充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
遺伝様
全然大丈夫ですよ。そのうちに、この投稿者名も無くなる時が来るかも知れません。
チックについてですが、まだ中学受験戦争が凄く過熱して、塾の正会員になる事がステイタスだった頃は、「チック
が出るぐらいが当たり前」と言われてました。今の様に子供の意など汲み取ることも無く、徹底的なスパルタでし
た。ですので、やってない子の方が、チックなどの症状は出ず、徹底的にしごかれている子に出ていました。ですの
で、昔は今ほど騒がれていなかったですし、普通でした。
老眼様
私も、シルバースプーンさんの言われている事に、賛成します。
子供を、何のフィルターをかけずに見ていた場合、例えば、いつもにこにこやる事は適当で、元気で落ち着きは無い
が社交的な子、いつも真剣で1分1秒遅れる事無く、精密且つ正確な子、ではどちらの子が正しい子なのでしょうか。
フィルターをかけなければ、どちらもとっても良い子だと思います。それを、大人のフィルターを通す事により、そ
れにかなった子が素晴らしく、引っかかる子は駄目な子と言うことになります。
その辺りの大人のフィルターのかけ違いを、実際の例を考慮しながら、修正していく必要があります。
例えば、座れない子ですが、教室では座れなくとも、電車では凄く静かだったり、家で自分の秘め事をしている時
は10時間でも身動きせず座っていたり、新聞を読み出したら1時間じっと座ったままだったりと、実は、状況の変
化によって、子供の状態は違うと思います。ですので、フィルターがあたったところによって、それぞれ違うものが
出る場合もあります。
確かに、要領の良い子ほど得をし、実直な子ほど損をするようなシステムだと思いますが、世の中に出ても、それは
同じ事だと思います。親が張り付いているうちは良いですが、子供が自分の足で歩き出したら、分かる事だと思いま
す。前者は、始めは良いが後から段々後退していきます、その時に後者に変われるかどうかだと思います。後者は、
始めからスタンスが同じですので、最初にうまく乗れるかどうかだと思います。上手く乗ったら、どんどん成長しま
す。
しかしながら、学校生活が長いと言っても、精々16年から18年です。それからの人生の方が遥かに長いです。だか
ら、うちの受験勉強は、学校の勉強も合わせ、小手先だけの勉強にならない様、気をつけています。それでも、勉強
を勉強としない勉強方法の選択は、難しいですね。
>つまり、「大人基準」・・・そんな感じがするのです。
シルバースプーンさんも子供の立場に立つ方です。信頼感さんのご説明でもそれは踏襲されているので,なるほど,「大人の基準」のイメージは納得です。
子供の成長に合わせるというアプローチを,幼児期でも学童期でも,同様に採るとします。
また,求める結果も同じ,と考えてみます。
つまり,幼児期でも学童期でも同様に,その子が生まれながらに持っているであろう成長曲線にうまく乗ることを期待する。
これを行うには,子供ひとりひとりへの実にこまめな対応が必要になります。
ここでも,小学低学年同様に,マンパワーが必要。
信頼感さんもご経験から賛同してくださった高齢者が重要な役割を果たせる場面ですね。
>乳幼児のころ、抱っこし過ぎると「抱っこ癖がつく」などと云われましたが、抱っこ癖のある大人なんて多分いないし。
・・・ハハハ 汗
>慢性的母性不足の子供たちの実態調査が必要だと感じると共に、養育者の絶対視する傾向があるとするなら、その心の焦りの原因もまた探る必要があるのかなと感じました。
・・・そして,それが子供らに還元されればいいですね。
無常感さん
今日ツイッターで瀬戸内僧侶の御言葉読んでいました。
人は、すべてを理解できないし傷つけあう
精進あるべし みたいな。
根本的さんは、無常感さんとのお話楽しみにされているんじゃないかしら
サンデル教授の本古本屋さんで見つけていたので
あの時買っていればよかったと後悔しています。
凡才さん
TTP関連新聞記事を読んだあと凡才さんのフィルターのお話を読みました。
農薬野菜,無農薬野菜に似てますね。
