女子美の中高大連携授業
しろくまさんにアドバイスを頂きたい人集まりましょう。
6年生。
難関校を目指しております。
国語が大の苦手。
元講師だったしろくま様
しろくま様のアドバイスは温かくってほっとします。
国語についてアドバイスを頂けたらと思っております。
宜しくお願いいたします。
しろくまさん、ありがとうございます。
とりあえず、今週、塾の体験授業ということで
参加をすることになりました。
昨日は算数。今まで塾でやっているお子さん方に混じって
計算がやはり課題という感じでした。
塾の授業後に自習時間が30分ほど設けられていて(自由参加)
そこで宿題を済ませて帰ってくることも出来るとの事。
2月から始まっている新学年のカリキュラムも途中参加でも
差し障りないようにフォローしてくださるとの事。
なるほど、算数だけでも通塾すれば、大変助かります。
多くの皆さんが、通塾スタイルを採用する理由もうなずけますね。
「準塾なし方式」のよいところもありますが、
グラグラ揺れ動いてしまいました。
子供はどちらかといえば、社会や国語が好きなので
この2教科の範囲内での通塾はきっと楽しいのだと思いますが・・・・・
その反面、算数は通塾により他のお子さんの中で「出来ない自分」を
実感することになり、楽しくないのではないかと、現状では思います。
これからだんだん出来るようになる(?)ことで
変わってくるかもしれませんが、その点、少なくとも当面は(?)
家庭とか個別塾とかの方がよいでしょうか?
しかし、しろくまさんも前に書かれている塾の技法(解法)という観点からも
中学受験における算数の重要性にからしても、
塾を利用するなら、やはり算数が一番利用価値が高いでしょうか。
「新参者ですが」さま
「出来ない自分」を実感すること、は、むしろよいことです。
塾の機能として「おだてる」「ひっぱる」「競争する」という部分の「競争」という部分は大切だと思うのです。
文字通り「競」「争」ですから、「争い」のイメージも重なって、あまりよくない印象をあわせもつ言葉ですが、「競う」ことは大切です。
「比較」は「動機」にもつながります。落ち込むほうに秤が傾く場合もありますが、だから次はがんばる、にもつながる機会です。
ちょっと「いやな」ことから逃避させず、「つきはなす」ことも場合には必要です。子どもは順応性も高いですから、友達もできると「競争」の「争」の部分が希薄になって、「競」に天秤が傾くとも思いますよ。
「算数」も、むろん技術的なところの学習は「あるレベル」までは家庭でも可能ですし、家庭教師でも可能でしょう。
でも、まわりに誰か「比較」できる人がいるのは、いろいろな意味で刺激にもなります。
ここはやはりお子さんの性格で分かれるところです。よくよくお子さんの性格をみて、塾を「利用」してください。
~しろくまの「国語が苦手な子を持つ保護者のための技術講座」~⑦
記号選択問題の解法(その1)
すこし時間軸が後ろにいきすぎたので、号泣少年や国語苦手少年少女との格闘の中で前に出てきた「記号選択」の問題に関して説明させていただきます。
彼女、彼らは「2つまでしぼれたんやけどどっちか迷って間違えた~」とよく言いました。これはいったいどうするべきか??
大人や国語が得意な子は、「感覚」でわかります。
いや、正確には無意識にポイントを読みとっているのですよ。ですから国語ができる人には国語が苦手な子の思考・気持ちがわかりません。
「なんでこっちなん?」「なんでもくそもないがなっ! これはこうにきまっているやろ」とついつい保護者も声を出してしまいがち…
塾の先生の中にも「迷う選択肢」があると「これはできなくてもよい」「これは問題が悪い」と突き放す方もおられますが、「悪問」だろうが「良問」だろうか入試は入試、実際出ている以上は解答に持ち込むのがプロでなければいけません…
大学入試に「共通一次試験」「センター試験」が導入されて以降、記号選択問題というのが国語の中でも急速に広がりました。
で、予備校の講師などの中には
「問題文など読まなくても選択肢だけみて解ける!」
と豪語される方も出てきて、まったく技術的な観点から選択肢を探し出す、という手法を提唱される方も出てきました。
不覚にも、若い頃、こういう方法に私も魅せられてしまったときが一時期あるのです。
ただ、一点、このような問題文を読まずに選択肢だけから考える、という方法として評価できるのは、前にも言いましたように「選択問題は、作家との勝負ではなく問題作成者との勝負である」という視点だと思うのです。きっとこのような方式を提唱された方も、この立場から考えて極端に振りきったのでしょう。
「選択肢だけで解けるのだ!」という方式で有名なものは…
① 選択肢の中に対立的な内容のものがある場合はどちらかが正解だ!
