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投稿者: 匿名 (ID:VloXJE4Qub6) 投稿日時:2018年 08月 19日 17:04
本日、愛光のオープンスクールに出席した者です。来年度から 県内枠120名がなくなるそうです。県内受験生にはどの様な影響が出るか少し不安です。
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【5197615】 投稿者: ある卒業生 (ID:bgsed3zc3/k) 投稿日時:2018年 11月 21日 16:40
県外生さま
中学1,2年生の低学年段階で,しっかりとした生活習慣と 学習習慣が身に付くよう指導されますが,けっして窮屈な雰囲気はありません。放課後から夕食までの時間帯であれば,ゆっくりと自由な時間を過ごすことができます。毎日午後の2時間くらいは,部活動や 自分の趣味に時間を割いているケースが殆どではないでしょうか。もともと通学時間がないに等しいため,学校生活から余暇,余暇から寮生活に移る時間も最大限節約することができます。また 学校内の施設を割と自由に使える利点も無視できないだろうと思います。
課外活動については,学校や寮から強制されることはありません。行事の多くは,有志のメンバーによって賄われます。
どの学校に通っても言えることですが,自立を図っていくことが 中学・高校教育のメインテーマとなっています。年齢に見合った自主性が育まれていない場合,中等教育の在り方として どこか基本的な間違いがあるのだと言えます。先ず中学1年生には 丁寧な指導を施すべきだし,高校3年生を子供扱いするのにも大きな問題があるのです。寮生活を送る場合には,段階的に生活環境を変えていく利点がでてきます。人間の発達過程に応じた環境が用意されているのです。先生や友人に対する距離の置き方も,与えられた環境のなかで少しずつ身に付けていくべきものだと考えています。一方的な関係性が続く場合,不健全な依存心に頼ることにも為りかねなません。暖かくも一方的でない関係性を築けるよう 注意が要るのです。人間関係とは,探り合い 支え合うものなので,一朝一夕に良好な結果がでると期待するものではないでしょう。
とは言え,ほぼ24時間 集団生活に身を置くわけなので,お子さんによっては 「やっぱり合わない」というケースもでてきます。どうしても生活習慣面で合わせるのが辛いというときは,中学1年生段階で転校を考えられたほうが好いかもしれません。たとえば,楽天の三木谷さんが 岡山白陵を退学されたのも,ほぼこの時期に当たっていました。また 中学2年生段階で 学校の授業に付いて行けない場合にも,本人に合う学校へ転校されたほうが好いだろうと思います。中学3年生以降の “先取り学習” で辛い目に合うより,自分にあったペースで学習できる高校を探すほうが遥かに建設的だと考えるからです。いくら学校側が年齢に応じた教育を進めているからと言っても,個人の資質や意欲が蔑ろにされては まるで意味がありませんからね。万人に合う学校というのもないでしょうから,必要以上に誰かを貶しめても仕方のないことです。低学年段階では,いろいろとお試しする(or される or できる)期間なのだと覚悟しておく必要があります。何か問題がありそうなときは,率直に学校側へもご相談ください。
なお 学校の基盤となるカリキュラムについては,旧制中学校に範を取っているところがかなりの部分を占めています。なにより英語・数学・国語の基礎教科に重点を置いていますし,理科・社会科でも原理的な理解を促す授業が構成されています。上級学校への進学を前提とする場合には,最も無理無駄のない学習の進め方だと言えます。とくに低学年段階から基礎教科の徹底を図っている面は,高く評価されるべきものと考えています。2教科テスト・3教科テストを実施し,マメに学習進捗を確認する仕組みは,教師側の負担が大きく,多くの学校ではなかなか真似できないことではないでしょうか・・・・かつては “週テスト” と呼ばれており,文字通り一週間が 学習スケジュールのユニットとなっているのです。どこで躓いたのかも見つけ易いこともあり,学校の授業について行っている限り,大きな失敗はし難い仕組みだと言えます。