農薬野菜も手間隙かけて育てるものですが,
無農薬野菜の素材自体の風味がより魅力的。
フィルターをかけるよりもかけないで子供らの育ちをみるのが,
子供らひとりひとりの素の魅力がよくわかる・・そんな感じでしょうか。
信頼感さんが仰ろうとしていることは。
少しずつ見えてきたような・・。
適性さん
こういう思考は,前に元塾講さんに注意された,我田引水なんでしょうかね・・・
久々,その元塾講さんのお話もお聞きしたいですね。
普通のおばちゃんさんも。
老眼さん、信頼感さん、凡才さん
私のおぼろげに感じただけのことを深く考察してくださって、
ありがとうございます。
ひとつの「教育の成果」として、
「集団での秩序正しい行動」を売り物にする幼稚園がある。
かなりある、と言えるかもしれない。
整然と行進できたり、合奏が揃っていたり。
「こんな小さな子たちなのにスゴイわ!」と、
大人にとって、つまり保護者にとって「分かりやすいカタチ」で提示する。
こうした秩序の中に「どっかに行っちゃう子」が混じっていたとしたら、
その子の保護者は自分の子が「不出来」に見えることでしょう。
もしかしたらその子はその時、
合奏なんかよりバッタを追いかけたかっただけかもしれない。
なのに「ダメじゃない!」と叱られる。
すると、その子は次の発表会から、親に褒められようとして、
バッタをあきらめて嫌々ながら整列するかもしれない。
こうしてまた一人、未来のファーブルや養老孟司がただの人になっていく・・・
ような気がするのです。
子供ひとりひとりへのこまめな対応に高齢者が重要な役割を果たせる、
というご意見、素晴らしいです。大賛成です。
幼稚園や保育園にシニアを派遣するNPO法人はないのでしょうか。
イヤならみんなに合わせなくていい。
鴨の親子を見に行っていいんだよ(笑)と言える大人、大募集!
みたいな。
老眼さん、
>お子さん全員、小学校低学年までを終了しました。
子供が小学生のときを思い出しました。
ゆとり教育のメリットを生かそうと土日は、家族で良く出かけました。
地域の自治体、大学、NPO,企業の協同による子供の広場。毎週様々な場所とテーマで楽しく社会勉強しました。
読書の習慣は既に付いていたので、子供と一緒に八重洲ブックセンターに出かけました。子供達は、児童書籍の閲覧スペースで数時間本を読んだ末に、毎回10冊位の本を買って自分で重い手提げ紙袋を持ち帰っていました。
平日は、ピアノ教室や描画教室にも通いました。
公文(国算)も継続しました。
休暇には実家に帰省して自然を堪能し親類と触れ合いました。
学校の放課後は近所の同級生の友だちともよく遊びました。
時間vs学習による吸収量をイメージすると、小学生低学年からが、学習吸収量がS字カーブで首をもたげて急上昇する時期です。当時、親としては、「子供が夢中になり集中出来る対象を見つけて」、(なんらかの才能を)伸ばすのをサポートすることを願っていました。この時期、子供の学習を通じて親も一緒に楽しみました。実際この時期が子供の学習の関与が最も多かった。子供も小学生高学年になり自立の精神が少しずつ育ってくると、優先順位を付けて継続する対象を自分で選んでいきます。それに反比例するように親の学習への関与はあっという間に少なくなる一方でした。(上の子は反抗期も終えたようです。反抗期の間は何を言っても口論でした。でも、まだ会話があったのは良かった。娘が何故か突然口も聞いてくれなくなった、というお父さんの話も聞いたこともありましたので。)・・・上の娘は、高校生になり囲碁を打つようになりました。未だ対局はしていません。笑)
老眼さんも、目一杯お子さんとお楽しみください。というか、いつも楽しんでいらっしゃいますよね。
未来さん
>今日ツイッターで瀬戸内僧侶の御言葉読んでいました。
>人は、すべてを理解できないし傷つけあう
>精進あるべし みたいな。
おっしゃるとおりです。
養老孟司さんが書いてますよね、「話せば分かる」なんて大嘘だと。
出産ビデオを見せたら、女子学生が「新しい発見があった」と反応するのに、
男子学生は「こんなの分かっている」と反応する・・出産に対する姿勢が違うので
そのように大きな違いが出る。
受験に関してはどうか?
