最終更新:

80
Comment

【908286】よかったよね。この学校にして。

投稿者: でも、楽しかったね。   (ID:HyBJyA4gQ2g) 投稿日時:2008年 04月 21日 22:29

桜の花も散ってしまい、どこの中学でも入学式を終えましたね。
受験終了組みの皆さんはどんな入学式でしたか?


真新しい制服を着て、パンパンのずっしり重い通学カバンを抱え持ち、
新しい学校に向かう我が娘の姿を見ると、
わずか2ヶ月前の、あの受験で戦っていたあの頃より、
ずいぶんたくましく?なった気がするのは私だけでしょうか。


我が家の入学式の日の出来事を一つ紹介します。
受験が終わって、入学式の前までに新しい制服が届き、娘も受験であれほど行きたかった学校へは進学できないことの未練はやっと切り捨てて、進学することに決めた学校に日々少しずつわくわくして来ている様子でした。
入学式も無事終了して、「なんか、いい入学式だったね。」って、親子で言いながら、帰る電車を待ち、ドアが開いて、電車に乗り込みつり革に捕まった私たち。その前の座席に座っている中学生。。。。なんと、娘が恋焦がれたあの制服をきた学生の集団が乗っていた車両にドンピシャり。。。。一瞬、凍りつく我が娘。急に無口になる我が娘。
まずい。。。。
そこでとっさに出たわたしの言葉は「これは、神様からの試練なのかも知れないよ。気にしない。気にしない。」
後ろを見ても、前を見ても、目に入るのは、あの学校の制服ばかり。。。。

私たちの降りる駅まで、無言の我が娘でした。。。。

でもね、初日に先制パンチを食らったわけでしたが、その分、今回は立ち直りは早かったですね。
なんか、この遭遇の一件で、親も子も逆にかなり吹っ切れました。

「絶対、リベンジするぞー」って言ってますし。。



冷静に考えれば、「数字だけの塾中心の受験の業界にかなり踊らされていたのかなぁ」って、受験終了から、この数ヶ月を経た今、日々冷静になるにつけ、そう思えて来たりしています。偏差値だけにとらわれすぎた自分を少し、親として反省しておりますです。



うちの場合は確かに結果的には第3志望校への進学になってしまいましたが、
あと何年かして、「よかったよね。この学校にして。」って、親子共々思えればそれで
万事OKだと考えています。

最近、塾通いをしている来年度受験生を目にするにつけ、昨年の我が娘の姿と、いろいろなつらかったり、楽しかったりした受験までの出来事が、
ダブってしまう弱い親ですが、「みんな、がんばれ。」って、心から思っている今日この頃です。


行きたかった学校には進学できずに、第2第3志望校へ進学し、でもでも「よかったよね。この学校にして。」って、体験あったら聞かせてください。




返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「中学受験情報に戻る」

現在のページ: 10 / 11

  1. 【953872】 投稿者: 偏差値は万能のモノサシ  (ID:CuiynWXTvOk) 投稿日時:2008年 06月 16日 16:40

    ・・・ さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 漢字を見ただけで覚えられる子もいれば、
    > 100回書いてやっと覚える子もいる。
    > どちらの子にも与えられた時間は同じ。
    >
     
     
    違うんですよ。あなたのおっしゃることは極端ですよ。「見ただけで憶えられる子」も「100回書いてやっと憶える子」もどちらも「少数」です。
     
    ほとんどの子は「10回書いて憶える子」か「10回書くことができなくて憶えられない子」なんですよ。
     
    わかりますか?
     
    勉強というのは「やればできます」し、「やらなければできません」よ。
     
     
    なぜ、そう思うか?
     
    勉強のできる最高峰である「東大・法学部」を出て「財務省等の官僚」となった「あなた方のいう天才ら」が何をしているんですか?国を正しく導いていますか?
     
    また、やはり「東大・医学部」を出て「各医療機関の長」となった「あなた方のいう天才ら」が「医療への貢献」に対して何をしていますか?とんと聞きません。
     
    所詮、勉強ができるということは「暗記の積み重ね」でしかありませんよ。そんなことができたからと言って、彼らは天才でもなんでもありません。
     
    ただ、努力は認めるべきですが。
     
    ですが、努力では「劇的な効用」はありません。天才らであればそういうことをしてほしいですがね。所詮、できないのです。
     
     
    繰り返しますが、偏差値の高い、いわゆる勉強ができる子らは、努力する子、ではありますが、天才、ではありません。
     
     



  2. 【953897】 投稿者: へえ  (ID:.e4eVxurgQc) 投稿日時:2008年 06月 16日 17:11

    偏差値は万能のモノサシさん

    私はスルーなんだ?

