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【5087139】医師と医療、医学部のこれから

投稿者: 豊穣   (ID:gXnBimVl3uI) 投稿日時:2018年 08月 17日 11:19

私の書き込みがもとで駄レスを誘発し、まことにご迷惑をおかけしました。
責任もありますので、避難スレとしてたてました。
排除の論理ではありませんが「事実に基づいて立論する」方が落ち着いて書き込めるようなものであってほしいと願っております。

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  1. 【5091684】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 22日 00:30

    >2.公的扶助申請者に関わる所得上の審査では、実収入の2割しか確認できていない。

    あなたの主張のご趣旨がこの「2」にあるとするならば、それは生活保護申請の不正を指摘したものになろう。
    ところが、それではご自身が「根拠」として提示された先の下記書き込みとの整合性が取れないことになる。それらは、明らかに「不正」の事実を裏付ける趣旨のものではないからだ。むしろ、公的扶助を受ける人々の少なさを根拠づけるものといえる。

    1. 【5090772】 投稿者: 2025年問題 (ID:II.eBEqTHPg) 投稿日時:18年 08月 21日 09:56
    http://seikatsu-hogo.info/mondaiten/

    「生活保護を受給している世帯の割合は約15%に過ぎず、残りの85%の世帯は制度の認識不足かモラルやプライドが高いという理由で生活保護を申請していません。」

    https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20170630-OYTET50005/

    「厚生労働省の推計でも研究者の推計でも、捕捉率は、所得だけで判定すると1~2割、資産を考慮しても2~3割にとどまります。残りの7~8割は、とても貧しい生活水準に置かれているわけです。憲法25条の定める生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)の保障が行き届いていないと言わざるを得ません。」

    など。

  2. 【5091690】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 22日 00:36

    お答えする。
    あなたとはお初ゆえ、あらためて私見を差し上げる。長いがご容赦願いたい。

    繰り返し述べたように、憲法25条は国民がだれでも人間的な生活を送ることができることを権利として宣言した。その生存権保障の最後の砦となるものが、生活保護制度である。そこで、生活保護法1条は次のように定める。すなわち、「日本国憲法25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」と。したがって、生活保護は、困窮に至った原因を問わず、無差別平等に受給することが可能である(同2条)。

    他方、それを受けて同15条において、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して、診察、医学的処置、手術、入院や看護といった「医療扶助」も受けることができるとする。

    また、それらは社会国家の理想に基づき社会的・経済的弱者を保護し、実質的平等を実現するための人権でもある。したがって、社会的・経済的弱者という現実ありながら、「公平性」や「客観性」という理由でもって、彼らの医療扶助につき強者と同じ程度の取扱い・内容であることを求めるものであるならば、それは逆に実質的な不平等である。なぜなら、生存権保障とは「社会的・経済的弱者に対して、より厚く保護を与え、それによって他の国民と同等の自由と生存を保障していくことが要請される。このような平等の観念が、実質的平等(結果の平等)である。芦部信喜『憲法(第四版)』123頁(岩波書店、2009)」とされるからである。(続く)

  3. 【5091691】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 22日 00:37

    (続き)
    ところが、「『水際作戦』と称される窓口での受理件数の抑制等、『適正実施』の名の下に過度の締め付けが行われた結果、本来受給資格があるはずの人々が受給できなくなった。生活保護を受給可能な人々のうち、実際に受給しているのはその2割程度だと考えられている。そのため、生活保護をめぐる事件や訴訟も相次ぐことになった。榎 透ほか『時事法学』144頁[大江一平](北樹出版、2009)」という。そこには、先の書き込みに見られたような「『清貧を貫くために』、生活保護申請をしない」などという、理解し難い誤解による「美学(『恥』ととらえる)」でのー周囲からのー事実上の圧力の介在も原因として挙げられるのかもしれない。

    もっとも、そうした単純な無知に起因するものであるなら格別、それが治療を受けている医師からしてする明示・黙示での圧力によるものであるなら、事態はより深刻である。法的には治療契約上の当事者同士とはいえ、専門知識に差異のある医師と患者との間はけっして実質的な平等でないからである。したがって、患者は医師に対し事実上従属せざるを得ない立場にある。その彼らに、-医療扶助を受けている立場であるゆえにー真に必要あるにも関わらず「(治療費)高額ゆえに」適切で良質な医療サービスの受給断念を迫られたとしたら、患者は・・・。

