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私立中学の価値 2校め

【2043250】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:4Xzxz71IPe2)
2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

【2051631】 投稿者: 遺伝   (ID:XkUvIAg2ykc)
投稿日時:2011年 03月 09日 11:19

じゃいこさん


>日本の親御のなかには、
>ボストンのボーディングスクールに子供さんを夏の間預け


えらく遅レスで失礼します。
ボストンのボーディングスクールだなんて素敵。憧れますねぇ。
うちは地味に、ネイティブの友人のおしゃべり好きファミリー宅に預けます。
その家の子の引率で、地元の子供たちが集まるキャンプに行ったり楽しそうです。
私も一緒に飛んで勉強したいのですが、
さすがに休めず、現地にはほとんど迎えに行くだけ。
子供は帰った直後はまあまあ英語しゃべれるんですが、
しばらくするとすっかり忘れています。
夏だけだと、文化交流レベルですかね(笑)
ただ外国にも外人にも、まったく抵抗はないようです。
うち的にはそれでよし、って感じかな。

【2051640】 投稿者: 地域、時代   (ID:mgYwa0hRWeU)
投稿日時:2011年 03月 09日 11:26

判断様

詳しいお話ありがとうございます。
大変勉強になります。

年に一度送られてくる、うちの大学の去年の就職数は、そんなにひどいものではなかった。
これは、おそらく判断様のおっしゃられる「就職を希望した卒業者を対象に調べたもの。」なのですね。
ありがとうございました。

【2051649】 投稿者: 地域、時代   (ID:mgYwa0hRWeU)
投稿日時:2011年 03月 09日 11:32

・・・・・と毎度のごとく最後はきちんと中学受験勉強を批判しておきます。

動機様

なんか、動機様に批判されても、近頃動機様のお心がなんとなくわかってる私は、あまり腹立たなくなってきてます(笑)


おそらく過去を打破する勇気、頑固、粘着、諦めない心、唯我独尊、人の言うことなどおかまいなし・・・・・などの学習能力以外の物が大きく関わっていると考えています。

これ、少し違うように思います。
「人の言うことなどおかまいなし」の人間は、人を動かす事が出来ないから、人が付いてこない。
人は人に支えられながら生きているし、仕事をしている。
頑固、粘着、あきらめない心、唯我独尊までは、そうかも、って思うけど、最後の部分だけは違うと思う。

【2051662】 投稿者: 地域、時代   (ID:mgYwa0hRWeU)
投稿日時:2011年 03月 09日 11:47

追加

若造が何かを成し遂げようとする時は、それが目新しい分野であっても、必ずリンクしてる分野の「先輩」がいる。
そういった年長者や経験者の話は本当にためになるし、それに照らし合わせると色んなものが見えてくる。
それに耳を傾け学ぼうとしない者はちょっと人生勿体ない気がする。

【2051695】 投稿者: 公立は自分で考えるところ(動機)   (ID:QF6Q/g4Ohi2)
投稿日時:2011年 03月 09日 12:18

若者が身に付けるべきものはすぐにへたれない自信だと思う。


失敗しても失敗しても立ち上がってくる「明日を信じる希望」というか「根拠なき自信」というか・・・・・・これを身につけた人は強い。


芸術、学問、囲碁、運動・・・・・自分の力で超一流や一流になれないと分かった時にどうするか? 諦めきれずに周辺に生息してちょろちょろ顔を出す。いわばトーナメントプロになれないレッスンプロ。こうなってもレッスンプロの喜びを見出す。「自分の指導で名人が出た。」と決して落ち込まない。



客観的に見て能力があるのに主観的に絶望して自死するなど誠にもったいない。自分の能力を生かせる場所を見つけそこに生き甲斐を見出す。「まあ俺の人生こんなものだけど・・・・・まあまあかな」なんてやっていられれば御の字だ。



「君たちは未来の宝だ」なんて大人から言われると子供は意気に感じておかしなことはしないものだし、背伸びして頑張っちゃうものです。こういうのが伝統校のいいところ。何をやっていても(世間的には評価が低い仕事でも)元気だしめげないし落ち込まないし、しっかり生きる意欲を持っている。


またまたの母校自慢です。

【2051696】 投稿者: じゃい子   (ID:GeoEpn.XHis)
投稿日時:2011年 03月 09日 12:18

遺伝様

素敵じゃないですか~
気心の知れた方のお宅で見聞を開けるなんて
預けても安心ってうらやましいです。

私は、イギリスだったので階級社会なのに
人種差別、区別?はなかったです。
逆にボストンからきた日本人が
アメリカのほうがすごかったって言ってました。

ロシア語を話せる知人は、アメリカにも留学していましたが、
差別があって握手してもえらなかったり。

でも、そういう厳しい現実から学べることもありますね。

高校から思いきろうかどうしようか悩ましい。
地域、時代様が日本のことよく勉強して飛び出そう!
って言われていることも理解できるし。
中途半端ってよくないですよね。

【2051785】 投稿者: 適性   (ID:CnSq16l70Ds)
投稿日時:2011年 03月 09日 13:29

動機さん

>失敗しても失敗しても立ち上がってくる「明日を信じる希望」というか
>「根拠なき自信」というか・・・・・・これを身につけた人は強い。

>またまたの母校自慢です。

以前、伝統校のエートスに関して、話したよね。(今の都立より、私学の方が、実はエートスのこってるってね)

合格した自信、クラスメート 先輩 先生 OBとの交流、そして、世間の目。
(知らない人に「あんた、○○高校かい?頑張りなよ」とか言われたり)
で、このまま、頑張れば、なんとかなるだろ。と思うことになる。
だって、「なんとかなってる人」が、いっぱいだからね。

そのエートスが、うまいこと、教育的効果を発揮すれば、確かに「なかなか」いいもんだよ。

動機さんに、ちくっと、いっとくと。
中高一貫進学校に「ダメなやつら」というレッテルはる、『世間の目』もあるが・・決して、その子たちに、教育的効果を発揮することはないからね。しってるのか?

