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投稿者: これも削除しないで (ID:yH6PVB.3Scs) 投稿日時:2010年 10月 04日 11:07
韓国ドラマ大好き、などと言っているみなさん、「韓国はなぜ反日か?」
というサイトを是非見てください。韓国という国のことがよくわかっていただけると思います。
書き込めないようなので、「2」を立ち上げました。
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【1885317】 投稿者: 悲しい史実 (ID:e852RL/Ryl2) 投稿日時:2010年 10月 16日 00:32
和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした一九四五年八月十五日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。
その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびきつつ、朝鮮人の世がやって来た。神は、自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのか?
彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は、次のように証言している。
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち、みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは、私もふだんから待ち望んできたことだ。
踊りでも踊りたい気分の日に、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。
朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら、帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら、おれたちはどうやって食っていくんだ?)
B:[削除しました]、チョッパリ、シッパルノマ。
間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。
このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。
そしてなんと十三人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。(金ソンス君は、この期に及んで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。
強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、Dは、ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、まき散らした。
そしてなんと十三人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。(金ソンス君は、この期に及んで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。
強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、Dは、ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、まき散らした。
和夫には、一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に、近隣住民たちは眠れなかったそうだ。
その後、孤児になったヒミコは、食べ物を乞おうと、その付近をさまよったが、朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。
結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時、ヒミコは小学校六年生の幼子だった。和夫の財産は、勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り、この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。
親日派のための弁明 金完燮
草思社 ISBN:9784794211521
扶桑社 ISBN:9784594048334 -
【1885670】 投稿者: ? (ID:G564UT3ZTSs) 投稿日時:2010年 10月 16日 11:46
二俣川さん、一見もっともらしいが、可笑しな話だ。
現在の意識が普遍的な価値なら、国民の自由や権利や民主主義も、近代化とともに進歩してきた。
では、明治の近代化を進める日本と李氏朝鮮のどちらの方が、当時なりの自由や権利や民主主義が実現されていたの?
当時の日本社会の方がより善いということになりますね。
もっとも、朝鮮にとっても当時の現在価値が普遍的だと思われていたなら、近代化の意義も分からないだろうが。
朝鮮は開国独立や近代化を拒否して、日本が足早に近代化している間を政争に明け暮れ無為に過ごし、清かロシアか日本に着くかを選ぶしかなくなっただけでしょう。 -
【1885685】 投稿者: ? (ID:CDVd181oWZo) 投稿日時:2010年 10月 16日 12:07
韓国の京城帝国大学は日本の高等教育をするものだから、なかった方が良かったのですか?
朝鮮人の定員枠が3分の1もあった方が意外です。半分なら平等だったのですか? 定員枠がなければ、日本の高等教育に朝鮮人の志望者が殺到したのですか?
ついでに、日韓併合時代の東京帝国大学に朝鮮人の在学生や卒業者、教員は何人くらいいたのですか? 不知ですか? -
【1885756】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 16日 13:36
>では、明治の近代化を進める日本と李氏朝鮮のどちらの方が、当時なりの自由や権利や民主主義が実現されていたの?
>当時の日本社会の方がより善いということになりますね。
>もっとも、朝鮮にとっても当時の現在価値が普遍的だと思われていたなら、近代化の意義も分からないだろうが。
>朝鮮は開国独立や近代化を拒否して、日本が足早に近代化している間を政争に明け暮れ無為に過ごし、清かロシアか日本に着くかを選ぶしかなくなっただけでしょう。
まだマシだった的議論をしているわけではない。
現在の普遍的な価値観をもって、過去の歴史の在り方を検証することが歴史学だ、と述べている。
その意味で言えば、日本の近隣諸国への過去の所業は総じて評価されるべきものではない。
たとえ当時の朝鮮半島のありようが如何なるものであっても、それで日本の強権的な外交施策が合理化されるものでもない。
当時の朝鮮政府が清・ロシアのどちらに依ろうと、それは朝鮮政府・朝鮮人らが決めるべきものだ。
甲午農民戦争の際に、日本政府は鎮圧の必要性が喪失していた事実に戸惑い、さらに朝鮮政府(や清国政府)に対して、
清国の影響力の排除などを要求する内政改革案を強談判で求めた。しかも、その回答期限は、たった10日間であった。
当然、朝鮮政府は内政干渉だと反発した。さらに、まず日本が朝鮮半島にいる日本軍の撤退を為すべきだと反論した。
国家として、当然の要求ではないか(先日の漁船一隻の領海侵犯とはまったく次元が異なる暴挙だ)。
しかし、日本は王宮を武力で占領して国王高宗を捕虜とし、大院君政権を立て清国との開戦の口実を作った。
さらに、短期決戦でもって欧米列強からの目を逸らそうとした(その証拠が、戦闘行為の後にしてした日本からの宣戦布告だ)。
これらの所業の言い訳として、
どうせ「朝鮮は開国独立や近代化を拒否して、日本が足早に近代化している間を政争に明け暮れ無為に過ごし、清かロシアか日本に着くかを選ぶしかなくなっただけ」なるものが、常識的に説得力を持つものであろうか。
我々日本人が逆の立場であったとして、冷静にこの言を聞けるものであろうか。 -
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【1885761】 投稿者: 事実が知りたい (ID:i304lU1WXWY) 投稿日時:2010年 10月 16日 13:42
二俣川さんが言われるように「日本では、その視点・史観から眺める歴史観が多くの支持を集め、通説を構成する」
ことを多くの歴史家がやってきたとしたら、
最近の一部作家・評論家の「過去の日本帝国主義と近隣諸国との外交史」を
「乱暴な歴史修正主義的捏造」とは決めつけられないのではないですか?