    21世紀の今日にいたっても、まだ「貧しいがゆえに」弱者は治癒を断念せねばならないのであろうか。それが日本国憲法の要請するところのものであるとは到底考えられまい。

  4. 【5091731】 投稿者: 2025年問題  (ID:/PBgOgZVNeM) 投稿日時:2018年 08月 22日 01:50

    >あなたの主張のご趣旨がこの「2」にあるとするならば、それは生活保護申請の不正を指摘したものになろう。

    前衛党さん

    申し訳ない。
    あなたの文章は難解で、書かれていることで理解できないところがある。

    1.本来公的扶助の対象になるべき方々のうち、その2割しか受給されていない。

    「1」でないとしたのは、全数調査ではなく、一定のサンプル数をとって調べた調査の結果、2割前後という結果が多かった、ということで、「1」ではないと思った。
    実際に、捕捉率は調査により変動があるようだから。

    「全数調査の結果ではなく、一定サンプル数をとって調べた結果2割だった」ということで「1」にしていいのなら、「1」ということになる。


    「2」に関して、
    「捕捉率を調べるための低所得者を一定のサンプル数を調べた調査の結果、2割しか確認できていない」という意味にとったんだが、でも改めて「2」というのもよく読んでみたが、そうではないように思えてきた。

    「2」の文章をもう少しわかりやすく教えてほしい。

  5. 【5091734】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 22日 01:54

    いや、そこは別にこだわるべきところではない。
    あなたの「2割」との意味を確認させてもらっただけ。
    「1」が本意だということなら、そのように承る。

  6. 【5091742】 投稿者: 2025年問題  (ID:/PBgOgZVNeM) 投稿日時:2018年 08月 22日 02:20

    申し訳ない。

    捕捉率2割というのは、実際の生活保護者かどうかは関係なく、生活困窮者を一定数調査した結果、生活保護に相当する状況であるのにもかかわらず、生活保護となっていない人たちが8割いた、ということだ。

    調査の結果には幅があるようだが、少なくともかなりの貧困層が生活保護を受ける資格があるのに受けていないということ。

    さらには、その逆で、本来生活保護にはならないはずなのに、生活保護をとれている場合もある。
    僕の患者の例だけど、働いていて収入があるとか、近い血縁者でそこそこの収入がある場合とか、偽装離婚をしているとか。

    行政は調べてはいるんだろうが、把握されていない一定数はいるようだ。

  7. 【5091865】 投稿者: 先  (ID:YE8k5l.ld/Y) 投稿日時:2018年 08月 22日 08:37

     日本には本当に謙虚で誠実な国民が多数存在する。

     また他人を思うあまり、自分は我慢、遠慮することも多い。

     このことを日本人として誇りに思うし美しいと思う。

     清貧が悪とは思いません。

     いくら貧しくとも、他人に迷惑はかけたくないというプライドを持つことは
     悪ではなく善だと思う。

     そういった方々にも平等な医療を提供すべきだと考える。

  8. 【5092014】 投稿者: 前衛党  (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 22日 10:39

    わが国の行政は当事者からの申請主義が多い。
    それは自己決定権(憲法13条)の尊重との意味合いもあろう。したがって、本人の有する生活信条のような個人的規範はもっぱら個人の問題であり、他の者がそれに口をはさむべき筋合いのものではない。しかしながら、その個人的規範も社会に迷惑を及ぼせば、もはや個人的生活の問題にはとどまるまい。

    公的扶助を受給するか否かも、一義的には本人の意思による。個人的規範として、それを潔しとしない向きもあろう。だがその結果、本人の生存に関わる事態にまでいたる恐れあるときは話が別である(最近問題になる「尊厳死」「安楽死」「輸血拒否」なども同様)。日本国憲法による法の支配の原理が優先する場合もある。まして、「私たち日本人は、法規制にてらして行動するなどということはなく、まわりの人にてらして、あるいはあわせて行動することに慣習づけられている。中根千枝『タテ社会の力学』158頁」。(講談社、2009)のである。

    本掲示板でも見受けられる付和雷同かつ同調圧力過剰な傾向。
    かりにそうした非定形的な「社会的(同調)圧力」―昨日の書き込みにあった「『清貧』を求めるゆえに、生活保護を求めない(生活保護はぜいたくか、ぜいたくできるのか?)」のようなもの―によって、公的扶助を求める方の自由な意思を抑圧することになってはならない。

    ときに日本人は、一般通常人が守れそうなところよりさらに高い点に基準を置き、少しでも当該基準に沿った気持ちをもち、かつ行動することを「他人に」期待しがちなものであるのだから。

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