女子美の中高大連携授業
第二のオボカタを作らないために
レポートや卒論を平気でコピペ。
自分がさも研究したかのように、ストーリーまで作る。
こういう子、学校にいますよね。
宿題を他人からまる写し。
バレるまではさも自分がやったように言い張る。
すました顔して平気でウソをつく。
こういう子どもをどこかで気づかせないと、偽装、捏造、剽窃がどんどん行われていく。
子どものうちは許されても、大人になると人様に迷惑をかける。
やってはいけないこととは思わなかった…
こんな大人ができる前にどこかで止めないと。
一芸入試やAO入試、個性重視とかの変な入試はきっぱりやめて、しっかり勉強、できないものは違う道に活路を見出させる。
能力を伴わない夢見る夢子ちゃんが出ないように、倫理以前の、常識を持つ子を育てるようにしなければなりません。
追記。
ADHDなど発達に凸凹があったり、お利口さんではないが得意分野では非常に優れていたり、そういう異能な人に、理系研究者として非常に才能がある人が多いのも事実。
理系のAOは、そういう人を拾い上げる目的もあったと思うし、それはそれで良い。
ただ、そのような学生には、なおさら丁寧な指導が必要(倫理面含め)。
田舎の小さな国立大なら、教員と学生の距離が近いので、それは可能だろうし、実際、地方国立大出身の優秀な(そしてちょっと風変わりな)研究者はたくさんいる。
学生を丁寧に指導できる自信がないのなら、人数の多いマスプロ大学などで、AOを採用すべきではないのではと思う。
昔々学童保育で仕事をしていましたが、善悪の判断が付かないお子さんの多さに驚きました。
人のものを盗んで自分の物にするために、油性マジックで自分の名前を書いてしまう子もいました。持ち主に返すよう説得しても、『私の名前が書いてあるから私のものです』と返さないお子さんもいました。
学童のお金を盗む子もいました。そして、怒られて反省するフリを指導員の前でして、後で友達には『あの指導員ムカつく。やりかえしてやる』と言っているようなお子さんもいました。
じゃあご家庭は貧しいお子さんが多いのかというと比較的裕福で、誕生日会でケーキを用意しても『またケーキかよ』『こんな安っぽいケーキはイヤ』と文句ばかり。
私がみていたお子さんの一部は小保方さんの世代。そして、当時働いていたのも小保方さんのお住まいの千葉県。驚きというより納得。
盗んでも何とも思わないというのはAO入試が問題というより育ちの問題だと私は思っています。
ある巨大掲示板ではお母様が心理学の研究者と書かれていました。もし本当なら育て直しをしてほしいと思います。
AOは制度的には世界中でうまくいっているので、問題は選抜方法ではなく、その後の指導。
AOをスケープゴートにしてしまうと、日本の大学はさらに世界からは何十年も取り残されてしまうことになります。
例えば、ハーバード大への進学に必要なのは、高校3年間の成績、SATの成績(センター試験的なものだが何度でも受けられ、一番よかった点を使える)、クラブ活動をどれだけやったか、生徒会活動はどれだけやったか、ボランティア活動をどれだけやったか、尊敬する人は誰か、将来の夢は何か、大学で何を学びたいのか(それはなぜか)、エッセイ。など。
さらに、ハーバードの卒業生との面接があります。
ほとんどがこの方式で決まりますので、AO入試もあるというよりも、ほとんどがAOなのです(その他、貧しい高校生のためのプログラムなどが別個に用意されている感じ)。
SATの試験は難しいものではなく、基礎学力があるかどうかだけのものですから、簡単と言われる日本のセンター試験よりさらに簡単なものと考えてもいいでしょう。しかも何度でも挑戦できるので、全ての受験者が同じ土俵であるとは言えません。
それでも、ハーバードはランキングでは1、2位を争う大学ですし、ノーベル賞受賞者も非常に多く排出しています。
なぜ、この方式で優秀な学生を集めることができるのか?
