アートの才能を伸ばす女子教育
地方国立組はなぜ早慶にコンプレックを抱くのか?
地方国立組が早慶にコンプレックを抱くのは完全に手合い違いですのでやめましょう。
まず自分の大学の立ち位置を確認しましょう。
地方旧帝でも、同格なのは MARCHあたりになります。
旧六や金岡千広で日東駒専、それ以外の下位国公立ですと大東亜帝国あたりとの比較が妥当になります。
海外の研究では三十年前にエビデンスがすっかり明らかになっていて
卒業後の年収や安定性に大学名や偏差値はほとんど影響しない。大学名の差はバラツキに埋もれてしまう。個人次第ということ。
バラツキを乗り越える、統計的に有意に生涯の年収増加に影響するのは医歯薬などの資格とコンピューター、電気、土木、建築、機械、化学工学、保険数理の専門だけということがわかっている。これら以外の学科を選んでしまった人は残念だが大学名がどこだろうがもうできることはない。大学名や種類の議論自体がすべて無意味。英語論文読める家庭はみんな大学名に関わらずこれらの学科から選んでいると思うが。マスコミにでない理由はわからないが記者は英語論文読めないのでは。
その主張、いかにもエビデンスで殴っている風だけど、論理も事実も崩れている。
まず「30年前に明らか」。この時点でアウト。労働市場の構造、産業の収益源、スキル需要はこの30年で大きく変わっている。ITの台頭、グローバル化、無形資産の比重増大。古い研究をそのまま現在に外挿するなら、せめて再現性や追試の話が要るが、それが一切ない。
次に「大学名はバラツキに埋もれる」。ここも雑な一般化。労働経済学の実証研究では、大学の“名前そのもの”というより、選抜度や同級生の質、ネットワーク、初期配置が長期の賃金に影響することが繰り返し示されている。効果の大きさは国やコホートで変わるが、「ほとんど影響しない」と断言できるほど一枚岩ではない。
さらに決定的なのがサンプルの取り方。医歯薬や工学の一部を挙げて「有意に効く」と言うのは、その分野が高収益の職に直結しやすいからであって、因果を取り違えている可能性が高い。能力や志向で既に選別されている層が集まる分野を見て「学科がすべて」と結論づけるのは、典型的な選択バイアス。
そして「それ以外はもうできることはない」。これは統計の使い方として致命的に間違っている。平均効果の話を個人の運命に落とし込むのは誤謬。分散の大きい領域では、分布の裾がむしろ厚い。どの分野でも、初期配置、スキルの積み上げ、転職機会で軌道は大きく変わる。
「英語論文読める家庭はみんなその学科を選ぶ」。これも現実と合わない。海外トップ大ほど専攻の分布は多様で、キャリアの収束も一様ではない。そもそも研究は単一の最適解を示すものではなく、前提条件つきの傾向を示すもの。それを「みんなそうしている」と一般化するのは、エビデンスの読み方を取り違えている。
最後に、「大学名の議論は無意味」。無意味どころか、入口の選抜、同級生効果、初職の配置、OBネットワークという経路で、現実に差が出る。学科選択が重要なのは事実だが、それだけで全てが決まるわけでもないし、逆に大学名が無関係になるわけでもない。両方が条件付きで効く、というのがまともな結論。
要するに、古い研究の断片を都合よく貼り合わせて、因果と相関を混同し、平均と個人を取り違えている。エビデンスを掲げるなら、せめて年代、サンプル、手法、効果量くらいは示すべきだ。それが出せないなら、その「30年前の結論」はただの飾りに過ぎない。






