② 正解はよく似た複数の表現の中にある!
③ もっとも長い選択肢ともっとも短い選択肢は排除せよ!(長短排除法)
(例①)
ア 非難するような冷たい眼
イ 優しさあふれる柔和な眼
ウ 別れを告げる悲しい眼
エ 思いつめたこわい眼
イとエは「優しさ」と「こわい」が対立している、だからどちらかだ! という主張です。
(例②)
ア これで啓吉も満足して出征できると思うのであった。
イ いつしか母に似てきた自分を誇らしく思うのであった。
ウ いつまでも啓吉を待っていられそうに思うのであった。
エ なぜか啓吉に心を開けない自分を悔やむのであった。
「啓吉」という言葉を含むものは「アウエ」、「思うのであった」で終わる選択肢は「アイウ」、重複しているのはアとウだから、そのどちらかだ! という主張です。
まぁたしかに言えないこともない… でも、なんだかあらかじめ答えがわかっていた上での逆算のような感じがしないでもない…
私は実際に昭和60年から平成元年までの奈良のT学園の過去問の記号選択問題すべてで問題文を読まずにこの方法でやったことがあるのです。
残念ながら該当するのは30%ほど… しかもそこからさらに二択ですから、テキトーに選んだ場合と同じか、少しましかな、という程度です。とても小学生にはおすすめできない…
③の「長短排除」にいたっては何の根拠もない! と思いきや、意外にも私が尊敬していたカリスマ先輩国語講師は、「長短排除は、わりと該当しますよ」というではないですか… え~ なんでですぅ? 一番「非論理的」ですがな~
と言いますと、
「私も実は、この手法、試したことがあるんですよ。①は、問題文をよく読んだ上で内容と照合すれば着眼点としては正しいときもあるが、作成者としては似たもののいずれかを答えにする場合もあるので、けっきょくアテにならない場合も多い。②は作成者は意識的にそうならないように作る場合が多い。でも③なんだけれど、自分が過去につくった記号選択問題をみると、ケッコウそうなってたんでちょいイヤだな、と思ったんですよ。」
と、おっしゃるではありませんか?
つまりまず、正しい選択肢を考える、で、ダミーですぐわかりそうなものは簡潔につくって短くなる、ひっかけてやろう、というのはついつい修飾が多くて長くなる、結果として最も長いものと最も短いものになりがちだ、というのです。
私も模試をつくったことがあるので、ひょっとしたら無意識にそうしているのかも、と思い、いくつか調べてみると… ①や②よりもこの傾向はあるかも…
で、昭和60年から平成元年までの奈良のT学園の問題のうち、選択肢が説明になっている問題全37問でこれをやってみました。すると37問中20問が、長短排除した2つの中に答えがありました… 54%か…
でもねぇ~ これからさらに二択になるんだから27%で、それなら四択で選ぶフツーの確率じゃん!
