在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
しろくまさんにアドバイスを頂きたい人集まりましょう。
6年生。
難関校を目指しております。
国語が大の苦手。
元講師だったしろくま様
しろくま様のアドバイスは温かくってほっとします。
国語についてアドバイスを頂けたらと思っております。
宜しくお願いいたします。
しろくまさん、はじめまして。
ぼくは、小5の男子です。 インフルエンザで学校も塾も休みなので、家にいます。
お母さんに「しろくまさんの良いお話があるよー」と言われて、かんじのお話を読んでから、とても面白くてはまってしまい、しろくまさんの大ファンに
なりました。 毎回楽しみにしています。
「かんじのお話」以外にも、いろんな事をたくさん教えて下さい。 お願いします。
~しろくまからのお手紙~ お勉強しているみなさんへ
勉強っていうと、なんか特別でむずかしいようなものだとおもうかもしれませんが、そんなことはないですよ。
よくみれば、理科も算数も国語も社会も、みんな楽しいものばかり…
「わかること」と「しっていること」に数字をつけて、「よい」とか「わるい」とか、大人が気にするもんだから、苦しくてつらいもののように錯覚(さっかく)しちゃうんですよね。
数字に「よい」も「わるい」もないでしょう? 「大きい」か「小さい」かだけ… 大きければ、よくわかっているね、よくしっているね、という意味で、小さければ、まだわかっていないね、しらなかったんだね、ということがわかるだけなのです。
わからないってことは、わかる楽しみがのこっています。
しらなければ、しる楽しみがのこっています。
わからないこともしらないことも、「わるい」ことではありません。わからないところ、しらないところ、できないところが、みなさんの可能性です。
わからないことがわかると成長。
しらないことをしると成長。
できないところができると成長。
「わからない」「しらない」「できない」という「不完全」は神さまからのプレゼントだって知っていましたか?
ウマもゾウも、そしてキリンも、多くの動物はうまれたときから歩けるのを知っていますか?
ゴキブリなんか、何万年も前からあのままです。どうしてか。もうあれで完全に完成しているすがたなんですよ。だからもう進化しない…
でも、ヒトは、うまれたときは、何も「できない」すがたでこの世に出てきます。
神さまが、お父さんやお母さんに「そだてなさい」、と「課題(かだい)」をあたえたんです。でないと、ヒトはほろびるよ、というハードルを前に置いたのですね。
そして、うまれたみんなには「わからない」「しらない」というハードルを目の前に置かれたのです。それをこえなさい、でないと進歩しないよっ ていわれているのです。
さらに神さまは、みんなに「できない」という部分をのこしておきました。それも、ひとりひとり、み~んなちがう「できない」をあたえたのです。
もし、みんな同じなら、「あ、みんなそうだから、よいか」と思ってなまけてしまうでしょう? いいなぁ、あの子は算数できて、いいなぁ、あの子は国語ができて、いいなぁ、あの子は歌がうまくて、いいなぁ、あの子は野球ができて…
勉強だけではなくて、みんなそれぞれバラバラに、十人いれば十人ちがう「できない」をつくっておいたのです。
こうしてヒトは「努力すること」を手に入れるのです。
でも、ときどき、神さまは、こえられないハードルも、みんなの前に置いておくのです。やってもやってもできないハードルをわざと…
どうしてそんないじわるをするのでしょう?
