充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
ふう様
おっしゃる通りかと、色んな学校があって色んな子供達、千差万別ですものね。
私なんかは、勉強と音楽を頑張っているお子さんたちはもう、尊敬の眼差しです。
奥深い世界をどちらもじっくりと味わってる子供達、親御さん達、本当にすごいな~、、と。思います。
>身体能力は、遺伝的な要素が強いから、私は強い興味はないけど。。。
>勉強はやらないと出来ないから、勉強が出来る子は純粋に偉い!すごい!
>(その過程に対して)と思う。
と地域、時代さんも書いているけど・・・・
最低限「やらないと」出来ないのは、ほんとだよね。
部活で活躍できる人って、ある程度上になれば・・才能の比率が高くなってしまう。
(才能がない子は、最初からやらないか、すでに止めていることもあるしね。)
いろんな補い方はあるけど・・・限界というか、その子のレベルは、ある程度見えてしまう。・・結構、残酷なくらい。
それは、音楽でも、芸術でも・・あるのだろうけど。
才能を発掘する人は、「そこ」を見ているのだろう。
そこと比較すれば、まだ、勉強の方が、努力比率が高いのでしょうね。
効率や時間の問題はあるけど・・「やれば」できる可能性が高くなる。
スポーツは、あの強さはない、あのプレーは出来るとは思えないとか、あの感覚が自分にはないとか・・・やっぱりあるからね。
ある意味「天に選ばれた人」(一般人が外から見れば・・だけど)というイメージがあるね。
普通の子は、別に、そんなプレーできなくても、十分楽しいのだけどね。
上のレベルに行くか、そのスポーツを続けるのかの判断はあるからね。
スポーツって、どっかで、切れるからね。(引退も含め)
やるなら、自分なりに、ある期間、一生懸命すればいい、ただ、それを続けるかどうかとかは、本人の判断だね。
そりゃ、スポーツも音楽も芸術もできて、勉強もできればいいけど・・そういう才能に恵まれていなくても、勉強得意って子もいるしね。
でも、そんなの、しょうがないじゃん。って思うね。
なんでもかんでも、求められてもね。スーパーマンじゃないんだからね。
勉強は、別に、自分の能力と環境と努力で「いけるとこ」に行くもんだし、「天に選ばれた人」というもんでもない。
ただ、学校というとこにいるときは、全員参加で引退もない。
それに、学生の本分だしね。(一応)
個人的な意見としては、私学であっても、部活が週1とか・・ちょっと、酷い制限をするのは、好きではない。やりたくても、そりゃ・・出来ないからね。
それは、「学校の機能」として、どうなの?って思う。
>最低限「やらないと」出来ないのは、ほんとだよね。(適性さん)
確かにそれは言えてます。
適性さんの文脈から外れますが、
やらなくても出来てしまう事項なんて実はたかが知れたことだってことにあとあと気づいても後の祭りなんですよね。
出来ない・解らないことが山ほどあることを、
どんだけ早い時期に知るかって、やっぱ、大事ですね。
やらなくたってオレは出来る・・。
大学生にもなってそう思ってしまう人が大学までの人で、
社会人になってもまだそう思っている人が社会で重宝されない人なんじゃないかな。
自信を持つ(自分を信じる)は、実は良くないのかな?
>自信を持つ(自分を信じる)は、実は良くないのかな?