でもちょいまてよ… やっぱり記号選択問題は「作成者との勝負」だ、と再認識できました。あきらかにその選択肢の中に答えが確実にあって、作成者は何かの根拠でそれが正解になるようにしてあるハズなのだ、と。
しっかり読んで考える、というもっとも正攻法な方法と、選択肢だけ見て考える、という両極端の方法の交点に答えを見出す、あるいは、その発見のための練習法があるのでは、と考えてみました。(その2に続く…)
「somi」さま
お子さんがやる気を出されたのならしめたものです。
塾の講師は是非、うまく活用してください。
前にもレスしましたが、お子さんの話の中でよく出てくる塾の先生やお子さんが好きな先生に、保護者が言いたいことだけれど子どもに直接言うとなかなか聞いてくれない、というような話は、おねがいして代わりに言うてもらえばよいと思います。
親の言うことよりも尊敬する塾の先生の言うこと、ほんとに子どもはよく聞きます。不調になったときなどは、是非、塾の講師に「声かけ」してもらってください。そんなことを嫌がる講師はいませんよ。
がんばってくださいね~
~しろくまの「国語が苦手な子を持つ保護者のための技術講座」~⑧
記号選択問題の解法(その2)
前から言いますように、国語が苦手な子はまず「説明的文章」を突破口にするのがよいと思います。しっかり読み、筋道を立てて考えればよいからです。そしてやはり記号選択問題の場合も、説明的文章のそれのほうがやりやすいといえます。
さて、あらためて説明的文章の「読み」ですが…
①「指示語」をおさえる
②「逆接語」「要約語」の後ろをおさえる
ということを言いました。さらに、細かなパーツを指摘しておきますと
②の「逆接語」の後ろですが、もし、形式段落の頭が「しかし」ならば、その形式段落全体が「主張」である、と意識する。そして今回さらに2つ、
③「は」
④「とは」
に注目してほしい、ということを付加したいと思います。
③の「は」ですが、こんなもんは説明的文章の中にはたくさん出てくるやんっと思われるでしょうが、意外と少ないのです。
「は」は文法的には「副助詞」でその働きは「他と区別する」という意味があるのをご存じでしょうか?
A 私「が」本を読んでいるとき…
B 私「は」本を読んでいるとき…
この語感の相違がわかるでしょうか? Aは、その後に何かが起こったかのような、つまり「何らかの事実」が続きそうですが、Bはどうでしょう。「他の人はどうかは知らないが」、「私は」こうだ、という「何らかの主張」が続きそうでしょう?
国語が得意な子、大人は、いちいち言われなくても、何かそれらしきことを感じているわけですが、苦手な子は「読み飛ばして」しまっているのです。
「は」の後ろには、他とは違うぞ、という「さりげない主張」が隠れているよ、と教えてやっておいてもよいと思います。
④の「とは」はもっと単純で、「定義」です。
C 読書「とは」…(○○のようなものだ)(××だ)
読書に関する筆者なりの定義が出てくるわけで、この後ろの言葉も、解答作成に使えそうなパーツです。また比喩との組み合わせとなっているケースもあり、その比喩にあげられているコトとの「共通点」を説明できれば文句なし。
さて、(その1)で述べたように、記号選択問題は、「本文をしっかり読む」ということと、「選択肢だけをみて答えを導く」ということの交点に解法がある、といいました。①~④を用いてしっかりと読んだあと、今度は選択肢をみつめなくてはなりません。
「文章の読み取り」と同様、「選択肢の読み取り」も大切である、ということです。さて、選択肢の読み取りですが… (次回に続く)
~しろくまの「国語が苦手な子を持つ保護者のための技術講座」~⑨
記号選択問題の解法(その3)
号泣少年には、まず説明的文章をやらせました。彼が最後まで苦しんだのは「抽象化」ができない、ということでした。つまり、具体的なできごと・ものごとを抽象化しにくい… 難しい言葉に置換できない、ということです。そしてその言葉を使いきれないから逆に具体化することも難しい…
記号選択の問題でも「理由」を問うもののほかに「~とはどういうことですか」という具体化を問う問題が多いのはご存じでしょう?