ご存知のとおり、私は・・
大学受験なんて所詮私事、自力でやるもの、第三者が介入するなど本人にとって意味が無い、
学校は極力放置すべし、ただし、機会は均等であるべきである (以上は、あくまでも受験)
・・このような価値観をもっています。(これは、修正リバタリアニズム? でしょうか)・・【A】
そして、違う価値観の方・・あくまでも例示ですが・・
公立では何もしてくれなかった、だから自分は大学受験に失敗したのだ、
きちんと教えてくれたら、大学受験には失敗しなかったはずだ といったトラウマがあったら、
公立出身者でも、公立大嫌い、受験私学大好き になってもおかしくはない。
そんな方が、【A】のような発言を読んで、「この部分はなぜそう思うの?」という会話が
出来るかなんですね・・受験を相対化できていたら出来ますが、昇華できていなければ、ほとんど絶望的ですね。
だから、話し合って分かり合う・・などといった夢想はしておりません。
じゃあ、なぜ会話をするかというと、いろいろな意見があるのだなあ・・それを知るため。
意見を変えなくても他人の意見を知るだけで、それだけで十分意味があります。
そのための掲示板だと、私は思います。
>根本的さんは、無常感さんとのお話楽しみにされているんじゃないかしら
そう・・とても楽しみですよ。
根本的さんと多少意見が違うのですが、楽しんでますよ・・その違いがおもしろい。
知的好奇心をそそるのですね・・未来さんのレスに対してもですが。
シルバースプーン様、老眼様
>整然と行進できたり、合奏が揃っていたり。
「こんな小さな子たちなのにスゴイわ!」と、
大人にとって、つまり保護者にとって「分かりやすいカタチ」で提示する。
解りやすい、例を提示くださってありがとうございます。
「大人基準」を誤解していました、そして私も・・・危惧しておりました。
凡才様に向けて↓のように発言した意図は、シルバースプーン様の懸念を私も日々感じていて、揶揄して述べたことです。
>「躾け」と「猿回しの芸」を同列で捉えていらっしゃいませんか?(信頼感)
「躾け」って社会的マナーや規範意識を身につけることで集団の中での不要な摩擦をなくす為のコンセンサスだと思うのです。ですから「躾け」がなくとも、他人との摩擦はあるだろうが、生きられないわけじゃない。
一方、シルバースプーン様の「大人基準」とは、多分私の考える「猿回しの芸」なのだろうなと置き換えて拝読させていただきました。
>整然と行進できたり、合奏が揃っていたり。
目的の為に強い父性によってカタチ作られたものなのでしょうね。北朝鮮は具現化しているし。強い父性=強制禁止→思考しない→他律→自律できない、となると考えられます。
「躾けがなされないこと」≒「学力差」と因果つけては、本質から逸れちゃうと感じて(断言出来ちゃうけど)います。
>こうしてまた一人、未来のファーブルや養老孟司がただの人になっていく・・・
仰る通り、自律させない方向にどんどん進んでいるように感じます。
教える側としては、自律させない方が「楽」(統制が)なのでしょうけど、北朝鮮もそうだし。
「大人基準」、「猿回しの芸」を目的とするなら、自律出来ない強化訓練をしていることと同義だと思っています。






