現在,これが実務的に機能しているのは,ラ・サールや愛光といった限られた学校になっています。公平な立場で言っても,学校側の面倒見の良さが分かるでしょう。私学では学費が高くなってしまう心配が先立ちますが,何を求めるかによって適正感も随分違ってくるものです。自前で補う苦労を背負込むとなると,いろいろと個別の持出しも多くなってしまうので・・・・経費面では,ご家族で納得できる合意を図ってください。たとえば 私の場合ですが,不要な予備校はダメ,浪人もダメと親子で約束事を作っておりました。寮生活に入れば すぐに気付くことですが,同じ学校に通っていても,誰もが一様ではないのです。家計事情も,個人の資質や才能も・・・・ありとあらゆることが個別に違ってきますので,単純なリターンを見込めないのが教育の特質と言えるかもしれません。
お互いの信頼関係に頼るしかない場合もでてくるため,学校側への違和感は できるだけ小さくしておくことが賢明です。結局,信頼できる相手ではないと感じてしまえば,まともな相談事などできなくなってしまいますよ・・・ -
【5197829】 投稿者: 寮に入った結論として (ID:nes2Cgt.S8U) 投稿日時:2018年 11月 21日 20:21
入学した場合、塾へ行く必要はないと言うことでしょうか? ある程度の実績のある学校はみんな優秀で自主的に勉学に励むため、放任と言うのか、生徒の自主性を尊重して、学校側があまり厳しく言わないこともあるようです。自主性のない生徒は授業の進度にもついていけないこともあり、せっかく難関校に合格したにも関わらず、転校することも考えられますよね。寮生活のメリットは、みんなで切磋琢磨しあい、何も考えずに学習習慣が身に付くと言った感じでしょうか。
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【5198022】 投稿者: ある卒業生 (ID:0ljO6K6Cv.s) 投稿日時:2018年 11月 21日 23:11
中学に入学したばかりの子供が 自主的に勉学に励むという姿は、なかなか想像しにくいですね。低学年段階で大事になるのは、“習慣化を図ること”ではないでしょうか?しっかりと学習時間を確保し 内省する機会を作ってあげないと、そもそも自主性など芽生えないんじゃないじゃないかしら・・・・
入寮すれば、中学1年のときから学習時間が確保され、自分で何かに取り組むように仕向けられます。もちろん学校の宿題にも手を付けるのですが、最初は時間を持て余すことが多く、好きな本を読んだり、パズルみたいな問題を探して解いたりして過ごします。とにかく自分で工夫し、集中できる何かを見つけて、毎日決まった時間を学習に当てるという習慣が大事なのだと思います。
「それなら塾でも良いのか?」となりそうですが、これだと時間割が細かすぎて 内省する余裕が無くなってしまいます。せっかく高価な授業料を払っても、自主性とは異なるベクトルを持って努力するようになってしまうのです。下手をすれば 勉強が嫌いになったり、学びに対する誤解を助長したりするかもしれません。ゆったりと大きな鉢を準備してこそ、強靭な根を張っていくのを助けてくれるんじゃないかしら。その人の育ちに負うのかもしれなせんが、細かく与えていく方が優れているという考え方を、私自身はあまり支持していないのです。
余裕を持って“好き”を育む力のない子が、本当の自主性を持ちうるのか大変疑わしく思っています。愛光の場合、低学年段階で厳しく勉強に追いたてるような事はありません。この段階で「勉強は嫌なものだ」と刷り込めば、年を経て 学習時間を持つようにならないからです。もしも勉強の仕方で困っているような場合には、チューターや学校の先生に相談すればよいのであって、通塾が必要になるとは全く思いません。競争や切磋琢磨に良い面があるのを否定はしませんが、“好き”こそが自主性の芽生えになることを忘れてはいけないと考えています。
先ずは内省する習慣を持ち、“好き”を育む。それが自主性の芽生えとなって、本人に気付きを与える。これによって さらに学びを深めいく。こういったループが無い限り、早晩息切れしてしまうことでしょう。学校での友人関係も、個々の成長過程の良い触媒作用となるよう築いていくものだと思います。難関校に通うのかどうかは、余り本質的ではないとも心に留めて置きましょう。成長を支えてくれる環境こそ価値を持っているのです。 -
