在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
麻布の空気 〜 主体的に生きる
新米保護者ですが、麻布の教育というか空気について感じてきたことを書かせてください。一番大切なことが、麻布では「主体的に生きる」ということを体験的に学んでいるのではないかという気がしています。そしてこの「主体的に生きる」ことを大切にする空気の中では、生徒は窮屈さを感じず、それがよく言われる「麻布の自由」として表されるのではないかと思うのです。また保護者はこの空気に、大事なことを学んでいることを直観的に感じ、どこかほっと安心してしまうのではないか、と思います。我が家ではそうでした。
「主体的に生きる」ということは人が自分の人生を豊かに送る上で、最も鍵となることではないかと思います。外側から当てはめられた、組織や集団などの成功の尺度から物事を判断し、行動を律することだけでは、人生は楽しく豊かに送れません。いつか「自分の人生は何のため?」と窮屈に思うことがあるのではないでしょうか。しかし、自分らしい生き方をしながら、社会貢献ができる道が探せると、経済的、社会的にどうであれ、個人的には人生に豊かさを感じることができるような気がします。
では主体的に生きる、ために必要なことは何なのか、考えてみると、「何かが起きたときに、条件反射的に物事を処理しない」つまり合間のポーズを置く、ということではないかと思います。しかしまず、ポーズを置いて、それから、何を判断尺度として考え、自分(や自分たち集団)にとりうる行動の選択肢としてどういうものがあるのか、考える。これが、主体的に生きる上で最初に必要な鍵なのだと思います。
現実には現代社会は忙しいし、組織などごとにノルムがあり、何かが起きると、条件反射的に物事を処理することが多くなっています。組織規範でものごとの処理をルール化しておいた方が、組織運営の効率は良くなり、組織が所与の目的を達するスピードは上がります。しかし、これでは、組織(小社会と言い換えても良いと思うのですが)が環境変化対応や、組織の進化が遅れ、脆弱なものとなりかねないのだと思います。
麻布の空気の中で育ちつつある者は、できごとがあったときに、まずポーズを置いて、そして皆で話し合う。何があったのか事実を確認し、事実を共有化する。そして、判断尺度、とりうる選択肢について話し合う、ということが当然のごとく行われるのだと思います。この方法はものごとの処理は非効率です。スピーディに自動処理することに慣れた者の目から見ると、理解しがたいこともあるでしょう。ですが、まずポーズを置くことをしないと、主体的に生きることを放棄し、流されて生きていくことになりかねない。これができるというのは、長い人生では武器になります。他者に勝つための武器ではなく、自分の人生を有意義に過ごす武器です。
言葉にするのは容易ではなかったのですが、我が家が息子が麻布に通っている端々から触れる空気から、感じ取ったことと、半年を経て、ますます安心している背景を改めて考えてみるとこんなところかな。
まだまだ新参者ですので、諸先輩からも学んで参りたいと思います。しかしまずはこの空気を作り、守り育ててくださっている関係者の方々に御礼を述べながらも、つたないながら学んだことを言葉にすることでお役にたてればと願い、また何らかの形で空気を理解したい方々のご参考になれば、と思います。
うちも受験生 さんへ: 秋刀魚 さんへ:
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> >同じような志向や感覚の子や父兄が集まるのだと思います。
> そうなんでしょうね。そんな気がしました。ここの掲示板を見ていて。
> そう、感性・志向(嗜好?)の合わない人は近寄ってはいけないかもしれません。
それは、どの学校も同じだと思いますよ。
志望者は似た価値観の家庭が集まるでしょう。
筑駒は学者や官僚の子息が多そうだし、開成も東大志望が強いし。
勉強で落ちこぼれて悩む人もあり。東大に進学しないと肩身が狭かったり。
麻布は「自由」な気風でまとまるだけで、生徒も親も価値観は多様だと思います。
男親には最高の学校ですがね。息子が大きく頼もしくなるのを眺めて。
母女泣かせな学校か。きっと男みたいなもんなんですかね。
え?麻布なの?? さんへ:
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> またか さんへ:
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> > 麻布の救命胴衣盗難事件
>
> 関西の高校って思ってたけど・・・・。
麻布かどうかは知らないけれど、
「麻布がまた問題起こした、こまった学校だ」と思われる受験生は、
どうぞ他校へ。
今からじゃ変えられないわ、というかたも、モチベーション下げたまま
3ヶ月間まったりとやり過ごしてください。
今年は競争率低くなってくれるかな???
四谷の資料によれば、開成、麻布、駒東、どれも志望人数減っていますよね。
このまま行ってくれるとうれしいんだけど。
やった! さんへ
あいにく、受験生の親じゃないんだけど。
> 今年は競争率低くなってくれるかな???
逆じゃない?