  3. 【953906】 投稿者: 偏差値は万能のモノサシ  (ID:CuiynWXTvOk) 投稿日時:2008年 06月 16日 17:33

    へえ さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >
    > つまり才能、努力の量が様々なお子さんが、同じ結果を得る訳です。
    > なので、前の方にあった「偏差値が同じだと価値観が同じ」という事は有り得ない
    > と思います。
    >
     
    偏差値が同じであるメリット
     
    ≪子供ら≫
    目的とする大学のレベルが同じくらいであるから、受験に関する情報もかなり共有できる。ゆえにクラスメイトや先輩・後輩らは相互に影響を受ける。
     
    ≪学校側≫
    子供らのメリットにも共通するが、いろいろな指導を効率化できるのでより密度の高い指導ができる。
     

    要するにね、最初は、学力が同じ、というくくりで集めるが、そのくくりに対して、画一的な指導をすることにより、自然と価値観も似通ってくるということですよ。

  4. 【953923】 投稿者: へえ  (ID:.e4eVxurgQc) 投稿日時:2008年 06月 16日 17:51

    メリット云々はさておき。

    「偏差値が同じだと価値観が同じ」は撤回される訳ですか?

    「偏差値が特定の範囲の子供を集め、ある集団を作る。」
    「ある集団に画一的な指導を行い、共通の価値観を持たせる。」
    という事ですか?


  5. 【957343】 投稿者: ??  (ID:SWfRgwQhUn2) 投稿日時:2008年 06月 20日 13:02

    横の横みたいですが・・・・

    このスレ主さんって本当に受験したお子さんが居るのでしょうか?
    そうで無いなら、第一志望校にラクラク受かったお子さんの居る人かな?
    こんな事書くと
    私は「志望校に合格させてあげられなかった父親です」と反論されそうですが、
    なぁ〜んか
    傷ついた(?)父親を”演じる”ことが楽しそうで。。。
    時々横道に反れるのがつまらないのか、出番が来ると長々と心情を書き連ねる。
    でも”説明”し過ぎになってきてる感じがしてます。

    面白くなくなってますよぉ〜!!

    私などスレ主の長いコメントはすっ飛ばし、その後の反論(?)のみ楽しませて読んでます。
    このまま演じ続けるのか。。。違う面を見せてくれるのか。。。
    半分期待を込めて書き込んでみました。(笑)

  6. 【965492】 投稿者: スレ主  (ID:i82kwuRH8pA) 投稿日時:2008年 06月 28日 23:29

    さて、久しぶりのスレ主です。
    今年受験を迎える親御さんたちは、夏休みもあと1ヶ月となり、やれ夏期講習をどうしようとか、模試の偏差値が上がったとか、下がったとかで家庭内も妙な受験色に染まってきているころと思います。
    そーいえば、去年、私のうちでもこの時期から説明会や模試に振り回されはじめ、あーだこーだとカンカンガクカクの時期でもありました。
    懐かしいものです。
    これはこれで「家族の絆」を深める本当にいい時間でしたよ。
    皆さんも、「パパもママも子供も共通の目標」のある、共通の話題で是非この機会に愛の絆を深めてくださいね。

    あのころもう少し冷静に、もう少し別の角度から学校選びをしていたらどうだったかなー、なんて、たった今思った次第です。
    塾や周りのうわさや情報に流されていたのかなぁーって思いますね。正直。

    でもね、不思議とその子にあった学校に進むようになってるんですよね。
    ほんと不思議です。
    その子に合ってくるんですよね。
    負け惜しみじゃなくって、ほんと今ではこの第三希望校が本人にとっては一番の進む道だったかも知れませんね。
    たった数ヶ月過ぎただけだけど、そう思うんですよね。我が娘を見ているとね。
    っていうか、「そう思いたい」っていう思考が私の脳みそを洗脳してるのかも知れないですけどね。


    それとね、今思うと、本当に不思議なんですけど、実は実話なんですけど、説明会や文化祭での私が感じた「直感」っていうか「心の奥になんとなく見えるもの」がいくつか何度かありました。
    説明会で足を運ぶたびにいくつかの学校が「素晴らしいー」って共感でき、そして「子供をぜひとも行かせたい」「受かって欲しいー」って強く思いました。
    そして、親子で最終決定をした第一希望校。
    でもね、今だから言えるけど、ある日はっきりと「娘の通学する姿」が私のこころの奥に見えたのは、今通っている第三希望校だったんです。
    第一第二希望校はそのイメージできる姿があったもの、その鮮度っていうか、はっきり度合いが違ってたんです。
    誰にも言ってはいないんですが、第三希望校に伺ったときに、私がふと感じた不思議な気持ちが、あったんです。
    「この学校に通っている娘の制服姿が見える」。