【5199712】 投稿者: ある卒業生 (ID:0ljO6K6Cv.s) 投稿日時:2018年 11月 23日 14:08
県外生さま
愛光生に おおらかでタフな特徴が見出せるものか・・・・
正直なところ、ご指摘頂くまで 考えたことがありませんでした。個人的な印象には 様々なバイアスも掛かるので、一般には 別の評価もあるのだろうと想像もしています。
いろいろと考えた挙げ句、私個人の意見としては、“学校の成り立ち”に拠るところが大きいかも知れないと思うようになりました。
ご承知のとおり、2010年以降、愛光では 東京、大阪、福岡でも入試会場を段階的に設けるようになりました。所謂 “前受け(お試し受験)”校として、彼の地の受験生にも便宜を図るようになっています。定員の一定枠は 遠隔地からの入学者を確保しようとする制度で、実際、寮生の出身地は 36~38都道府県にまたがっているようです。県内生を優遇する一方で、どこか特定の地域に偏向した生徒の構成とはなっていないのです。実はこういった学校文化は、愛光が衣山キャンパスに移転し、寮設備の拡張や 高校編入制度の導入された1970年代後半に確立したものと認識しております。具体的に 我々の世代で言えば、関西地方からは灘、甲陽学院、洛星(たまに東大寺学園)、中国地方からは広島学院、四国地方からは土佐、九州地方からはラ・サール、久留米大附設といった多くの学校と併願されるケースが一般的でした。こういった学校文化は、中学受験熱の高い首都圏や関西圏にある学校とは 明らかに違う点だと言えます。
中学受験熱の高い地域でいくつかの進学校が競合している場合、受験市場のニーズに適った学校が生徒を集めやすくなるため、学校側も 過剰に市場ニーズの価値観を取り込んでしまうという傾向はないでしょうか?特定の受験者層に受けが良い制度や行事を準備して、アピールしやすい特徴を出すというような・・・・場合によっては、中等教育の本質には 然程関係が無いような、平たく言うと、些末な装飾品的なサービスにまで目を向ける誘因が働くかもしれません。「時代の要求に合った」という売り文句も、実は世俗的で一過性の価値観に媚びたものになる恐れを孕んでいるのです。特に 華やかで人目を惹きやすい売り文句は、何となく胡散臭いものを感じますね。「それって本当に必要か?」と。
こういったイメージ戦略は、私立校であれば自由にやってもいいんですが、一方でその価値観に乗れない人にとっては、かなり苦痛を感じる面も出てくるでしょう。飽くまで個人的な意見ですが、世俗的な価値観とは一線を画し、中等教育の本質を追求する真摯さが無ければ、一貫校としての価値は 半減してしまうものと考えています。地道に本質の追求を行い、些末なものに対してはバッサリと切ってしまう潔さというか、そういう覚悟は要るでしょう。
愛光の場合、どこか特定の家庭層に偏向した学校運営というのは、事実上できなくなっています。また入寮すれば直ぐに分かることですが、家庭事情や個人の資質にも随分幅があるので、一定の割り切りは要るわけです。才能に恵まれた友人を見れば「これは敵わない」と諦めないといけないし、優秀な人間でも いろんなしくじりや挫折を抱えるものなのだと、間近なところで実感する場面がでてきます。そういった経験がベースにあると、何かを奪い合うというような、単純な優勝劣敗の構図は 殆ど現実感を持たなくなってきます。自分を活かし、他人も活かすよう努力する方向性が変わってくるのだとも言えるでしょう。人間の成長過程では 細やかな成功体験を積み上げることが重要ですが、一方で、多くの挫折から学び立ち直っていくことも 同様に大切なものとなってきます。多少のことで やさぐれている暇など無いのですから。どの生徒に対してもそうですが、寮生活を通じ 良い触媒作用が働くことを願っています。うまく機能するかどうかは、関係者が不断に努力するより他に仕方のないことだと思っています。 -
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【5199856】 投稿者: ある卒業生 (ID:0ljO6K6Cv.s) 投稿日時:2018年 11月 23日 16:53
言葉が足りず 誤解を生んでは申し訳ないので、少しだけ補足しておきます。
