アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
ここで言われている選考方法はすでにいくつかの附属小ではすでに実施されていることだと思います。
入ってくるお子さんが「多様」なのは良い事なのだと思いますが、研究校としてのミッションが達成できる見通しはあるのかな?と幾分疑問を抱きました。国庫が厳しいから体のいい理由づけをしている感も否めないなあ。ほんとにそんな選抜の仕方で研究校としてのミッションを実行することは可能なのだろうか?成員云々より研究成果の費用対効果で判断したほうがいいんじゃないだろうか、、、
少なくとも初等教育において、就学前のスクリーニングだけではただでさえ不十分だとも思います。それすらも無くしてしまうと、まともな研究出来なくなってしまうと思うし、その為に適性検査(小2程度の簡単なパーパーと行動観察)でセレクションしてきた従前の施策をも否定することになると思うのですが、、、
結局のところ、これでは、個々人いろいろ能力違うのに、その能力に応じた教育を行うということについては、排除しようということなのかなあと思います。結果的に優秀な奴が入学してくる環境だとして、そうした環境で出来る研究だってあると思う。「多様性」という言葉は聞こえがいいですが、転けちゃったら一体だれが責任取るのだろうか?ある程度スクリーニングしているから風変わりな授業にもついていける訳で、それを外してしまって、授業や研究は成り立つのだろうか?
私は受益者負担を増やしてでも、維持すべきだと思うなあ。
誰でも入れるって言ったって、初等教育では学区をある程度限定せざるを得ないから、どこまで行っても不平等感が残ると思います。で、あるなら、パフォーマンスを追求すべきなのではないかな?地方自治体が公立で実践していることを国費を投じてする必要があるのだろうか?甚だ疑問。タコが自分の脚食う感じになってるとすら思う。





