ちがいます。
できなければ、よけて通りなさい、やってもできなければ、後まわしにしなさい、それでもよいのだよ、ということを教えてくださっているのです。
こうしてヒトは「判断すること」を手に入れるのです。
できることはできるように努力する、できないことはできないと知る…
すると、だれかはできていて、だれかはできていない、そんな人たちがいっぱい集まります。
だったら、おたがい補い合えば、だれもがみんなできるようになる…
こうしてヒトは「協力すること」を手に入れるのです。
だからね、きみがいま努力していることは、自分のためであると同時に、しょうらいきっとだれかのためになることなのですよ。
だから、がんばってください。
勉強なんかしたって世の中出たら役に立たないっていう人がいるかもしれせん。そんなことは大間違い。
勉強なんかできなくても生きていけるっ という人は、傲慢(ごうまん)な人です。数学や理科で、いろいろな世の中のしくみが動いているのを忘れているのです。電車も動かない、病気もなおせない、モノもつくれないし、食べ物もなくなってしまう…
勉強なんかできなくても生きていける、という人は、勉強した人が世の中のためにつくったモノやコトで「生かされている」ということをわすれています。
自分はこれができない、だからこの分野はだれかに助けてもらう、でも、自分はこれができる、だからこの分野はわたしがだれかを助けている…
世の中で生きていく、とは、こういうことです。
きみは勉強する、だれかはほかのことをする、みんなみんな、そうして何かをやって、できるできない組み合わせて、世の中うまくまわっているのですよ。
だから、がんばってください。きみは、だれかにたすけられ、そうしてだれかをたすけます。
しろくまさん、お手紙読みました。
ぼくの通っている学校は、受験する子がほとんどいないので、塾で勉強している事はだまっています。
これからも目標に向かってがんばって勉強します。
せっかくの休みなので、ためているテスト直しや復習をしたいと思います。
「しろくまファン」さま
はい。いろいろな話をしていきますね。すこしでも、楽しく勉強してくれたら、勉強がたのしいものだと思ってくれたら、しろくまはうれしいです。しろくまの知っていること、できるだけいっぱいいっぱい伝えていきます。だから、ほかの教科もいっしょうけんめい勉強してくださいね~ 楽しく勉強できる、「しろくまジュニア」になってください。
~しろくまのかんじの話~⑭ 小学生のみなさんへ
さて、慣用句やことわざの中に、「体の一部」がよく出てきます。ちょっとこれらについての話もしておきましょう。むろん、入試でも出てくるポイントもまとめていきますね~
まずは「口」。「くち」「コウ」「ク」と読みます。意味はもちろんわかりますよね。ほかに「穴(あな)」という意味もあります。
漢字の中に「口」はたくさん出てきますよね。
助数詞(じょすうし)っていう言葉、知っていますか? ものを数えるときにくっつく言葉です。一個、一匹、一台などなど…
「口」には、すごい特別な読み方があります。「ふり」です。
「一口」と書いて、「ひとふり」。刀の数を数えるときに「ひとふり」「ふたふり」、「一口」「二口」と書くときがあるんですよ。もちろん「振(ふ)り」と書くときもあります。
それから、「口」には「種類」という意味もあって、「別口で…」というような使い方を聞いたことはありませんか? そういや、もともとの口という意味とはちがうもの、けっこうたくさんあるんですよね~
助数詞でも、刀以外にも、「ご寄付は、一口1000円から」なんて使うときもあります。
呼び出すときにも使います。これは口と関係ありそうですよね。
「口がかかる」「はたらき口」とか、口はほんとに使いみちが多いものです。
「右」という字。「口」があります。上にのっかっている「ナ」という字は「手」なのです。 「左」の「ナ」も「手」です。左の「ナ」はタテが長いのを知っていますか? これが「腕(うで)」。筆順はヨコ書いてからタテ。これは「エ」という台の上にのっているモノを左手でつかもうとしている図なのです。
「右」の「ナ」は右手で、だからヨコのほうが長いのです。筆順はタテ書いてからヨコ。腕は後に書くのです。口に食べ物を右手でもってきている図なのです。これから「右」という字を書くときは、筆順に気をつけるだけでなくて、ヨコを少し長めに書いてあげてくださいね。
さて、「叶う」って、なんて読むか知っていますか?
「かなう」です。夢(ゆめ)が「かなう」、の「叶う」です。
これは「十」という漢数字が入っているでしょう?