現在の日本で教えられる歴史は「戦後我々が到達した普遍的な価値観から」来たものなのでしょ?
要するに、その当時の価値観で考えた歴史(当時の現代史)とは言えないのでしょう?
でも、本当の歴史は、その当時の価値観で考えなければいけないのではないですか?
特に今は、巧と罪の両方の歴史を堂々と検証する必要があるように思います。
「すべての歴史は現代史である」は、すごい皮肉を言っているように聞こえますが。
?さんが紹介してくださった
>歴史の物語をするという口実で、裁判官のように一方に向かっては罪を問い、
>他方に向かっては無罪を言い渡して騒ぎ回り、これこそ歴史の使命であると考えている人たちは…
>一般に歴史的感覚の無いものとして認められている。-ベネデット・クローチェ-
という文章を読んでも、
歴史は当事者でもない現代人が祖先の代わりに謝罪したり、祖先の代わりに謝罪を受けるためのものではない。
現代人がそこから教訓を得て、今後に生かすためのものであると思うのです。
私たちは、そのときの時代背景も含めてなぜそうなったのかを知り、どういう視点が欠けていたのか熟考する。
それは併合した日本だけでなく、併合された朝鮮にも言えることだと思います。 -
【1885773】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 16日 13:55
>韓国の京城帝国大学は日本の高等教育をするものだから、なかった方が良かったのですか?
朝鮮人の定員枠が3分の1もあった方が意外です。半分なら平等だったのですか? 定員枠がなければ、日本の高等教育に朝鮮人の志望者が殺到したのですか?
私の主張をきちんと読めば、このようなお尋ねはないはずだ。
歴史修正主義者らは、韓国併合の合理化として様々なこじつけを試みる。
植民地に帝国大学を作ってやった、ということもその一つだ。
しかし、朝鮮においては入学定員の約70%が内地出身の日本人学生の枠として始めから確保されていた。
ところで、当時の日本政府は韓国併合に際し、朝鮮半島の人びとに何と言っていたか。
「内鮮一体」をアピールするために、伊藤博文は韓国皇太子を日本に招き、和服を着せた写真まで公開している。
むろん、日本皇太子らとの集合写真も設けた。
一方、朝鮮の特権階級らを懐柔するため、日本の特権階級にしたと同じような爵位を授けたりもした。
貴殿も、よもやそれすら知らない、とはおっしゃらないことだろう。
そもそも「内鮮一体」、朝鮮半島の人びとも同じ「天皇の赤子」であるならば、
高等教育の機会においてその様な物理的差別をあらかじめ講じておく必要があったのであろうか。
いかに、日本による植民地支配が、徹頭徹尾「日本の利益」を追求するものであったのかが分かろうか、というものだ。 -
【1885805】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 16日 14:25
>最近の一部作家・評論家の「過去の日本帝国主義と近隣諸国との外交史」を
「乱暴な歴史修正主義的捏造」とは決めつけられないのではないですか?
「とくに歴史修正主義が、大きな文脈を無視して個々の出来事を解釈したり、逆に、個々の出来事を無視して
大きな文脈を捏造したりすることに、きちんと歯止めをかける必要がある。『前掲書』」との指摘を重ねて明記しておきたい。
>歴史は当事者でもない現代人が祖先の代わりに謝罪したり、祖先の代わりに謝罪を受けるためのものではない。
現代人がそこから教訓を得て、今後に生かすためのものであると思うのです。
私たちは、そのときの時代背景も含めてなぜそうなったのかを知り、どういう視点が欠けていたのか熟考する。
それは併合した日本だけでなく、併合された朝鮮にも言えることだと思います。
当然のこと。歴史に関心ある良識層は、みなそのように考えていることだろう。
しかしながら、日本近代史における関わりでは、北東アジア諸国に対し日本は加害者の立場であることを忘れてはならない。
まして、その当時の過酷な状況を身を以て体験した層が、今なおそれらの国々に健在だ。
そこには、加害者としての立場にあった国の国民である我々にも、人としての節度と礼儀がまず求められるのではなかろうか。
問題は、日本の一部政治家や歴史修正主義者・扇動家の作家・評論家らが、何ら理由のない優越感(差別感)らしき劣情をむき出しにした荒唐無稽な言動を繰り返していることだ。
まず、このことを改めることが、その前提となろう。
文科省の通達によると、今日の学校現場でも、相手がいじめられたと感じたならば、それはいじめだ、とされる。
それに比べ、明治以降の日本の大陸政策は、近隣諸国に対し「意図的に」行ったものだったのである。 -
【1885822】 投稿者: ? (ID:fuhX3swqmlU) 投稿日時:2010年 10月 16日 14:42
二俣川さん
だから、京城帝国大学に朝鮮人枠が1/3あっても足りなかったのですか? 東京帝国大学に朝鮮人の卒業者や教員は多かったのですか? それほど朝鮮人は日本の高等教育の学力があり、帝大の志望者が多かったのか?と質問しています。
それから、伊藤博文も朝鮮総督府で朝鮮民族服を着た写真があったでしょう。知ってるでしょう?
何でも物事を、殊更日本が悪いようにだけ書くのは、いい加減に止めなさいよ。
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