今年は、そう考えて志願者が少ないから、って土壇場で殺到しそう。
受験なさるなら頑張ってね。
スレを立てさせていただいた者ですが、いつの間にか投稿が増えていましたね。
自由主義教育思想 さんへ:
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> 何か、続けさせていただきます。
ありがとうございます。全般的に共感いたしました。
> 麻布学園の氷上校長先生は入学式で新入生達に向かって、「今日は諸君の第二の誕生である」と説かれました。「13年前に君達がこの世に生まれたのが第一の誕生であり、これを記憶している人はいないだろうが、今日は、諸君が青年として自ら主体的に生きることを自覚する第二の誕生の日である」と。
私も入学式には参列しましたしたので覚えています。氷上校長の話に子を預けるには当初思っていた以上によい学校かも、と感じたことを覚えています。子が入学するまではやはり、私は麻布の空気のことを事実上ほとんど理解していなかったと思います。麻布の自由という言葉はそのころ何かの折りに聞いたと思いますが、自由とか、自由と責任とか、なにか小学校の道徳の教科書みたいで手垢がついた言葉だし、あまりピンときていませんでした。
もっとも、麻布の入試問題が塾のカリキュラムの延長線上だけではないことから、麻布の教育にはどこか期待していたものがあったものです。それに加えて、文化祭実行委員、運動会実行委員の生徒たちの髪の毛の色が自由なのをみて、型にはめない教育方針であることはうすうす感じ取っていました。もっとも妻君は最初、「あの髪の毛はちょっとね」とか「はじけた子たちがいて子が影響されるのが心配だ」とか言っていましたね。そのような心配はもう完全に払拭されていて、生徒、人を尊重し大切に扱う学校の空気になじみ喜んでいますが。
そういえば、どのあたりで麻布の空気が今ほど好きになったかというと、氷上校長が何かのきっかけに「今日も一日無事終わればいいがと思いながら毎朝学校に行く」という話を家内経由で聞いたころからかな。生徒の自発性を期待しながら、管理の枠を与えず、はらはらもしながら見守っている姿が浮かび上がった気がして、とても共感しました。
さて、直観的、漠然と期待させてくれたものがなんだったのか。最近子が持ち帰った学校からの頼りの氷上校長の言葉に教育、education の語源は educe である、educe とは外から与えるものでなく、人がもともと持っているものを引き出すものなのだ、というような下りがありました(原文を引用しておりませんので表現の拙さはお詫びします)。あ、そうそう、私はそういうことを”教育”と”教育者”に期待していました。行動や判断基準を管理し、知識や理論を外側から与え、外側にある尺度で評価する、そうではなくて、知識や理論も、学校生活の内外で起きるあらゆる出来事も刺激として教材としてつかいながら、子(に限らず人が)持っているものを引き出す、そういうことが校長以下、教師の意識にあるのだ、ということが入学式以来折に触れて感じられ、麻布好きになってきたのだと思います。
社会がどんどん進化しなければならない、我々の子供たちは我々世代の人間には解けなかった問題を解かないとならない中で、我々親を含めて、先生といえども古い人間、古い教育で育った人間、そういう我々が「教育」と称して過去の知識や理論や考え方を教え、管理して6年間過ごさせるのではたまったものではないと、前々から思っていました。古い知識、考え方を詰め込みがちな中学受験塾のカリキュラムに私は大きな疑問を抱いたものです。
> 麻布学園の教育が優れて魅力的に感じられるのは、自由主義教育の思想性があるからだと思います。
> 「青年即ち未来」を掲げ麻布学園を創立した江原素六も (中略)
> 親がそれを感じるのは、氷上校長の哲学思想的なお話やお人柄にも表れていると思います。
まったく同感です。お話をなんどかお聞きして、じわりと伝わってくる感じですね。
> その源流は、「社会契約論」で有名なジャン・ジャック・ルソー(1712〜1778)が自然の自由な教育思想を著した「エミール」に辿ることができると思います。
educe を大切にする感覚はルソーに通じているように感じられますね。恥ずかしながら私はまだエミールを読んだことがないのですが、エミールを読んで感銘して、ルソー流の教育を子に施した人の話を聞いたことがあります。14才までは知的教育をする必要がない、自然の中で子を育てよ、と書かれているそうで、「自然の中で子を育てるプロセスが、educeのために必要なのだろう」という風に理解しています。
今年の入学式ではまた、氷上校長から卒業生の言葉を引用する形で「麻布を無駄遣いするな」というメッセージがありました。当時の私は、それは麻布の当事者としてはそういうだろうな、くらいに聞いていたことを白状いたします。今思うと当時の私には幾ばくか麻布であれ中高は「通過点」という意識がありました。
しかし、氷上校長はまた別のところで、「大学に進学する学力も重要だがそのウェイトは半分くらい。残る半分は、後の人生にエネルギーを与えてくれる大切なこと体験して欲しい」というようなことを話されておりました。同感。10代の今、ゆっくりいろんなことを体験して、自分らしい豊かな人生を送る上で滋養となるようなことをたくさん吸収して欲しいと願いますね。
私が一番印象に残ったのは
「新入生諸君、大いに勉強をしましょう。」
これだけではなんと言うことない言葉ですが、
上にあるような、ルソーや建学の精神、といった話のあと、具体的に呼びかけたのがとても響きました。
勿論受験勉強ではなく、
人生の基礎を築くための勉強、
即ち、
正確な判断と自分で考える力をつけるためです。
・・追加の追加です
校長先生の話に感銘を受けたのは事実ですが、
他校保護者がちょっと気味悪がりそうなほど、
手放しで麻布を礼賛しているわけではなく、
特にいま、新中1に不安もあります
(私は鈍いので当初気づきませんでしたが、
他の人に言われて・・)
・・・
HPで新中1の画像が一つ消去されたこと(世界)
行事の栞が事細かすぎてイメージしていた「麻布らしくない」こと
保護者の要望(?)で、中間試験の科目が一つ増えたらしいこと
今年の保護者はモンスター系?
あ〜、最初にupされた世界の課外授業の写真ですね。二つ目載った時に気付きました。
あれ?何でないんだろう。1年生の世界の課外授業を二つも載せることもないからと最初に載せたほうを削除したのかな?などと思ってました。そうですか・・・・。個人情報保護法が声高に叫ばれるせちがらい世の中。仕方ないのかもしれませんね。
中間試験の科目増えたんですか?余計なことを・・・。




