むかしの人にとって、「十」って、特別な数字なんです。
ゼロが無い時代ですから、一から九が数字で、そこから先は、特別な世界でした。だから「十」っていうのは、「たくさん」「いっぱい」「いろいろな」って意味にもふくらみました。「叶う」は「十人の人の口がそろう」つまり「いろいろな人の意見が一つに合う」、そこから「かなう」という意味になったのです。
そうそう、聖徳太子さんって、十人の言葉を聞き分けたって、いいますよね。あれも、いっせいに十人がしゃべったことを聞き分けた、というより、「いろいろな人の意見をとりまとめられた」と考えたほうが政治家としての聖徳太子のイメージにはぴったりな気がします。そういえば「和」という字にも「口」が入っています。
しろくまは、聖徳太子さんの「十人の言葉を聞き分けた」という伝説については、もっとちがう意味を考えています。
飛鳥時代は国際的な時代でした。中国や朝鮮、ひょっとしたらシルクロードを通じて、ペルシアの人なんかも日本にやってきていたかもしれません。どうです? ピンっときませんか? 中国語も、朝鮮語も、そしてペルシア語も、「十人」、つまり「いろいろな人々の言葉がわかった」、と考えたほうが、国際的な飛鳥時代の聖徳太子さんの話にぴったりな気がします。
口の話からすっかりわき道にそれちゃいました。脱線(だっせん)ついでにいろいろ話しちゃいますね。
十七条憲法って知ってますか? 聖徳太子さんがつくられた「役人の心得」です。どうして「十七」あるか知ってます??
一から九まで、陽数つまり奇数の最大は「九」、陰数つまり偶数の最大は「八」。陰陽を「和」して一つとする、九+八で十七条。いろいろな価値観をひとつにまとめましょう、という、ふか~い意味がある数字なんですよ。
社会の歴史が得意な人は、「御成敗式目」や「武家諸法度」という後の時代の法律を知っているでしょう? それぞれ何条あるか知っていますか? 一度数えてみてください。二つとも「17の倍数」で構成されていますから。
ところで聖徳太子さんには、「耳」も登場します。聖徳太子さんは「豊聡耳の王子さま」ともいわれました。「耳がよい王子さま」って、やっぱり、外国語ペラペラって考えたほうがよいような気がします。
次回は「目」の話を。(ではまたね)
インフルエンザ休校で、お休みしているみんな、きょうも、うがいや手洗いはしっかりしたかな?
さて、ことわざ・慣用句のしろくまテストはできたかな?
(1)①鼻 ②腹 ③首 ④耳 ⑤鼻
「口に蜜あり、腹に剣あり」は聞いたことがなかったかもね~ 「腹をさぐる」「腹のうちはわからない」、というように、「心の中」の意味を「腹」は示すときがありますよね。
(2)①鼻・ウ ②腰・エ ③手・カ ④口・ア ⑤肝・イ ⑥耳・オ
入試でじっさいに出た問題だけど、②の「腰を入れる」は、しろくまは、ちょっとどうかな、と思っています。もはん解答は「腰」だけど、「ことわざ大辞典」には出ていない表現… 「身を入れる」のほうがよいかなって気がしています。「本腰を入れる」はよいのだけれどね~
「腰をすえる」は「落ち着いて物事にとりくむ」になって、こちらの同義(同じ意味)に「腰を入れる」が書いてあるので、ちょっと「エ」の「本気になってことにあたること」の答えではないような気がしています。
(3)①三・エ ②五・ク ③八・ウ ④二・キ ⑤三・オ ⑥六・カ
ことわざや慣用句では、「漢数字」がよく出てきます。
「早起きは三文の得」というのを知っていますよね。あれってもともとは「早起きは三文の得にしかならない、だから早起きしてもしかたがないよ」って意味だったの知っていましたか? 「三文」って、二束三文という表現があるように「めっちゃ安い、ねうちがない」という意味に使われる慣用表現なので、この「ことわざ」は、もともとは早起きをおすすめするものではなかったのです。使っているうちに「誤用」が「正しく」なってしまった例です。
まちがいやすい慣用表現ってありますよね。
「流れに棹(さお)さす」って言うと、きっと「さす」という表現のイメージから、「流れを止める」って意味だって思っている人、大人にもけっこういます。川をくだる船に、さおをさしているわけですから、「さらに勢いをつける」って意味なんです。
漢数字の慣用表現にもどりましょう。「九分九厘まちがいないっ」という表現聞いたことないですか? ほとんどまちがいないっ という意味ですが… でも、変ですよね。九分九厘って、9.9%です…
90.1%はまちがいかっ!! ほとんどまちがいやんけっ! て、ツッコミ入れてしまいそうです。これは、省略(しょうりゃく)した表現なんです。ほんとうは「九割九分九厘まちがいないっ!」って言うていたのですが、言いにくいから(舌かみそう)最初の「九割」を省いてしまった表現なんですよ。
「十日の菊、六日のあやめ」。これはわかりますか? これもちょっと省略があります。
「九月十日の菊、五月六日のあやめ」という意味です。
さてさて、みなさんは、五節句いえますか?
