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創立年 1868年慶應74年立教77年東大80年法政81年明治82年早稲田85年中央96年京大

【7665918】
スレッド作成者: 格 (ID:RidX0.1n6qg)
2025年 04月 22日 21:04

1868年 慶應義塾 創立

1874年 立教大学 創立

1875年 同志社前身の官許・同志社英学校創立

1877年 東京大学 創立

1880年 法政前身の東京法学社創立

1881年 明治前身の明治法律学校創設

1882年 早稲田前身の東京専門学校創設、國學院大學前身の皇典講究所

1885年 中央大学前身の英吉利法律学校創設

1889年 関西学院 創立

1896年 京都大学 創立 関西大学前身の関西法律学校創立

1900年 立命館前身の私立京都法政学校創立

1907年 東北大学 創立

1920年 名古屋大学、一橋大学 創立



大隈重信は早稲田大学設立の際、福澤諭吉に大いに助けられています。設立に際しては、福澤諭吉は多くの慶応の優秀な人材を早稲田に送り込んでいます。

しかし肝心の早稲田大学の開校式に大隈重信は出席できません。出来ないというか敢えて出席しなかったのです。

「明治十四年の政変」で伊藤博文と対立し、明治政府の中心から追い出されたことが影響しています。当時改進党総理であった大隈重信は、対立する伊藤博文一派から早稲田が目を付けられることを慮ってのことでした。

明治14年は西暦1881年です。早稲田大学設立はその翌年1882年です。

大隈重信不在の開校式では、校長大隈英麿が「開校の詞」を朗読し、大隈重信の盟友小野梓が演説、高らかに「学問の独立」を宣言したのでした。

大隈重信は早稲田大学の開校式には出られず代わりに福澤諭吉が出席して祝辞を述べました。

【7721035】 投稿者: Maison Kitsuné   (ID:ljJitBI2aGA)
投稿日時:2025年 10月 15日 13:37

好調になう?

【7731584】 投稿者: リベラル   (ID:8NutlOhruQ2)
投稿日時:2025年 11月 11日 13:09

日本だけに限らないが、西側諸国の左派リベラルは反国家的であり、警察や軍隊といったものに対する反発が強く、軍事による抑止力によって今の世界の外交安全保障が成り立っているのが、分かっていないか理解しようとしないから支持されない。

【7731588】 投稿者: nicotine   (ID:Lbv5G9RTHjM)
投稿日時:2025年 11月 11日 13:22

反国家的なのではなく、国家という装置のあり方を常に問い直すのがリベラルの本質だ。国家を絶対化した瞬間に、自由も責任も形骸化する。その緊張の中でバランスを取るのが民主主義という制度だが、日本ではその問い直すという部分が抜け落ち、賛成か反対かのチープで単純な二項に押し込められてしまった。

軍事も抑止も、現実を直視するうえで不可欠だ。しかし、それが目的化した時、人間は理念を忘れ、機械のように命令に従う存在になる。リベラルはそこにブレーキをかけようとする。

綺麗事?理想論?
そう呼びたければ呼べばいい。けれど、理想を語れない社会は、現実さえ見失う。夜明け前の一瞬の静けさに、人はまだ、光のかたちを夢見ることができる。

あと私はバリバリの保守本流だよ。
高市氏やネットの似非右翼は全く右でも保守でもない。

【7734777】 投稿者: 地方の時代   (ID:xGblXZCqZP.)
投稿日時:2025年 11月 22日 23:12

地方の時代が、単なる掛け声だけでなく、また数学的な比例感覚だけでなく、相対的な評価として、あらゆる制度構築、施策の実施に反映されないかなあと思う。
真っ先に頭に浮かぶのは、選挙区再編である。

【7735459】 投稿者: Margaux   (ID:SBiOTQ6ESvQ)
投稿日時:2025年 11月 25日 20:31

地方の時代という言葉がいつまでも掛け声のまま止まるのは、人口配分や面積といった算術の問題ではなく、国家設計の視点が中央集権のまま硬直しているからです。
制度をつくる回路が東京を基点にしか描かれていない以上、地方は永遠に補助線の扱いになり、再編も分配も同じ重力に引きずられるだけです。