そのエートスが、自分に「なじむ」なら、「そこ」は、その人の「バックグラウンド」になりえるのではないかと思う。

そこらを踏まえて、『バックグラウンド』について。

宮台真司氏の発言で(まあ、問題発言も多いいが・・)面白い指摘だと思ったのが・

日本の問題として『バックグラウンドの崩壊』(地域、共同体、家庭、文化)がある。
しかし、民主主義、自由経済を勝ち抜くのは、『バックグラウンド』なしでは、困難であると指摘している。

こういうものは、一度壊すと、元に戻すことが、困難なものばかりである。

戦後の日本は、集団から個人へのシフト政策をとってきた。

ただ『会社』が、個人のバックグラウンドとして、機能してきた。
今は、会社を、個人のバックグラウンドとして、機能させることも、急速に困難になってきたわけである。

そして、民主主義、自由経済とは、実は、「集団戦」であることも指摘している。

「華僑」や「ユダヤ人」は、血縁ネットワークを基礎として、文化的にも、『バックグラウンド』がしっかり構築されているから、どこでも「戦える」わけで、「戦えない」場合は、『バックグラウンド』に帰り、迎え入れられる。

日本人は、バックグランドもなく、基本は「個人」で戦い、帰る場所もない。「疲れる」わけである。
「個人」のネットワークは、個人のネットワークでしかないのが、弱みなのかもしれない。

『バックグラウンド』とは、相互補完的なもので、そこから利益を得、そして、利益を返すものである。

『バックグラウンド』が、自分を形作る上で、「かけがえのないもの」という、認識があるのかないのかという、「情緒的」部分によって成立しているとも言える。
文化的強制力があっても、そこから、いやで、抜けたいという発想では、『バックグラウンド』として、成り立たない。

教育において、個人の戦闘力を上げるという、命題も大事なのだけど・・・
そうすれば、日本の、脆弱なバックグランドらしきものに、制約されないし。

戦闘力の高い人とは、「個人的なバックグランド」を成立させた人なので、別に『日本』や『地域』や『会社』に帰属しなくても、生きて行ける存在なので、社会的(一般人が必要な)バックグラウンドの構築を「わざわざ」することに熱心になる必要もない。

でも、日本的「バックグランド」を構築させることが、日本の「幸福度」と連動しているということは、認めざるえないと思っている。

マイケル・サンデルがコミュニタリアニズム(共同体主義)の立場をとることの一つの「意味」でもあるのではないかな?と思っている。

「バックグランド」を構築の「処方箋」が基本的にない、ということが問題であることと、

結局は地道な話になるし、単位が小さいとこからしか、実感が得られない。
そして、行政は、行政主導ではなく、そのサポートにまわることが重要だが、すぐに形にはならない。
しかし、その一歩としても・・・

「バックグランド」を構築が、問題で「ある」という認識がほとんど「ない」ことも問題であるだろう。

現在は「ばら」して「個人を強く」という以外の方針がとられないからね。

ちょっと、『学校』の価値ということと関係させれば・・動機さんが、母校にこだわるように・・

経験的に、学校が自分を形作る上で、「かけがえのない場所」であったなら、一つの「バックグランド」となりえるものであるということだ。

だから、学校の行事や、部活に制約をかけるという、共同体としての機能を低下させる、都立進学校の方針は、都立を自分の「バックグランド」と思う人を減らしこそすれ、増やすとは思えない。

なんで、こんな抽象的なことを、話のかというと・・

学校という、存在の「ありよう」ということを意識しないと、「なに」を子供が、そこで、学ぶのかということも、わからなくなる。

学校は勉強するとこだから、勉強するのは当然として・・・あとは、その学校が「なに」を持っているのか?そこは、けっこう重要なんだと思うのだが。

小学校が、学級崩壊していて、そこが、バックグランドになるえるのか?

自分が、社会人になったときに、利益を還元しようとする場所が、地域、小学校、中学校 高校 大学 団体、会社とどれだけあるのか、そして、その基本単位がやはり、家族であること。

結局は、そこに、戻るのではないかという、ことです。

人間が社会的存在ということは、そういうことなのではないでしょうかね。
今回は、「勝ち負け」とは、別の観点。

個人を制約しない、バックグランドを是非、多く持つ「子」になって欲しいねー。

【2051885】 投稿者: シルバースプーン   (ID:ycugmWF.E42)
投稿日時:2011年 03月 09日 15:32

以前から感じていたんだけれども。

動機さんが理想とする伝統校のエートスって、
今は「私立大学付属校」にあると思うんですよね。

自由でのびのびしていて、机上論より実験が多くて、
生徒は興味関心のある分野に熱中できて、受験勉強はやりたいヤツだけがやる。

でも、そういう学校の学費は、進学校よりも高いのが事実なわけで。

動機さんの理想は、現代社会においては、とても贅沢なものではないかなと。

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