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【3052570】次の犬を飼うの、早すぎない?

投稿者: ジョニーは天国へ行った。   (ID:d5XVKEmWink) 投稿日時:2013年 07月 25日 11:50

近所のヨボヨボの犬。目も見えず、足元はおぼつかず、
「もう時間の問題かな?」と思って見ていました。
甲斐甲斐しく最後まで面倒を見られていた若いご夫婦。ついにその時がきて、老犬ジョニーは天国へ。

良かったね、悲しいけど、最後まで面倒を見られてご立派、と次にお会いしたら言おうと思っていたら、三日もしないうちに可愛い豆柴とぴょんぴょん朗らかにお散歩している若夫婦。


あ、、、、、うん。まあいいけどね。お悔やみいう暇もなく。

なんか複雑。

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  1. 【3054886】 投稿者: ジョニーは天国ヘ行った。  (ID:d5XVKEmWink) 投稿日時:2013年 07月 27日 11:43

    個人的には「納骨できずにいます」さんの心情に非常にシンパシーを覚えます。うちも犬を飼っていましたが、その犬が死ぬとしばらくは他の犬を飼う気もなくなり、数年してまた出会いがあると新しく子がやってくる。という感じでした。

    家族の一員として飼っているなら死んだ後もやはり家族の一員のようにしばらくは「喪に服する」ではないですが、そういう寂しい期間があるのが普通だと思います。

    ご近所の新しい犬は生まれたてのよちよちの子犬ではなく、、ある程度大きくなったものだったので、多分予防接種などは済ませてあったのではないでしょうか。ごくごく近所なのでその犬が今までいなかったことはわかります。
    ジョニーが弱っている時に、もう次の犬を物色していたのかなぁとか、新しい子がジョニーとは全く違う犬種だったので「今度はマメシバもいいねぇ」というような会話だったのかなぁとか思うとちょっと切ないです。


    人の家のことで余計なお世話ですのでこれ以上はレスは控えます。正直な気持ちを聞いていただいてありがとうございました。気持ちがわかると言ってくださったムツゴロウさん、ありがとうございました。

  2. 【3054953】 投稿者: ?  (ID:oe9eBYTFksY) 投稿日時:2013年 07月 27日 12:44

    納骨できずにいますさん

    では、あなたは食肉加工場をご覧になったことはありますか。
    たまたま仕事の関係で、見学する機会がありました。
    トラックから降りずに最後の抵抗をする悲痛な牛達の鳴き声。
    耳を覆いたくなるような叫びです。
    無理やり降ろされた後は、移送のストレスを和らげるため最期の晩を過ごす部屋に移動。
    こうすると肉の味がよくなるそうです。
    実際の屠殺の場面は素人には刺激が強すぎると屠殺後の部屋へ。
    ものすごい血の臭い。
    切り取られた牛の首が買い物カゴの中に数個ずつ入れられていました。
    そこから皮を剥ぎ取り、加工工程へ。
    工場を出ても、服に染み付いた血の臭いが取れませんでした。

    愛情を持って屠殺される動物をお飼いでしたら、その最期にも目を向けるべきだと思いますが。
    生まれたての子豚。それは、可愛いでしょう。
    でも、飼うのではなく、殺すために売るのですよね。
    畜産は職業ですから、当然のことです。
    いかに愛情を持って育てても、数日後に出荷する食用牛に「我が子同然に可愛がっていたのに」と涙を流す。
    財産を失って悲しいという本音を綺麗事にすり替えたように感じました。
    そこに違和感があるのは、そんなにおかしい事でしょうか。

    綺麗事のゴリ押しが生み出す矛盾にあなたも気付いているのでは?
    その場その場の感情に流されて、いい人のスタンスでレスをしていたはずが辻褄が合わなくなってきている‥という人が多い気がします。

    だいぶ横にそれましたね。
    失礼しました。

  3. 【3055114】 投稿者: 納骨出来ずにいます。  (ID:3M./YZuwogc) 投稿日時:2013年 07月 27日 15:20

    出産まで体調を気遣い、出産時には安産を祈る。
    産まれて来た牛に初乳をあたえ、母牛にも滋養のあるものを与えます。
    自分で牛を飼って毎日世話をした者にしかわからない感情なのでしょうね。
    ?さんには、涙を流す飼主の気持ちは理解できないと思います。
    牛が好きだから、という言葉も理解できないでしょう。
    乳牛の乳が出なくなって肉牛として売りに出すとき母は、泣いていました。
    肉牛だって、同じです。具合が悪ければ寝ないで看病をします。
    話がズレてしまいましたが、生き物と関わる仕事は好きなだけでなく覚悟を持たなければ務まりません。

  4. 【3055160】 投稿者: 経済動物  (ID:Oz92M2bVHzY) 投稿日時:2013年 07月 27日 16:23

    ペットと食肉として飼育される動物を一緒に語るから収拾がつかなくなってしまいますね。
    ?さんは完全なベジタリアンなんでしょうか?
    魚も肉も一切口にしませんか?それでしたら納得です。

    畜産を営んでいる方は、家畜が食肉として人間の血となり肉となってこそ、その生を全うするという考えなのではないでしょうか?
    それなのに無駄に殺処分されてしまうことにやりきれなさを感じるということは、畜産業に携わっていない者ですら想像に難くありません。

    その命を頂く経済動物とペットの死を同様に語ることはできません。
    戦後の食糧難の時代には飼っていた鶏がある日食卓に…なんていう話も聞きますが、現代はまずそんな話は聞きませんし(少なくとも私の周囲では)、動物を飼うことと畜産業とは切り離して考えませんか?

