今年入学した高1生が語る青春リアル
1981年中学入試偏差値
1981年 中学入試偏差値 競争率一覧
http://www.[削除しました].jp/gdata1981/1981ck.html
アドレスの伏字はgeocitieの語尾にsを付けたものです。
これを見るとどこが成り上がり校でどこが名門校かが良く判ります。
もし反応がよければ、1970年の日進の中学難易度表もUPします。
それを見ると驚きますよ。
今はそこそこの進学校でも当時は最底辺の学校がいくつかあります。
キーワードは立地環境ですね。
周辺環境が悪い学校は昔は底辺校だったところが多いです。
例えば風俗とか工場とかですね。
城北さんと同様に私も内申書が悪かったため
都立高校を最終すべり止めに使いました。
私立合格者で都立に行く予定がない場合
都立受験を棄権するよう中学側から指導がありました。
当時の都立の群制度末期(1981)では
1.内申書が良く、テストでも点が取れる
==> 都立上位高校を狙う。
2.内申書は悪いが、3教科で点が取れる
==> 私立上位高校を狙う。
上記2つの流れがあったと思います。
都立は内申書の比重が高く、逆に私立中堅以上は
テストのみで判断していたからです。
また、一部の上位校を除き都立の凋落も始まっていました。
いずれのケースでも、城北・海城などを
受験校に組み入れるケースが多く、倍率も高かったです。
(海城では、入学後実質倍率が2倍程度と聞かされへこみましたが) 笑
また、海城の進学実績も城北さんとほぼ似た状況であり
大雑把に半分弱が早慶、残りが今でいうMARCH, etc..のような感じで
私の年度では東大は現役で1桁後半、浪人込みで2桁だったと
記憶しています。
ただし、城北さんと違って中学からの内部進学者が強く
成績上位はほとんど内部進学者が占めていました。
今さら何十年も前の事を書いても参考にならないとは思いますが
親御さん世代で当時の都内での受験を体験していない場合
過去に対する間違った先入観で学校選択を行うのはどうかなぁと
思ったため書き込ませていただきました。
(もっとも昔がどうであれ、今の状況が大事だと思いますが)。
海城は自分が子供の頃にある事件があって、人気が下がっていたと記憶しています。
むしろ巣鴨が難しかったと記憶していますが、今は不人気ですね。
子供が中学受験の時よく学校説明会に行きましたが、新興の学校は本当にプレゼンテーションが上手です。親世代からの伝統校は来たければどうぞ、という上から目線を感じることも多かったです。そのあたりで逆転が発生しているのかもしれません。
偏差値が下がったとしても伝統校のOB人脈には意味がある、という考え方、今が重要で過去のことは関係ない、という考え方、両方あると思います。
ちょうど1981年に高校受験しました。
桜蔭は高校受験もあったのですね。
高校からの募集約40名とあって驚きました。
逆に高校受験で都立の併願だった吉祥や豊島岡に中学があったのも驚きです。
中学から吉祥80名、豊島岡50名の募集で1、2クラス?
高校受験メインの学校に、中学から入学するってどのような感じだったのでしょうね。
>【4786177】 投稿者: 昔は (ID:7tCym.iuik.) 投稿日時:17年 11月 25日 14:50
>学芸附属高校は東大合格数2番だった。
>日比谷関係者のネガキャンにやられて落ちたらしい。
>ネット宣伝の力って結構凄い。
本当かな?
学芸附属高校の東大合格者数と順位の変遷
2008 74名(5位)
2009 74名(5位)
2010 54名(9位)
2011 58名(9位)
2012 55名(9位)
2013 68名(5位)
2014 56名(9位)
2015 54名(10位)
2016 57名(8位)
2017 46名(11位)
※「キャンパスナビネットワーク」および「サンデー毎日」調べ
これを見るとネット宣伝とは関係ないな。
ちなみに学附が2位になった直近は2004年。その前が1995年。




