    皆さんはこんな気持ち感じたことはありませんか?
    私は、去年受験を終えた身だからこそ言えるんですよ。

  7. 【965506】 投稿者: よかった!  (ID:XkQEZRXNl0I) 投稿日時:2008年 06月 28日 23:39

    スレ主 さんへ:
    --------------
    > あのころもう少し冷静に、もう少し別の角度から学校選びをしていたらどうだったかなー、なんて、たった今思った次第です。
    > 塾や周りのうわさや情報に流されていたのかなぁーって思いますね。正直。
    >
    > でもね、不思議とその子にあった学校に進むようになってるんですよね。
    > ほんと不思議です。
    > その子に合ってくるんですよね。
    > 負け惜しみじゃなくって、ほんと今ではこの第三希望校が本人にとっては一番の進む道だったかも知れませんね。
    > たった数ヶ月過ぎただけだけど、そう思うんですよね。我が娘を見ているとね。
    > っていうか、「そう思いたい」っていう思考が私の脳みそを洗脳してるのかも知れないですけどね。
    >
    >
    > それとね、今思うと、本当に不思議なんですけど、実は実話なんですけど、説明会や文化祭での私が感じた「直感」っていうか「心の奥になんとなく見えるもの」がいくつか何度かありました。
    > 説明会で足を運ぶたびにいくつかの学校が「素晴らしいー」って共感でき、そして「子供をぜひとも行かせたい」「受かって欲しいー」って強く思いました。
    > そして、親子で最終決定をした第一希望校。
    > でもね、今だから言えるけど、ある日はっきりと「娘の通学する姿」が私のこころの奥に見えたのは、今通っている第三希望校だったんです。
    > 第一第二希望校はそのイメージできる姿があったもの、その鮮度っていうか、はっきり度合いが違ってたんです。
    > 誰にも言ってはいないんですが、第三希望校に伺ったときに、私がふと感じた不思議な気持ちが、あったんです。
    > 「この学校に通っている娘の制服姿が見える」。
    >
    > 皆さんはこんな気持ち感じたことはありませんか?
    > 私は、去年受験を終えた身だからこそ言えるんですよ。

    あります。あります。
    スレ主さま、どうされてるのか心配しておりました。
    あの受験直後の悲しみのペットボトルの量の傾けまでイメージに浮かび、
    いま、この学校とおもえるならなによりです!
    よかった〜。
    どうか、楽しい学校生活が続く事をお祈り申し上げます。

  8. 【965550】 投稿者: アンチリベンジ  (ID:XsxuDzk9zUU) 投稿日時:2008年 06月 29日 00:42

    中学受験の親子の書き込みを見ていると、時に親のリベンジを子供に託しているのではないかと思えることがあります。(スレヌシsanをそう断定しているわけではないですが)


    人生において中学受験の占める位置は低いと思う。最終学歴でもないのでそんなに思い入れの出ようもないのに、お子に思い入れが発生してしまっている。しかし、その思い入れは子供がもともと持っていたものではないでしょう。思い入れを作り出すのはまさに親であり、”第一志望”とことさらに強調し、合格できなかったときの傷を作り出し、リベンジと叫ぶのものも親ではないのかナと思う。


    大学受験で難関大学に入った人なら誰でも知っていることがある。努力ができるという才能・習慣が身につけばもともとの頭脳に応じたところに落ち着くということ。講義で刺激を受けたらあとは自学自習ができるかが鍵。


    親子がどうして”漂流する”かというと、わたしは、幸せなイメージがずれてしまって「合格」におきかわっていることによるのだと思います。手近な目標を掲げて全力で走り出す。これはひとつ受験だけにとどまらない。音楽や、スポーツで親が駆り立てる場合にも良く見られる。”敵を息子や娘にとらせよう”という親の怨念が教育熱心な親にする。悪いことではないようだが、どこで止まるかが見えないという落とし穴がある。


    広く状況を見極めて、お年どころを見る”父親力”がそこには求められるのではないか?
    どこで踏みとどまれるかは、ズバリ人生の知恵と思える。母親的な発想では普通は踏みとどまれず、こどもは突っ走って精神を病みやすい。


    そういうリスクを承知して子供をどこまで追い詰めるのかを慎重に考えた方が良いですね。
    わたしはアンチリベンジ論者なので、そういうセンチメンタルな父親には少し気になります。庄司某にも父親として正直、非常な違和感を覚えますね。(母親には受けるのでしょうか)


    世の父親には、失敗しようが成功しようが大差は無い、との考え方を共有して欲しい。
    仕事が忙しいと逃げていないで、大所高所からより健全で骨太な指導を家庭でも行うことを望みます。小学生には睡眠と外遊び、中学生には部活と読書、これが父親的な教育の基本です。学校の違いはあっても消化できるものです。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す