘惑を減らす。生活リズムを整える。本人に目標を決めさせる。自分で計画を立てさせる。実行した結果を振り返らせる。最初は親が支えて、徐々に本人に管理を移していく。
こういう経験を積ませることには意味があります。
ただし、ここで重要なのは、SNSを取り上げれば自立できるようになるわけではない、ということです。
親がスマホを管理しているから勉強できる子と、管理されなくても自分で切り替えて勉強できる子は違う。
だから環境調整は必要になり得るけれど、それ自体が自立性ではない、と言っています。
そして、先天的な差があることと、後天的に伸ばせることは矛盾しません。
同じ環境、同じ働きかけをしても結果に個人差が出る。だからといって、働きかける意味がなくなるわけでもない。
多くの中学受験保護者が悩んでいるのが、まさにその境目です。
いつまで親が管理するのか。どこから本人に委ねるのか。本人の特性を踏まえて、どうやって自分で切り替え、計画し、実行し、振り返るところまで持っていくのか。
私は、自立的に学ぶ力を 生まれつき か 親の教育 か の二択で考えること自体が違うと思っています。






