  5. 【3055183】 投稿者: ぐちゃぐちゃ  (ID:mBQN965fa2I) 投稿日時:2013年 07月 27日 16:44

    ペット、畜産業に関わる方はヘジタリアンでいいのですか?植物に命はないのですか?無機物のみ摂取なら生きられませんが。

  6. 【3055243】 投稿者: 我が子同様  (ID:Zd0awKaPXKE) 投稿日時:2013年 07月 27日 17:51

    「我が子同様」という言葉を畜産用の動物に対して使うのは、私も非常に違和感があります。
    人のために犠牲になってくれる命を丹精込めてお世話をされている畜産家の方々には感謝していますし、
    愛情を込めて育てられていることも理解できます。

    でも、「我が子同様」とは、どういうことなのでしょうか。
    私にとっては、自分の子供と同じくらい大切で、自分を犠牲にしてでも守りたい存在ということです。
    家にいる犬は「我が子同様」と言い切れます。
    我が子同様の存在なので、今まで飼ってきた犬を亡くした時には、自分も一緒に逝きたい気持ちになりますし、
    父を亡くした時より憔悴が激しかったことは、離れて住む母には今でも言えません。

    でもペットを亡くす毎にそれでは精神的に病んでしまいます。

    「我が子同様」ではなく、「天寿を全うできるまで愛情を持ってペットをお世話する」くらいの気持ちの距離感が、犬と共に人生を楽しむためには一番だと思います。
    そういう意味ではジョニーの飼い主様はご立派だと思います。

  7. 【3056432】 投稿者: ???  (ID:ksKOHTOerfQ) 投稿日時:2013年 07月 28日 22:39

    ?さまは別にベジタリアンとは言ってないですね。

  8. 【3091998】 投稿者: 戻します  (ID:9Sihxu3hXGQ) 投稿日時:2013年 08月 28日 12:55

    私は子供の時、親にねだって犬を飼ってもらいました。
    でも7年くらいで死んでしまい、ペットロス状態。

    30年たって、ようやく飼うことができました。
    でも、なやんで悩んで・・・
    里親募集で今の犬を手に入れました。
    なので、ペットショップで買ってきたり、ブリーダーさんに分けてもらったわけでもありません。
    今まで、犬が大好きでペットショップがあると、必ず立ち寄っていました。
    しかし・・買うときは犬と共感しあえると思っているのですが、なかなか・・
    こんなにかわいい子なら、うちで飼わなくてもきっと飼ってくれる人いる。と、思えるような子犬ばかりでした。
    なので、里親募集でならと・・・
    きっとうちに来たい犬が来るはずだ!と信じて、申し込みました。
    2度目の申し込みで、今の犬が決まりました。
    その子が来たときは、うれしくてうれしくて・・・
    家族で喜んだこと今でも覚えています。

    それから・・
    犬のためにミルクや、病院や犬のための毛布やカーペットなど、買い揃えました。
    もう・・・かわいくて可愛くてたまりません。
    今も、まだ毎月病院に通い、フィラリアの薬をもらって飲ませています。
    子犬なので体重管理をしながら、薬をもらいに行っています。

    犬が来てから、お留守番を長時間させることがかわいそうで、外食もしなくなり・・・犬との毎日に癒されています。
    1時間くらい買い物には出かけますが(笑)
    ようやく、ペットロスから抜け出せたようです。
    犬が来た当初・・・あと13~4年?15年?と思うと、その時間の短さに悲しく思い、始まったばかりの犬との生活が、急に悲しみに変わり、犬を失ったときの辛さがこみあげてきました。
    大事に育てなくては!この子の15年を大事に育てなくては!と思いました。
    たった15年。
    ならば、できる限り犬が幸せであるようにしよう。犬のために賢い飼い主になろうと思いました。

    30年ぶりに犬が来て、うれしいのといろんな思いがあります。
    乳歯も乳歯いれに入れてとってあります。(笑)
    30年ぶりの飼い主になりましたが、一つひとつが今楽しくてかわいくて仕方ありません。

    私は、犬にしてあげられることの自信を取り戻すのに、30年かかりました。
    その老夫婦は・・・もしかしたら大丈夫なのかもしれません。
    前の犬が、きっと新しい犬を呼んでくれたのかもしれませんね。
    すぐに行ってあげて、きっと大丈夫!って、前の犬が言ってくれてきたのかも知れません。
    最後まで看取ってあげたのなら、きっと今回も大事にされることでしょう。
    きっと、そこに何かの縁があったんですよ。
    そう考えるほうが、自分が楽ですよ。

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