三月三日は「上巳(じょうし)」、五月五日は「端午(たんご)」、七月七日は「七夕(しちせき)」、九月九日は「重陽(ちょうよう)」、そして「一月一日」と思ったらまちがい~ 「一月七日」が「人日」で、五節句です。これらをおぼえてみませんか? ちょっとおとなな表現でしょ? 三月三日は桃の節句、五月五日は子どもの日、とか、ちょっと幼稚(ようち)な表現からは卒業してみましょう~
端午の節句の花は「あやめ」、九月九日は「菊の節句」ともいいます。菊は十日じゃおそい、あやめは六日じゃおそいっ て、なるわけです。
「三人よれば文殊の知恵」ってよくいいます。「文殊」は「もんじゅ」って読みますが、これは知恵の仏さま、「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」のことをさしています。
神さまや仏さまも、慣用表現にはよく出てきます。
東京の博物館で奈良の興福寺の「阿修羅(あしゅら)像」が展示されました。あしゅらさんは、戦って戦って、最後に仏さまにすくわれて仏道にめざめる、という神さまです。戦う相手は正義の神さま、帝釈天(たいしゃくてん)。「阿修羅のように」とか「修羅場」とか、ちょっと戦いのイメージがつよいたとえに使われる表現ですが…
切り出した石など、大きく重たいものを運ぶ、木のソリのことを「修羅(しゅら)」というのを知っていますか?
なんで修羅って名前を使うのかな? と思っていたら、むかしの人ってすごいですよね。神話をもとにした言葉遊びだったんです。
修羅は帝釈を動かす… 悪が正義を動かす… 悪いことをする人が出るとそれを解決しようと正義の人が必ず動く、悪いことがおこっても心配いらないよ、という今では使わない慣用表現が昔はありました。
帝釈と大きい石、大石(たいしゃく)をひっかけた言葉の遊び。修羅は大石を動かす、というわけで、大きな石を動かす道具を修羅って名づけたんですって。(ではまたね)
しろくまさんへ
<ようするに入試に間に合わせるつもりで目の前のものをコツコツやっ<て、猛ダッシュの得意な男の子たちに追い抜かれても、よいじゃない<ですか。どうせよくできる男の子たちとは入試では競合しません。女<子は灘・甲陽・東大寺には行けないのですからね。
でもやっぱり追い抜かれてもよい、とは思えません。
よくできる男の子たちとは入試では競合しなくても。
志望校に合格できさえすればよい、とは思えなくて困っています。
勉強方法以前に、
親のカウンセリングをお願いしなくてはいけません。
せっかくしろくまさんが「神様」のお話を書いてくださったのに、
だめな親です。はあ。




































