今年入学した高1生が語る青春リアル
中央大学法学部は都心移転によりどこまで復活するか?
みなさんの予想はどうですか?
私は、
出身学部別での司法試験合格者数は1位。
予備試験合格者数では2位。
国家公務員総合職の合格者数では早慶を抜いて1位。
民間は今より良くなる。
偏差値は普通に早慶上位レベルまで上がる。
中央法学部の進める3+2法曹コース、大学3年次飛び級法科大学院進学、5年目在学中司法試験合格策に伴う予備試験志向減少現象は次の数字で分かる。
令和6年の予備試験の学年別合格者数である。
早稲田法と比較する。
1年次 中央1人 早稲田1人
2年次 中央6人 早稲田8人
3年次 中央7人 早稲田12人
4年次 中央4人 早稲田12人
卒者 中央7人 早稲田21人
早稲田は学年毎に順調に合格者を伸ばしているが、中央は増えるはずの3年次で足踏みし、更には4年次で4人と減らす。
4年生まで留め置く早稲田法と対照的に、毎年、主力戦力たるべき優秀な3年生が約45人も早々と卒業し法科大学院に進学し、中央法学部に居なくなってしまうことが原因であることが明らかだ。
京都法でも3年次の合格15人が4年次に7人に不自然に減っている。
仮に予備試験に大学4年で合格しても、司法試験受験は翌年の5年目で、法曹コース5年目の在学中受験合格と変わらない。
卒業後一年で予備試験に合格しても、法曹コース5年組には一年遅れることになる。
2026中央法学部ガイドブックより。
Nさん 多摩キャンパスはモノレールの改札から大学まで0秒ですが、炎の塔(旧学研連塔)は遥か彼方、行くのを断念することもありました。
茗荷谷キャンパスは駅から近く、建物も綺麗なので通学のモチベーションが上がります。
中央大学 学員時報令和7年7月夏号のトップニュース、長年務めた久野会長に代わって芳井新会長が就任した。新しい活力が期待される。
芳井敬一氏はダイワハウス会長兼CEOで1981年、文学部哲学科卒だから多摩キャンパス移転後、早々に入学したと見られる。
神田駿河台知らずの多摩卒だが、多摩に残る駿河台由来の学部の都心回帰に前向きだとされている。
その東京本社は総武線、首都高、外堀通りを挟んで北西数百mに、かつて中央大学の水道橋校舎のあったトヨタビルを望む所にある。
同じ多摩世代でも、八王子生まれだといい、多摩愛に満ちて現状維持に余念のないらしい学長とは異なり、危機感を抱き都心の利便性を熟知して考慮していると見られる。
芳井会長はラガーマンだったという。改革を進める大村理事長ら経営陣と強力なタッグを組んで後世に残る仕事を押し進めていただきたい。
去年と今年の中央法学部ガイドブックを見比べた。昨年の2025版は法曹志望者の学生の紹介で、一番手は3+2法曹コースで中央ローに進み、司法試験に合格して大規模法律事務所に内定している女性。
二人目は2023年に予備試験に合格し、東大ローに進学した男性。
三人目は4年生で東大ローに進学する男性。四人目も同じく4年生で東大ローに進学する男性。
五人目は4年生で東大ローに進学する女性。
とにかく、東大ロー進学者がこんなにいるんです。中央法学部から東大ローに進学できますよと宣伝するような様だった。神田駿河台時代の司法試験 20連覇で独走した当時の法科の中央のプライドはもはや窺えない。
今年の2026年版は、一人目は3+2法曹コースで中央ロー在籍で司法試験に合格した男性。
「法曹コースの効率的カリキュラム。印象的な授業は導入演習と法曹演習。司法試験対策として役立ったのは毎週起案して実務家の先生に添削していただく実定法特講です。おかげで、100位台の成績で司法試験に合格できました」
関東某県で三十番目位の高校出身のこの学生が最も象徴的だが、総じて毎年、中央法学部合格高校ランキングの上位に出て来る高校の卒業生ではなく、北海道や九州や地方出身者が多く紹介されていることが特徴である。
ある人は浪人中の予備校に中央法の職員が来て法学部の説明をされたことから進学し、4年生で司法試験に合格したという。
編集には意図がある。戦前から多数の法曹を輩出して来た切磋琢磨する伝統の法科の中央の学研連の各研究室、そして中央法学部の手厚い法曹育成養成力の高さをアピールする狙いがあるのであろう。
