アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
ウンチクシさん
いえ、大丈夫ですよ。謝罪していただく必要は無いです。
もう、建築話はスレチなのでやめましょう(ちょっとこれ以上は書けない事情もありますから)。国立附属学校のあり方とあまり関係の無い話題ですから、、
ちょっとだけ戻りますが、闇駒さんかな、
銃規制に関しては、「この権利を、民兵を組織するための州の権利であって個人に銃所持を認めたものではないとしてみる集団的権利説と、個人が武装する権利であるとしてみる個人的権利説」の両方がありますが(これはwikiよりw)、国家が個人の間に、こういう極端な権利と付与することで、個人と国家が繋がれていると理解していました。
具体的には、税等もそうですが、寄付行為がある程度、税の使途に選択制をもたせている点は興味深いなと思い引きました。
ノブレス・オブリージュなる概念が持ち出されていましたが、寄付経済というのは、すくなくとも富裕層のみに該当するものではないし、ある種の税補填も伴っているものだから、ちょっとそれは違うんじゃないの?ということを指摘したに過ぎません。
論旨は以上ですが、素描に過ぎませんから、違和感のある点は補足していただければそれで良いと思います。ご指摘に認めるべき点がある場合、自説をあたらめること自体に何の抵抗もありません。是非宜しくお願いします。
因に2011年から寄付控除が認められたので、考えてる人はいるんだと思いますね。また、公益性のある事業に対し減税を行う事も私の知る限り地方自治体レベルでは、いくつか事例があります(特区制度もこれに近いと思います。でも、まだ上手じゃなくて、様々な施策が既得権化してしまわないこと・特定団体に対しての利益供与につながらない様な工夫については、課題が多い様ですね)。
ではこの辺で、、、
なかなか漫画に繋がる話題にならず残念です。
ヘタレ文科官僚が官邸の意向を忖度して必要のない獣医学部の新設を許したのだから、責任を持って国立学校を一校減らして税金のバランスを取って欲しいね。
もともと、少子化の時代に学校数維持はあり得ない。
一旦認可した私学に廃校にしろとは言えないのだから、公立校で調整するしかない。
都内に国立校が多すぎなのは明らか。
調整が必要さん
森友も加計もかなり酷いですよね。経産省とかは、多分、産業振興が面目たるところであるので、強いんだろうなあ。教育も福祉も、社会を維持して行く為の「コスト」みたいな面があるから、で、そんなの儲かるの?的なところでは旗色悪いのかもしれないです。新国立競技場、天下り問題で次々と事務次官が更迭されていてしんどい中、森友/加計での人事があれば三連ちゃんです。これでは不名誉すぎて気の毒になりますね。
国立附属学校が特に首都圏に集中していることに関しては、私も一瞬「???」と思ったものの、ちょっと考えてみて話題にするのは止めました。ざっくり試算したんですが、今、1億2000万人程度の人口なのかな?この概ね10%が東京都、35%程度は首都圏在住ですね。そんで、1億2000万ざっくり47で割ってみると255万人。ああなるほど、200万から300万くらいの人口で、県庁所在地の人口が40〜60万人の自治体って多いから、そこに1や2つくらいは国立大や附属学校があることが妥当と言えるのであれば、都内に附属学校が5〜6校あるのも、規模感では大きく外して無いというか、その程度は考えていたのかもしれないな、、、位には思いました。
wikiを引くと附属学校の一覧がありますが、上で考えれば首都圏が突出して多いとは言い切れないです。むしろある種のエリートコースとして考えた場合、地方の国立大附属学校→県立トップ校等という方が、よっぽどエリートコースかもしれないですね。大都市圏に暮らす人間、それ以外の地方に暮らす人間、それぞれの言い分があるかと思うのですが、特に首都圏が優遇されてる訳じゃないとも言える様には思います(ただ、進路選択の自由度そのものが、大都市圏は地方より圧倒的に勝っているというのであれば、それは確かにそうです)。
そうそう、グローバルな昨今、海外駐在員はウハウハだという見方も根強い印象なんですが、教育問題では悩むみたいですね。単に日本の制度に慣れているから、海外の制度へのアダプションに戸惑うだけかもしれないけれど、帰国後、勉強に遅れない様に とか 米国の公教育、そこまで優れている訳じゃないので、知人は相当苦労していました。ただまあ田舎の人はそんなに悪い人じゃないし、差別的な感情をあらわにする人なんかごく少数で、異文化への敬意もあるにはあるから、端からみると、楽しそうではあるかな?
じゃあ、ECIだけ
ECIは駄目だと思いますが、あの規模の建物短工期でまとめられるゼネコン自体そう多く無いので、保険かけたんでしょうね。仕切り直しのコンペで出て来た予算書をみても、横並びでしたので(談合したとも思えないです)、すったもんだの中、行政側で、規模を削減したり、仕様を変更したことが功を奏したとは思います(私自身はあんなもん作ってどうすんのよ、、とは思ってますので、あくまで手続き上の話ですけどね)。っていうか、事業主の仕事ってソコですから、初めっからそこが出来ていれば当初案でも着地点は模索できた筈です。
豊洲が駄目なのもソコですね。仕切れてない。
大きい施設はほんと難しくて、まず、断言していいのは「競争論理」なんか働きません。在来技術で作れる様なものの場合は、コスト競争できますが、まず無理です。ちょっと文科省悪くいいすぎですが、研究所も美術館も学校施設も基本的にはユニット・プランニングなので、あんな土木的なスケールかる高性能な建物まとめられる訳が無いという視点からのコメントでした(どこの大学の施設を見ても、小間割された基準階がただ積層してるプランニングですね、そういうものなら手堅くまとめられるし、コスト管理にも一定度のノウハウがあります)。
例えば鉄骨なんか、中国や韓国で作ってもってくるとか、そうした検討も出来た筈なのですが、そこは最初のコンペの後の設計期間中、ことごとくリジェクトされていた様です。実際日本が資源開発する時なんかは、中国でプラントの関連部品作って、ロシアで施工とかよくあるので、やって出来ないこと無いですけど、、、、もし、コストカットを求めるのであれば、規模や仕様を調整したり、建築の製造面(調達方法)のところをしっかりやらなければならなかったのだろうなと思います。
本件はこれでおしまいにします。おや、誰か来た様だ、、、(笑)





