(老眼さん)
× (客観的にも)根拠なき自信
何もしていないのにできると独りよがりに思っている
親なり身内なりに持ち上げられ、自己を過大評価している
○ (客観的にも)根拠ある自信
やるべきことはやり、努力してきたんだからできると考える。
客観的な根拠をもとに、それなりに価値がある人間であると考えている。
あるいは価値ある人間でありたいと志向し、精進している
本当に何の努力もしなくてもできてしまう、真の天才は別枠かな。
小学校から学部までは、そうはいってもレールがあるから、
素直に地道にやっていれば、何とかなる人も多い。
大学に残るにせよ、社会に出るにせよ、
そこから先は、臨機応変が多すぎて、不測の事態が多すぎて、理不尽なことも多すぎて、
テストで点を取るための勉強とは別の能力が、多大に求められますから…。
コツコツと勉強する努力だけできた人は、辛いこともあるかもね。
でもそっちは鍛えようにも塾とかないから、家庭教師もいないから、
中高一貫でも公立でも変わらないね~。
>そこから先は、臨機応変が多すぎて、不測の事態が多すぎて、理不尽なことも多すぎて、テストで点を取るための勉強とは別の能力が、多大に求められますから…。 コツコツと勉強する努力だけできた人は、辛いこともあるかもね。
そういうことなんだとわかったのは大人になってからでしたが、
皆さんはもっと早くから気づいてたんでしょうか?
>でもそっちは鍛えようにも塾とかないから、家庭教師もいないから、中高一貫でも公立でも変わらないね~。
こっちのほうが断然鍛え甲斐があると思うんですけどね。
>そういうことなんだとわかったのは大人になってからでしたが、
>皆さんはもっと早くから気づいてたんでしょうか?
私も社会人になってからです。
親はいろいろ言っていたけど、まったくピンとこなかった。
社会に出てから、ああ、こーゆーことかと。
>こっちのほうが断然鍛え甲斐があると思うんですけどね。
そうですね。
視点さんと動機さんは、それに適した環境は、公立にこそあり!
とおっしゃっていますね。
中高一貫にいってしまうと、勉強や塾通いに忙しくて、
点取り受験マシーンと化し、ヤワで偏った人間に育ち、
大学受験までの人に育ってしまうと(笑)
みなさま
一年間お世話になりました。来年も、ときどき思い出したように現れるかと存じますが、よろしくお願いいたします。
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芸術やスポーツの部分は、単一経路なんですね。ほんとうはそうではないのかも知れないけれど、一流を目指すほど、単一の経路を突き詰めていく。
少年野球>高校野球>プロ野球
芸高>芸大>コンクール>留学>ピアニスト
というような。
野球でいまいち伸びないから、身体能力を活かして他のスポーツ、というのは、ジャンボ尾崎くらいしか成功していません。
一般の学習の世界は、もう少し幅があって、才能以外の積み上げで解決する部分が多いだけ、逃げ道がある、という考え方もできます。
これは、皆様がおっしゃる、学校の勉強以外の社会のいろいろ理不尽なこと、と同じ意味にのように思います。
これからの日本はオリジナルな技術で、ということは事実ですが、画期的な発明をしてノーベル賞候補になったり受賞したりする人も必要かも知れないけれど、品質保証で右に出る者はいない、とか、工場設計のプロ、とか、多様な人が必要とされているのは、喜ばしいことと思います。
しかしながら、私が技術屋(くずれ)だからかも知れないけれど、学術的ポテンシャルは、高ければ高いほど、実世界で生きやすくなります。ただし、自分のポテンシャルを活かす人生設計をできる人、ということです。
もちろん、人生の目標設定をあやまると、ポテンシャルを活かすことはできないのですけれどね。(高学歴ワーキングプア問題を、学生やポスドク側からみると、こういうことになるでしょう)。
ある程度のたくましさを前提に、学力の高い生徒や学生を応援したいと考えています。
ひとつ、わからないのが、どの程度、幅の広さが必要になるか、ということで、ヴァイオリニストを目指すように、高校時代から数学と物理しかやらずに物理学者を目指す、というのは、正解かどうか、よくわかりません。たぶん、ここまで来ると極端すぎると思うのだけれど、いろいろな融合領域で新しいことが生まれている現状をみると、あまり早期に絞りすぎるのもなあ、と思っています。月田承一郎先生も、よく話題になるHPの別のページで、こういうことを言われています。
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みなさま、よいお年を。






