選挙区再編は象徴的です。人口比で線を引けば公平に見えますが、実際は地方の政治的影響力を削るだけで、政策形成の多様性を奪う結果になっています。
地域差を誤差として扱う発想のままでは、地方は国の周縁に押し込められ続け、制度の中で存在感を示すことができません。

本当に地方の時代を実体化させたいなら、再編の軸そのものを変える必要があります。
人口ではなく、地域が担う役割や機能を基準にする。
中央でしか成り立たない前提を疑い、政策決定の重心を複数化する。
その設計がない限り、地方の時代という言葉だけが空転し続けます。

地方の価値を比率で測れば永遠に中央が勝つ構図になります。
比率ではなく構造を問い直すこと。
そこからしか、本当の意味での地方の時代は始まりません。

【7736527】 投稿者: 権利   (ID:cFheZog8XJE)
投稿日時:2025年 11月 28日 23:52

「リベラル」=個人の権利の拡大
そう考えるとだいたい説明できる。
たとえばリベラルが平和とか反差別を口にするのも、それらを口実にして自分たちの権利の拡大を狙っているから。それらはあくまで口実に過ぎないので「平和維持を現実に実現するにはどうすればよいか」なんて話には興味を持たないし、他人には「差別するな!」と言いながら当人たちは平気で差別的な発言を行うというような矛盾がアチラコチラで見られることになる。平和を口にしながらやけに暴力的だったりするのも同じ理由。

【7737124】 投稿者: Margaux   (ID:NgL5noCnuEk)
投稿日時:2025年 12月 01日 15:05

あなたの整理は、政治思想の歴史的な定義とも、実際のリベラル勢力の行動様式とも噛み合っていない。
リベラルを個人の権利の拡大だけに還元すると、一見わかりやすいけれど、その瞬間に政治思想としての厚みが消える。

リベラルとは権利を拡大するために存在しているのではなく、国家・市場・共同体の力が過剰に傾いたとき、それに対して制御をかける問い直しの装置です。権利はその結果として生まれる副作用に近い。

リベラルが平和や差別の問題に強く反応するのは、権利を欲しているからではなく、国家や集団の論理が暴走した時に最初に破壊されるのが弱い個人だと知っているからだ。これは思想史の基礎であり、心理主義で説明できる話ではない。

平和を語りながら暴力的な振る舞いを見せる人がいる?
もちろんいます。右にも左にも同じだけいる。
それは思想の問題ではなく人格の問題。そこを混同して思想そのものを矮小化するのは、分析ではなく決めつけ。

国家に歯止めをかける機能を持つ者を権利拡大のための看板と読み替えると、世界中のリベラルの歴史的役割が説明できなくなる。
アメリカの公民権運動も、環境法制も、議会統制も、権利を得たいからではなく、国家や市場の暴走を抑えようとした結果だ。

私は国家や防衛の現実を直視する立場ですが、それでもなお問い直す視点は必要だと思っている。
その緊張がなくなった瞬間、人間は制度の付属物になる。

あなたの議論は、リベラルを自分の権利を欲しがる人たちという心理カテゴリーに押し込めることで、思想としての構造を平板化してしまっている。
そこを丁寧に分けて考えた方が、議論としては深まる筈。

【7738608】 投稿者: 保守派   (ID:cGNHmAdPCjw)
投稿日時:2025年 12月 05日 09:34

保守とリベラル、これについては以前チャッピーと話したことがある。
基本的には保守とは自由を重視し、リベラルは平等を重視する。保守=右翼、リベラル=左翼ではない。

また保守は自由を重視するので、それを管理する政府は小さくなる。リベラルは平等を重視するので、そのためには政府は大きくなる。

チャッピーによれば日本の保守(自民党)は少し特異的で自由経済を標榜しながら政府は大きくなったとしていたが、個人的には自民党が純粋な保守政党ではないと考えてます。

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