マルチリンガルを目指せる女子校
現代日本人が失ってしまった大切なもの
この世の中(日本の社会)は、頭に来る事や腹立たしい事などイヤな事の方が楽しい事よりも多すぎる。
だけど、それをイチイチ考えたり気にしたり仕出したらキリがない。
しかし、世間一般の殆どの人達がガマンを強いられて、その結果多くのストレスを抱えて生活している。
私は、以前博多(福岡市)一の繁華街・天神の町へ1日1回は必ず出掛ける用事がありました。
去る2003(平成15)年12月26日の午前中、天神の路上で小さな仔猫のおもちゃを見つけ拾いました。
拾って、その仔猫をよく見ると、仔猫は天神の雑踏の人間たちに踏みつけられ続け、しかも2003年12月26日朝からの
寒い冷たい雨に打たれ続け、その仔猫はかなり痛そうな感じの様に私の目には映りました。
私はこの時、改めて思い直したのです。
今の日本人は、みんな私利私欲(俗に言う金儲けです)に走り過ぎてしまって、お金以上の大切なものを失ってしまったんだ・・・と。
昨今、イヤな事・イヤな事件・イヤなニュース(リンゼイさん殺害事件や千葉の女子大生殺人事件、島根の女子大生殺害事件etc.)が
増えているように私は思いますが、日本の法務省は、刑罰を今まで以上に厳しくしていく方針である事を新聞やTV・インターネット等で
声明を出して居ります。
しかし、刑罰を厳しくしたから、罰則を新たに設けたから、警察官の数を増やしたからといって、イヤな事・イヤな事件・イヤなニュースは
減るのでしょうか?
それよりも何よりも私は、弱い人に対する‘思いやりの心”を今の日本人に取り戻させる「心の教育」(道徳)こそ、より重要であると
私は考えるのです。
心の教育、道徳教育前政権が一生懸命目指したのもつかの間民主党と、日教組に全否定されてしまったことが悔しいです。
日本人が失ったもの 足るを知る 謙虚 分をわきまえる 恥を知る 助け合う思いやる こういう感覚が急激に失われていった感じがします。他人にあからさまに迷惑をかけなければ何をしても良い、文句を言うな。人権侵害だーみたいな間違った個人主義。なんとかならないものですかね、、、、
道徳とは何でしょう。
宗教的な道徳もあります。
思いやりとは何でしょう。
やさしさと何でしょう。
現代日本人とは?
みんなそれぞれ心の中にそれなりの道徳・思いやりは秘めていると思います。
友愛とはそんなに素晴らしいことでしょうか?
自己犠牲出来る人ってそんなにいるでしょうか?
私利私欲は、悪いことだと言い切れますか?
あなたの全財産を投げ打ってでも、困っている人に奉仕できますか?
みんな完璧ではないのです。
思いやりを持っていても、あなたの考える思いやりと隣人の考える思いやりの形が違うだけではないのでしょうか?
>この世の中(日本の社会)は、頭に来る事や腹立たしい事などイヤな事の方が楽しい事よりも多すぎる。
かどうかについては、それほど共感できません。むしろ
毎日が感謝の気持ちに溢れて生きているような日々であると言った方が
いいかもしれませんが、
ただ現在の自分が単にそういう状況にある時期だということだけなのかもしれません。
喜びの方にばかり目が行って、厳しいこともどうにかパワーで乗り切れる時と
悲しみの方に目を奪われて、喜ぶことを忘れているときと
いろいろな時がありますよね。
>しかし、刑罰を厳しくしたから、罰則を新たに設けたから、警察官の数を増やしたからといって、イヤな事・イヤな事件・イヤなニュースは
減るのでしょうか?
それよりも何よりも私は、弱い人に対する‘思いやりの心”を今の日本人に取り戻させる「心の教育」(道徳)こそ、より重要
という点に関しては全く同感です。
自分が被害に遭ったときそれだけのことを考えられる余裕がうまれないかもしれませんが
重罪を犯す人ほど、深い悲しみを負った傷だらけの心の人なのだろうと思うので人の優しさが必要だと思います。
怒りに怒りをぶつければ苦しみは増幅するでしょうし、同罪だと思います。
許すということについて色々議論があるとは思いますが
罰を与えるという考え方は間違いなく不遜だなぁとは思いますよ。特にどんなに重罪であっても人を死刑にすべきとか言いきれる人は、取り敢えず信じられないです。
ところで、どなたでもご存知の事だったならすみません。2003(平成15)年12月26日は何があった日だったでしょうか。
私も、心の教育というのがとても重要になると思います。
ただ、それには、なにが『良い心』なのか考えることが必要です。
個人的には、昔の日本人の心を理想としたいのですが、現在の社会の形態を見ると難しいように思います。
多くの人が物事を利害、効率のみで見てしまうため、『犠牲の心』や『奉仕の心』を教育していくのが難しいと思います。
また、現在の道徳教育もしっかりできているのか、疑問を覚えます。
道徳教育では『心』をつくらなくてはいけません。
『心』をつくるということは、感情や考え方の基本をつくることです。
このときに、理論で教えてしまっては意味がありません。
例えば、
「困っている人を見たら助けてあげなさい!自分も困っていたら助けてもらいたいでしょ!」
では、少し違うと思います。
「困っている人を助けるのは当然なんです。なぜなら、そこに困っている人がいるからです。」
で、いいと思います。
このような『奉仕の心』は利害ではなく、自然と身についていることが重要だと思います。
特に、宗教的な要素の薄い日本では西洋の真似しているだけではダメだと思います。
神がいるからこその自分という考えがないのだから。
また、事件の話が出たので触れておこうと思いますが、心が弱いため事件を起こしてしまう例も多いと思います。
これは、道徳だけでは補えません。
実際、悪いことだと分かっていても、あえてそれをするという事件も起きています。
心を強くするためには、しっかりと怒られる経験や、苦痛、恐怖、悔しさ(良質な不快感)などを適度に感じさせることも必要だと思います。
長々と書いてしまいましたが、まだ私も思慮の足りないところが多くあります。
この問題について、より深く考えて、日本を良くしていきたいですね。