在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
中学から高校への進学
星光では、10名程度高校に進学できないと、聞きましたが、基準は何ですか?3年間の成績で決まるのでしょうか?優秀なお子様が通うのですから、トップと最下位の差も当然あると思うのですが、不安です。無事合格できても3年間のお付き合いなんて悲しすぎます。進学できない方は公立校進学だと思いますが、どの程度高校に進学されたのですか?
愚息の場合、中三のある時期の面談で、担任より家庭教師か通塾を薦められました。
実際の話ですが、成績不振だったのでしかたのないというか、有り難い話でした。
おかげで、無事大学生となりましたが、今から思うと親としてはトホホな話です。
英語の勉強が好きで、そのために塾に通う愚息の友人もいましたよ。
wスクール前提とはいいませんが、それくらい通わせれる金銭的余裕がないと
しんどいと思います。合宿費などもかかりますし、授業料も高いほうです。
通塾薦められたら
中退・・・が
本当ならよくよくお考えくださいね。入学するといろいろお金はかかります。
過去問 さんへ:
-------------------------------------------------------
> 過去問平均点クリアで喜んでいたら危険ですよ。
> まあがんばってください
うちは上の子で、合格最低点クリア出来ずに苦しみましたが。
といいましても卒業は昭和50年代後半で、共通一次3年目?世代です
昔の話で参考にならないかもしれませんが・・
同級では数名が母校の教師をしております
私が中学に入学した当時は兵庫では灘、甲陽、六甲、京都では洛星、奈良では東大寺が有名で・・大阪では私学の地位がまだまだ低く(優秀者は高校で公立一番手に進学する)それらの中学に手が届かない者たちや大阪南部の者(同級で優秀者は大阪南部や奈良県境の者が多かった)が入学していたと思います ですから当時の教師陣はこれらの学校に追いつけ、追い越せで勉学には非常に力を入れ、ある意味スパルタであったように思います 現在もまだ星光で教鞭をとられている恩師と昔話として当時を懐かしくふりかえる機会もありました
私が在学していた当時から中学在学中、及び卒業時の放校?といいますか自主退学といいますか・・事実10名ほどいました
理由は成績不振、生活態度不良、家庭の事情、いじめ・・などそれぞれであったと記憶しております
そんな友人と現在も数名交流がありますが、ほとんどの者が高校は府立高校2,3番手校に進学しました 大学は決して名門国立とはいきませんでしたが、高校に内部進学した者よりも世間では優秀といわれる大学に進学した者もいます 今だから言える事として、そんな友人や恩師に話を聞くとやはり当時はお互い辛かったと・・恩師は退学勧告を生徒の将来を考えて行ったと言います 確かにその当時、勉学面、生活面で浮いた存在であった事は事実でしょう でも、13,14歳の子供にはきつい仕打ちであった事も事実で 退学した友人は恩師を暫く恨んだと言います 今となってはそれが良かったのか悪かったのか本人にもよるわからないと
母校で教師をしている同級の友人と話しても 同じような事が今も行われているのが現実で、同年代の子を持つ親となった今、母校に対して多少の寂しさを感じます 当時より進学校として世間に認知されているのだから もう少し懐広くとも思います
愚息は現在居住地に近い母校とは別の進学校に通学しておりますが、その笑顔を見ておりますと、個人が勉学に頑張る事は勿論ですが 学校にも子供達が自主退学せずに済むよう、なおいっそうの努力をしていただけたらと考えてしまいます
この話題になると、私って冷酷な人間なのかしら?と思うのですが、支持派です。
高校は今の時点では義務教育ではありませんから、
全ての生徒が卒業できる訳ではありませんよね。
また、入学者全てに卒業を約束している学校は、学校として信頼できません。
卒業できる可能性が低いなら、入学させてくれるな。とすら思います。
自分の子が間違いなく高校にあがれると思っているから、
こう考えるのかしら?と自問自答しますが、やはり答えは同じです。
うちの大事な子供が、努力してもついていけない学校はこちらから願い下げです。
わからない授業を受けるためにお金なんか払いたくないです。
(実際はうちの子みたいな平凡な子が、宿題してるだけで
そこそこの成績とってくる学校なのですが)
よく似た話しで、塾の「灘クラスから落とされる」というのがありますね。
極端な話しですが、偏差値が50台になった子供が灘クラスにいてなにかいい事あります?
星光クラスに替えてあげるのも優しさだと思うのですが。




































