アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>高度成長期の日本では、基礎学力は強制的に徹底的に教え込んだけれども、最新の部分は教えず、自ら考えたり、自ら学ばせるように残しておいたそうです。それが今の花開いている新たな発想みたいなものを生み出しているんじゃないかとどこかで読みました。
重要な指摘と思います。
>大人はあれも必要これも必要と、自分のウン十年の経験上必要としたものを先に教えようとするけれども、ウン十年を数年で詰め込まされると、それだけで嫌になるのが普通じゃないかしら。それを素直に受け入れられる優秀な子がいても、自分で考え出す一番大事な発想力は、かえって育めないのではないかと思います。
上の文の「基礎学力」と下の文の「自分のウン十年の経験上必要としたもの」は同一ではないので、それぞれが独立した内容と考えてよろしいでしょうか。
としたときに、受け入れられる子において「かえって育めない」とする理由は何でしょう。 消化できているならば、その強制はその時点で過剰ではないわけですから、知識と経験と訓練が多い分だけ、発想力にプラスに働くことはあっても阻害的には作用しないのではないでしょうか。
>「明日に架ける橋」の歌詞に感動できる人は・・・・・・わざわざ悲嘆にくれる親子を作るような行為はしないと思う。 これ以上言うと「それを言ったらおしまいよ」という話になるので・・・私もこの話題はこれで終了します。
終了宣言後に申し訳ないんですが、
ひとこと言わせてください。
>「明日に架ける橋」の歌詞に感動できる人は・・・・・・わざわざ悲嘆にくれる親子を作るような行為はしないと思う。
「明日に架ける橋」の歌詞に感動できる人は・・・・・・・「合格先が出揃ってから進学先を決めざるを得ない」家庭も多く存在することを無視する発言はしないと思う。
すみません。それを言いたいのではありません。
国公私無関係に中・高・専門学校すべて同じじゃないですか。笑える人泣く人は必ず出ます。選抜試験である以上は。
入学試験における精神的ショックの大きさを問題にするなら、選抜試験のありかた、また、教育の地域間格差、を批判するのが筋じゃありませんか。
これは、フランス語学科の学生発表に対する内田さんの批判、と同じ構図です。
学生がなぜにそのようなスタイルで自己アピールをするのかについて資質の問題を内田さんは指摘しておられましたが、門外漢が読んで感じたのは、将来不安、就職難、などの社会の側の責任には想いを馳せないのか? です。
なんでもかんでも社会の責任に結びつけることへのご批判は承知しておりますが、
広く認められる事象に関して、個人の資質を問うことには抵抗を感じます。
>国公私無関係に中・高・専門学校すべて同じじゃないですか。笑える人泣く人は必ず出ます。選抜試験である以上は。
>入学試験における精神的ショックの大きさを問題にするなら、選抜試験のありかた、また、教育の地域間格差、を批判するのが筋じゃありませんか。
>なんでもかんでも社会の責任に結びつけることへのご批判は承知しておりますが、
広く認められる事象に関して、個人の資質を問うことには抵抗を感じます。
合格者がいれば不合格者もいる。
それは当然でしょう。
でも動機さんが指摘されてるのは違いますよね。
例えば灘を志望して灘に合格する。
その後に、入学するつもりもないのに、A校、B校、C校と受験する。
本人にすれば星稼ぎゲーム。
周囲は、A校、B校、C校に入学したくて受験している受験生。
その中には、塾で机を並べた勉強した生徒もいるかもしれない。
塾が3校合格したら3冠、5校合格したら5冠だとかいって煽るのでしょうが、まともな家庭なら灘に合格した時点で入試を終えるでしょう。
家庭の資質、個人の資質の問題です。
理学部行くのに偏差値への執着という低俗な特性から理Ⅲにわざわざ入学して転部するのと同じ精神構造ですね。
>広く認められる事象に関して、個人の資質を問うことには抵抗を感じます。
誤解があるといけないので私の知る合格ツアーとはどういうものか書いておきます。
菊川さんが医者になるか理工学に進むのか迷い慶応医学部と東大理1を受けた。両方受かったらその時点でよ~く思案してどちらかに進むと決める。それは合格した学校のどちらに進学するか迷いがある。
ところが合格ツアーとは第一志望に合格しているのにさらに受験を続けること。絶対に進学しないことが分かっているのに受験を続けることです。
大学入試で言うなら前期東大、後期東工大(今は後期はないですか?)で第一希望は勿論東大。
こういう高校生は東大合格後・・・・わざわざ塾の合格校稼ぎのために東工大を受けに行きますか?ということです。 3月10日に東大で胴上げされ自宅で合格祝いをやったら・・・・・普通の感覚では東工大は受けないですよね。
合格ツアーなんて受験強者の傲慢でしかないでしょう。
動機さん
まだ、書くの??
なら
>法律違反でなければ何をしてもいい、受験料を払っているのだから受けて
>何が悪い・・・・等々・・・強弁する人がいる。
また・・
法律違反でなければ何をしてもいい??
誰が、そんなこと、強弁してるのですか???誰ですか??
そうやって、どうしても、「罪人」をつくりたいのですね。
いつも、思うけど、なんか「気に入らない」と。
その「システム」や「構造」や「状況」なんて問題にしないで、
それに、かかわった『人』を吊るし上げることで、なんとかしようとするよね。
教育の不幸は、『中高一貫校生』のせい。
受験の不幸は、『受験ツアー参加者』のせい。
いつも、誰かのせいだ。自分の不幸は、誰かのせいだ。
そういう、なんでも、他責的に言えば、うまくいくのか?
動機さんが『受験ツアー参加者』をののしりたいなら・・どうぞ。
私は、ののしるられる「ほど」でもない、って意見だけどね。説明もしたし。
でも、なんだね、
「他者の痛みを感じろ、感じないのか?心がないのか?」という主張の人のコメントが、
なぜ、よく、「他者」を怒らせ「他者」を傷つけているのか・・・矛盾した現象だが・・・
怒ってるのは「他者」ではないのか?「人」ではないのか?
それとも「罪人」は、罰をうける必要があるということか?
>「明日に架ける橋」の歌詞に感動できる人は・・・・・・わざわざ悲嘆にくれる親子を作るような行為はしないと思う。
受験ツアーすると「心のない人」だ。傲慢だ。
そんな、「歌」や「行為」という、一つの事象で、リトマス試験紙のように、「人間性」が判定できるのなら、それは、便利ですねー。簡単ですねー。凄いですねー。イグノーベル賞もんですね。
老眼さん向けに書いたのですが・・・・適性さんの登場ですか。
人のやることを見て何かを感ずる原点は何だと思いますか? 適性さん?
感性の違いですよね。 そしてその感性のよって来たる所は生まれつきもあるでしょうが後天的な育てられ方、その過程で接した自然や本やもろもろの出来事が積み重なって今に至ったものでしょう。
ズバリ書くと・・・・・・うちの家訓では「合格ツアー」なんて下卑たことやるのは許されないんです。私がもしやろうとしたら父親は「馬鹿なことするな」と止めたでしょうし祖父もそんなこと絶対にやらせなかったでしょうね。
各家ごとに代々の教えのようなものがあるのでしょうが・・・・・他人はやっても〇〇家の人間は決してそういう真似はしないということが・・・・・今の世でもあるんですよ。 正に鎌倉、戦国以来のノスタルジーですね。





