一つのポイントは「ハーバードの卒業生との面接」でしょう。
ハーバード大には、代々非常に優秀な学生が集まってきました。そして、日本でも知られているようにアメリカでは大学に入るのは簡単で、卒業が非常に難しい。
つまり、ハーバードの卒業生というのはエリートなのです。
そのエリートが面接をする際に見るのは、「この受験生はハーバードにふさわしいのか」なのです。
学生などに直接会って話をする機会が多いと、少し話をしただけでその人間が賢いかどうかはすぐにわかります。もちろんコミュニケーション能力の高さもわかりますが、コミュニケーション能力だけが高くて賢くない人間もたくさんいます。
会って話をすると、多くのことを知ることができます。
また、それを感じることの出来る人間が面接を担当していると言えます。
それでも、制度を見ると、ハーバードの入試制度が排他の論理ではないことが解るでしょう。
可能性がある受験生を受け入れるものなのです。
そしてもう一つのポイントは、そうして比較的楽に入っても、進学や卒業は非常に難しいことです。
日本も入試はすべてAOでいいかもしれません。
学力試験では、一面的な能力しか計ることができないからです。
しかし、日本のAOがうまく行っていないような印象を与えるのは、大学に入ってからのハードルが低いためです。
入試制度をいくらいじっても、入学後の大学を改革しなければ、大学は優秀な人間を世に送り出すことができません。
海外の大学のように、卒業論文、修士論文等を出せる状況にたどり着くこと自体のハードルを上げておけば、卒論等の数も減り、その分、審査も十分に出来る状況になります。
日本の私立よりも国立の方が卒論審査が充実している的な話が出ていましたが、国立でも全然ダメですよ。卒論等の数が多すぎるのです。いい加減に大学生活を送っている人間など、進級さえさせなければいいのです。そうすれば卒業年度の学生が少なくなり、卒論も減るのですから。
一方で、大学を卒業できなかった人間も、民間企業はしっかりリクルートする仕組みも必要になります。
卒業は出来ていなくても、「○○大学を2年まで進むことが出来たのは、かなり優秀だ」「3年まで行ったのか、それは凄い」「4年に行って卒論も出せているのか、最上級の人材と考えていい」といった仕組みです。
このようにしていけば、国立、私立問わず、「卒業者はきわめて優秀」ということになっていきます。
卒業した者が無条件で高い収入、やりがいのある仕事につくことが出来るようにすれば、多くの学生が頑張り始めるでしょう。
それこそが、最も望ましいことなのです。
現在、就職活動の際に企業が重視するのが”コミュニケーション能力”などと言われています。
それがいかにレベルの低い話であるか、日本は気づくべきです。
コミュニケーション能力があるかどうかなど、アメリカの大学では入試の際にすでにクリアしている事項なのです。
リーダーシップが取れて、社会貢献が出来て、コミュニケーション能力があって、そこそこの学力も備えている人間が大学入試に合格します(しやすい)。
そこが出発点。
そして、真の意味で大学に行った意味のある学力を身につけているかが、大学の進学状況と卒業で見ることが出来るのです。
>AOの方が一般入試よりも入りにくいところもいっぱいあるよ。
AO入試が一般入試と同じくらい難関なのは、医学部くらい。
AO入試は、自己分析とか各コンテスト入賞履歴とか、
手間暇はかかるけど、能力とは違う。あくまで手間暇。
親や教師がお手伝いできる履歴です。
集団ディベートや小論文のテクニックも、予備校で習えるしね。
「入ったら卒業は誰でもできる日本の大学に、AO入試は合わない」
という意見に同意です。
学生本人の学力のみで勝負する入試制度にしないと、
「リケジョ」と持ち上げられた第二のおぼちゃんが生まれそう。
AO入試は、自己分析とか各コンテスト入賞履歴とか、
手間暇はかかるけど、能力とは違う。あくまで手間暇。
親や教師がお手伝いできる履歴です。
中高一貫校の特別枠でもありますよね。
夏休みの研究とか、親がいくらでもお手伝いできちゃうじゃん??と突っ込みたくなりました。
以前、秋葉原で事件起こした人、「親が描いた絵画で・・・親がやった研究で・・・」と言っていましたし。
私もなんか違うな、と感じます。
AOなんか、どの大学も縮小方向。
基礎学力が無いんだもの。
理系なんかに導入するのは論外。
口だけ上手くて印象良くて面接官騙す能力があればよいのでしょ。
まずは基礎学力。
長崎大学の医学部もセンターで確かちゃんと点数とってないとあかんでしょう。
むしろ、点数による合否はそのままでその上で面接や論文、一発芸のテストすりゃよいんだ。
ただ、今度のこととAOは直結させなくてもよい。
現代の学校にはびこる宿題丸写し、レポートコピペ文化、風土を一掃すべき。
てゆーか、オボカタ早く出てきてすべて正直に話そてほしい。
STAPあるかないか検証中、って、検証なんかせんでも彼女が一言、嘘でした、と発表したら終わるやん。
あります、それは本当です、と告白してから動こうよ。




