親御さんの多くが 大学の進学実績を気にされている事情を承知していますが、中高6年間だけに限っても、学びを深めていく動機は 随分変容していくものです。一見 失敗や挫折と映る経験も、実際には、本人にとって 新たな出発点になっていたりもします。経験したことをどのように受け止め、次の展開を図っていくのかは、本人の考え方に拠るところが大きいのです。些細な躓きによって より一般的な問題に対する気付きを得、大事業のスタートとなった事案も、世の中にはたくさんある話です。第三者が下す即時的な評価は、それほど当てにならなかったりするわけですね。
内省する習慣が身に付かない段階では、周囲の評価に右往左往することも多く、どこまでが本人の意思に拠るのか分からない面もあるでしょう。先ずは真っ当な自立を促す教育に重きを置き、周囲は 長い目をもって見守る辛抱も要るのだと個人的には考えています。こんな悠長な考え方は甘いのかしら・・・・ -
【5199889】 投稿者: 県外生 (ID:D/lagi5znRc) 投稿日時:2018年 11月 23日 17:18
ある卒業生様
ご意見ありがたく拝読いたしました。
人間関係は探り合い支えあうもの、
「好き」こそ自主性の芽生え、
自分を活かし、他人も活かす、
内省する習慣を持ち「好き」をはぐくむ、
中等教育の本質
いくつもの心に響くお言葉をいただき、何度も言葉にして読むと
幼い息子を手放す勇気になります。
関西圏も競合校を複数受験できてしまうため、学校も受験生も
競争が激化してしまい、おっしゃる通り市場ニーズにすりよる
学校から漂う胡散臭さが、私自信の不安の正体のように思いました。
いいあててくださり、すっきりしました。
「うちはこんな学校なので気に入ったら来てください」というように
ドーンとして教育方針がぶれない学校は最上位校のなかでもひとにぎりです。
そして説明会にいくと、子どもに対する信頼と温かさを感じて
帰ってくるのです。愛光も中等教育の本質を大切にしている学校なのですね。
息子は、合否に関わらず、過酷な受験勉強のなかで、忍耐と勉強習慣は
みにつけたと思っています。ある卒業生さまのおっしゃるように、これからは
勉強を「好き」から自主性を育てる手段にしてほしいと思いました。
失敗も挫折も、内省の機会もたくさん経験してほしいと思います。
でもどんなに失敗しても、どんなに挫折しても、どんなに墜ちても、
学校という受け皿がきっと立ち直れるよう見守ってくれるという環境を、
親としては一番欲していることに気づかされました。
合うか合わないか、どのように寮生活をとらえて過ごすか、確かに
子ども次第で賭けではありますが、親のカンにかけてみようと思います。
外れたら他の道を探る余裕もある年代だと覚悟もしようと思います。
とても客観的で真摯なご意見をいただきありがとうございました。
また(勝手ながら)おおらかでタフで温かい方にご縁をいただいたと、
お返事をいただけましたことを大変うれしく、感謝しております。 -
【5199931】 投稿者: 県外生 (ID:D/lagi5znRc) 投稿日時:2018年 11月 23日 17:48
難関一貫校に通えば、大学合格という目前のゴールで合流することも
可能ですが、6年間で培った人間力がその先のながーい人生の選択を
自主的に判断していけるかどうかの根っこになっている、と、歳を
重ねた今となって気づく次第です。
上の子がお世話になっている学校も、20年後に幸せな男になれるように
などと悠長なことを言ってくれるとてもいい学校と感じています。
下の子は愛光の方が気に入っています。ただ、目に見えやすい偏差値や
判定などにまだ惑わされ、塾のあおりに「右往左往」する年ごろでもあるし、
志望校を「下げた」かのような印象をもたせないために、これから
どのように誘導すうかなやましいところです。 -
【5203282】 投稿者: 再来年に受験予定の子の親 (ID:b027Ns8xnEs) 投稿日時:2018年 11月 26日 01:42
中学校からだと6年間も過ごす訳です。小学校の6年分も合わせて考えたら12年分になるのでしょうか。洒落にはなりません。将来のイメージ、大雑把でも大体の計画を御説明して頂けると、出願しやすいです。今のままで何処まで行くのかも十分にはわからない。今一度、御真剣に考えて頂きたい。