二人目は4年生ながら司法試験に合格した女性。三年生で予備試験に合格したのだろう。
「一年生の法曹演習、三年生の法曹特講で答案の書き方を具体的に学ぶことができました」
三人目は3年生で中央ローに進学する女性。「法律のエキスパートによる講義と同志の存在、法曹志望の学生にとって理想の学習環境です」
四人目は政治学科で早稲田ローに進学する女性だ。
勿論、法曹以外の国家公務員、東京都庁、日本銀行、テレビ局やNTTなど民間企業に就職の人たちも紹介されている。
今から四十年前の1985年、中央大学創立百周年の年に当時の渋谷健一理事長に、元日弁連会長の堂野達也学員会会長が建議書を提出した。多摩移転から7年目の年で、客観的にはまだ直後の範疇の時期である。
「母校は多摩移転直後には、社会的羨望を集めていたにも拘らず、その後、各種国家試験の成績、入試における偏差値等において、社会的評価が低落するなど予期しない困難な事象に遭遇するに至っている」
「その要因は、一つには教育研究に最適と思われていた環境が[陸の孤島]と呼ばれて敬遠されていることである」
多摩移転後十年もしない時期だが、当時は多摩動物公園駅から山道を歩くしかなく、後に中央大学は自らの出資工事で、より近道を作るべく中大隧道というトンネルを掘ったというのだ。
都心中心部の神田駿河台では到底考えられない事態だ。
そもそも森林の多摩丘陵の台地を開拓し、とんだ地球表面改造者になったものだ。
これらのアクセス問題の解決は2000年の多摩モノレールの直結の中大駅の開設まで待たねばならなかったという。
司法試験の実績を見る限り、多摩移転の前から東大のトップはほぼ確定していたと思いますね。ただ早稲田が台頭してきていたのは事実。それでもトップになることはあったし、東大、早稲田のワンツーフィニッシュが定着したのはこの建議書の数年後だし、明らかな低迷は建議書から10年経った1990年代後半からですね。建議書時点で社会的評価が下がりましたかね?
司法試験実績“常勝”が中央大法学部のアイデンティティなら気持ちは分かりますが、すべてを多摩移転ー物理的理由に帰結させるのは、少し身勝手なような気もします。まァ多摩移転がボディーブローのように効いて来たのが10年後なんて主張もありますが、予備校の難易度をネットで調べても、移転前と移転後でそれほど大きな差は無いように思えます。
中央大卒の法曹関係者が通いづらくなり、後輩の面倒見が悪くなったのを、司法試験低迷の一要因にする関係者もいるようですが、もしそうなら法学部当局が大学として手立てを講ずるべきでしたね。
多摩移転の7年後、「陸の孤島」と自ら喝破した堂野達也学員会会長は「その現状を改善するための諸目標として①上位にランクされる高等学校の生徒が挙って受験する魅力ある大学体制を創り
②入学試験上位合格者が他大学に流れている傾向を防止し、上位合格者の入学を確保するための方策を樹立すること。また、都会志向の現在の学生気質を理解し、それを補完する方策を考慮し
③入学者選抜の多様化を図り、人間性や論理的思考の側面を評価する大胆な方策を考えるべきである」
1985年の同号
「法学部の入試合格者の成績順で上位百名のうち入学手続きをする者が2割にも満たないという現実は、かつての黄金時代に中大の栄誉を担って来た学年約百名の実力者層の大部分が、他学、とくに早稲田に流れて、早稲田の実績向上に寄与していることを雄弁に物語っている」
「雪崩的低落傾向のうちにも未だ余韻の残っている[中大法科」の伝統の火が消えない内に、起死回生の策を打つことが責任ある大学に期待されることである」
神田駿河台から多摩移転7年後、後の祭とはこの事だ。予見可能性、予見能力が問われる。
1973年、大塚理事長が最高裁判事に任命された後、堂野達也弁護士は後任の理事長となり、百年の計としての多摩移転への進展を決意していた。
十数年前には「都会志向の現在の学生の気質を理解」できなかったのか。幾つもの歌にも歌われたように、その昔から若者は大都会の東京に憧れを抱いて来た。
当時、地方から多摩に進学した学生が東京に来たのに、自分の田舎より田舎だったと嘆いたという話があった。




