前回、問題文の読み取りに加えて「選択肢の読み取り」も大切だ、といいました。そこで今回は、さきに「選択肢」をみてもらいます。で、あとから問題文を掲げるのでチャレンジしてみてください。
問1 「追体験による追創作」とはどういうことですか。
ア 作者と似た体験を実際にしてみて、作者に似た気分になり、作品を作ること。
イ 作者とまったく同じ体験を実際にしてみて、作者と同じ気持ちになり、よく似た作品を作ること。
ウ ある作品に心をうばわれ、自分がその作品の作者になりきってまったく同じ作品をもうひとつ作ること。
エ ある作品に心をうたれ、その作品の世界を自分も体験したように思い、同じような作品を作ること。
問2 「私は要(かなめ)だ」とはどういう意味ですか。
ア 海に向かうと自分が要のような位置になるという意味。
イ 海に向かうと自分も大きな人間であるように思えて来るという意味。
ウ 大きな海にくらべると扇の要のように小さいものに過ぎないという意味。
エ いくら手を広げても大きな海を自分のものにすることはできないという意味。
さて、本文以上に選択肢をしっかり読み、「分析してから」問題文に取り組む、というのが大切です。選択肢だけで答えを導く! みたいな昔の予備校の先生の方式ではなく、あらかじめ選択肢の「なぞ」を解くためのポイントを整理しておくのです。
その方法はA「類似・対比の整理」、B「+-の整理」という2項目です。
問1では、
①「似た体験」と「同じ体験」
②「似た気分」で「作品」をつくるのに対して「同じ気分」で「似た作品」をつくる
③「心をうばわれ」と「心をうたれ」
④「作者になりきる」と「体験したように思い」、「まったく同じ作品」と「同じような作品」。
問2では
① アは+-ゼロのニュートラルな表現
② 「大きな人間」は「小さなものにすぎない」の対比
③ イは+表現でウは-表現
④ 「自分のものにはできない」という-表現
さて、これが「捜査」の手がかりです! あなたは名探偵、この中に答えが必ずあるのです! 捜査員は現場百回! 証拠となる足跡や指紋は、「逆接語」や「要約語」の後、「は」「とは」「のだ」も証拠品。問題文は現場です。残された「手がかり」をもとに現場から「証拠」をみつけて結びつける!
「犯人はこの中にいます」「犯人はおまえだ!」という調子で子どもに記号選択をさせるのも、また楽しいかも…
(問題文)
私は、ながく、毎日小中学生新聞の詩の選をしていたが、いい作品をのせると、読者からの注意で盗作であることが分かったりして困った。教科書にあるような有名作を、私が知らないばかりに入選させて恥(はじ)をかいたことも一度ならずあった。
ところが、あるとき、私自身の作品をうつしてきているのがあった。何か副読本か参考書にのっていたものであろう。
私は、びっくりした、と同時に、その子が私の作品を読んで、なにがしか感動してくれたのだな、という思いがわいてくるとうれしいような気もしてきた。
「盗作」というと「作品を盗む」となり、大変悪いことのようであるが、子どもの場合は、もちろん、わる気もなくはないが、問1追体験による追創作というべきではないか、と思うように至った。
すばらしい景色を見ては、それをまねたいと思う。つまり、大きな海を見たときは、胸をひろげ、それと一体になりたい、あやかりたい、という気持ちになる。
海が扇子(せんす)をひろげる
ああ 問2私は要だ
という詩も、この気持ちを、文字にうつしている。また文字以外に、絵や写真があり、身ぶりでまねる場合もある。
中学生などには、先生のまねのうまい子がいるものである。休み時間に、先生のまねをして、みんなを喜ばせる。するとまた別の子が出てきて、もっとうまくその先生のまねをしてみせて、ヤンヤのかっさいを浴びる。さきほどの子よりも、もっと先生に似ているからである。ところが、ベルが鳴って、本物の先生があらわれる、本物に似ていれば似ているほど、本物に近いほど、みんなは喜んだのであるから、寸分たがわず実物ぴったりの本物があらわれたとき、みんなはいっそう喜ぶはずなのに、だれも喜ばない。まねはおもしろいのである。似ていれば似ているほどおもしろいが、実物はちっともおもしろくないのである。
しろくま様、またまたご意見を伺いたいことがあります。
塾の講師をうまく活用すればいい、とアドバイスいただいた
のですが、子供が算数の講師(以前のお二人とはまた別の方です)
の方に、「算数号泣少年君は、上のクラスにあがる実力はあるんや、
ただ今のままだとあかんけどな。」と言われたそうなんです。
じゃあどうすれば上のクラスにあがれるのか、どういう勉強をすれば
いいのか、というお話はなかったようです。(息子は、そこで
どうすればいいのですか?という質問ができない「ぼんくら」
なので、よけいに始末が悪いのです(泣))
「えぇっ!!言いっぱなしかよ!」と突っ込みたくなるような、
「だったら言うなよ!!」と思ってしまったのですが…
どう思われますか?




































