今年入学した高1生が語る青春リアル
甲陽一強の兆し
YouTubeの再生数の変化率から、関西の中学受験では甲陽学院の人気が一強です。
2024甲陽は更なる難化が見込まれます。
関西中学受験の甲陽卒業生の多さや資本主義世界における甲陽学院卒業生の華々しい活躍(アストロスケール、マネーフォワード、ベースフード、イノカ、ナレッジワークなど)が反映されたのでしょうか。
ちなみに、今年の東大理一首席は甲陽でした。
また、先日、甲陽学院卒業生の柄谷さんが哲学のノーベル賞ことバーグルエン賞を受賞しました。日本から「思想」が生まれた瞬間です。
そうですね。時代とともに変遷があるようですね。
下記は手元にある最古の資料ですが、1951年の東大(左)と京大(右)の合格者数(兵庫県)です。
当事は公立が強く、私立では灘、甲南、三田、甲陽の順ですね(校名は当時のもの)。
六三制の義務教育となったのが1947年からなので、新制高校の一期生卒業が1950年、灘が神戸一中から受け入れた生徒はこの頃3年間に卒業しているようです。
兵庫 5 19
神戸 6 18
姫路西 2 14
芦屋 2 10
灘 4 10
豊岡 0 9
甲南 4 9
姫路東 1 8
長田 0 5
伊丹 1 5
星陵 0 4
柏原 0 4
龍野 1 4
三田 0 4
尼崎 2 3
小野 2 3
明南 0 2
加古川西 0 2
甲陽学院 0 2
日本中旧制中学の時代は公立旧制中学(特にナンバースクール)が各地域のエリート校だった。
公立旧制中学間でも名門校と呼ばれるエリート校が存在して、名門校には校区外から相当数の越境通学者が存在していた。
兵庫県の場合神戸一中(神戸高校)や神戸二中がエリート校でやはり越境入学者が存在していた。
戦後の学生改革で旧制中学が新制高校に改組された際に、新制神戸高校は通学区域外(おそらく阪神間を中心とする神戸市外)居住の生徒を放校することとした。
その際に、旧制時代から一中二中の滑り止め校だった灘に転校を希望する生徒が多く発生し、灘が無試験で受け入れた。
こうして、一中に越境通学していた優秀層を灘が取り込む事に成功し、新制高校として神戸高校や兵庫高校と早くから肩を並べる大学合格実績を上げることができた。
また阪神間では学校間格差是正の理念のもと高校の入試制度が総合選抜制という怪奇な制度が導入され、公立高校受験者は志望する高校に入学するのではなく、教育委員会が割り振りした高校に進学することとなり、学区内に特に進学実績の高い学校というものは存在しない状況となった。
このため心ある家庭では公立高校ではなく私立高校ないしはその系列中学に進学を希望する家庭が増え中学受験が盛んになった。
このため阪神間では灘中学を目指す人が増えていき、灘の進学実績が向上していった。
神戸市に立地しているが灘が阪神間のトップ高としての役割を果たした。
私立なので灘には校区がなく進学実績の伸長とともに広域から優秀な生徒を集めてられるようになった。
これがさらに灘の進学実績向上に拍車をかけた。
併せて灘を志望しつつも残念ながら灘受験におぼつかない層も増加を続け、これらの層が甲陽に流れ込みはじめ甲陽の進学実績も灘の背中を追うように向上していった。
参考までに、洛星や洛南が躍進したのは京都府の高校の学区が1学区に1校しか高校が存在しない小学区制を導入したため、同様に私立人気が高まった結果。




































