アートの才能を伸ばす女子教育
女子にとって丁度良い大学
レベル高すぎて男や仕事に対して理想が高くなりすぎるのも困る、低すぎて縁談や就職で不利になるのも避けたい。
女子にとって理想の丁度良い大学はどこだと思いますか?
ご返信ありがとうございます。
理解しました。
そうですね。大学で何を学ぶか、ということが先にあって欲しいと私も思います。
私自身は、華があるとかイメージがいいからという選択をしたことがかつてないです。子供は息子と娘がいますが、息子が女の子に対してそのような観点を持ってるとはちょっと思いにくいです。
親が無頓着だからというのもありますが。
私は男性の多い大学、男性の多い職場でしたが、いい仲間と出会い、いつも自然に気の合う友達からお付き合いに発展していました。主人とは20代半ばで趣味で知り合い結婚しました。
大学の女友達はみんなこんな感じで、お相手は高収入で真面目そうな方が多いです。
女子人気の大学へ進んだ友人たちは、サークルや合コンなど盛んでどんどん華やかになり楽しそうでした。でも周りに綺麗な方が多く競争が激しいのか、成果が出ないというボヤキを時々聞いていました。
意外と独身率も高いです。
また同じ女子校(高校)の友人も同様で、容姿のいい子は次々話があるけれど、、といった感じでした。
偏見かもしれませんが、女の子は容姿がそれ程でないのであれば、女子の多い環境より女子の方が少ない環境の方が何かと上手くいくのかも、と勝手に思っていました。
いわゆる女子に華がある学校って女ばっかりですよね。
キミの文章からは、それ(=「華」)が個々の主観的なものに過ぎないということが見て取れる。そうであるなら、各自の価値観によるところが大きくなる。したがって、キミのように「伝統ある女子校」に価値を置く考え方もあれば、他方でそれを実態と乖離したステレオタイプだと感ずる向きもあろう。
いずれにせよ「女子の経歴に多少の華が必要」との命題につき、
1.なぜ女子には「華」が必要なのか
2.その場合の「華」とは何か
3.男子には必要ないのか
といった点につき、まだ解明されていない気がする。あえて率直に言えば、客観的な存在基盤を持たず、論証難しい「主観的思い」をいろいろ提起されてもあまり関心がないとしか言いようがない。命題は客観的な根拠をもち、安定した構造をもつとき「真」になると思われるからである。
>子供は息子と娘がいますが、息子が女の子に対してそのような観点を持ってるとはちょっと思いにくいです。
華があるイメージが良いという観点ではなく、自ずと同レベルの子(学力、家庭環境等)を選びがちだと思いました。男子校女子校だと塾(中受時代の塾も含めて)や友達の友達ぐらいしか接点がないので、尚更ですね。
共学附属は附属の中でのお付き合いになるので(男女交際ではなく、友人関係中心ですが)もっと範囲が狭まるかも?
両方見て感じたのは、共学附属の子はバランス感覚というか程良い距離感を保つのに長けている、ということです。少なくともこの先10年仲間としてやっていかなければならないので、男女交際には慎重ですね。大学附属で共学だと今も昔も変わらず遊んでる風に思われますが、チャラい子はほんの一部で(でも目立つ)大多数は至って真面目な普通の子です。特に女の子は変な噂を立てられるのが嫌みたいで、上手にかわしてます。上手にかわせるって、案外役に立つスキルだと思います。
大学生だけ見ると、今の子って服や靴バッグにお金をかけないので、立教青学の学生も明治早稲田の学生もシャッフルしたらわからないというか、どの子も同じように見えますね(私がおばさんなだけかもしれませんが)
私が学生だった頃(約20年前)のほうが、余程各大学のキャラが立っていたかも?
明治大学は御茶ノ水のオフィスビルのようなキャンパスと、安住アナや北川景子さん向井理さんの出身校として知られて、すっかりイメージが変わりましたね。
学費が安いとか地方出身者が多いとか、何かとバンカラなイメージしかなかったアラフォーには本当に驚きです。
結局「丁度良い」って、自分をどう見せたいかによって基準が変わるんじゃないでしょうか。
令和の時代でも、バリキャリではなく専業主婦になりたい女子は一定数いると思います。その一定数も多くいると思います(環境が許さないだけで)
私自身も「伝統ある女子校」の座りの良さのようなものは分かるような気がする。たとえば用務先近くで見受ける『S学園』の皆さん方だ。派手な印象はなく、あなたのいう「育ちの良さ」のようなものを感じる。ただそれは、有名な「お嬢さん学校」であるとの私の主観的な先入観に過ぎず、それ以上に私に合理的な裏づけを有するものではない。他方で同じ「お嬢さん学校」でも、近くにある『S学院』の方は活発なイメージ。友人・知人関係から部分的に思い当たる例あっても、およそ一般化できるものでない。そうすると、あなたのいう「(女子の)華」の中身は、そうした個々の価値観に基づくそれぞれの思い込みに過ぎないといえようか。
































