アートの才能を伸ばす女子教育
中学受験に大きな影響あり!地方創世って?
内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。
中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。
>例年受け入て来た、受け入れ能力の範囲内の
人数であれば、入学させても害は無いでしょう。
日本人って保守的だから、現状維持には誰も文句を言わない。
変えようとすると、誰かが文句を言うから、改革はほとんどできない。戦争後とか、そういう時以外には。
現状の入学者で本当に問題ないのか?
少なくとも基準上は過剰に受け入れていたわけでしょ。
早慶はじめ私大文系のマンモス授業は、日本の大学のレジャーランド化の原因の一つで大問題なはずで、基準に合わせる、というのは正しい改革だと思います。
地方創生を理由にするのが正しいかどうかはよくわからないけど。
奇妙なことを述べる方がいる。
絶大な権力を有する一国の総理大臣と、一私立大学の常務理事兼運動部監督に過ぎない人物とを並列して論じようというのだ。しかも後者はその後ろにいる権力者の傀儡であることは周知の事実であるにも関わらず。それが証拠に、水に落ちた犬に石を投げるがごとく、この時とばかりに日本国中から罵倒のオンパレード、集団ヒステリー。いつからこの人物はそれほどの「有名人」であったのか。「憎まれる男」であったのか。例の事件がきっかけとなり、単に張り子の虎であったことが確認されたに過ぎないのに。
形式的な契約自由の名のもとに、事実上経済的強者による契約条件の一方的な押し付け、すなわち自由平等の名のもとに事実上の支配関係が生まれるにいたる近代法のもとにおける実質的不平等と同じ論理である。アベと内田氏とを比較すること自体、荒唐無稽なことだ。しかも、内田氏らは、一貫して故意性を否認している。当事者の言い分が食い違っている。ゆえに、正確には真相は何ら解明されていないのである。むろん、現時点で真相は当事者以外だれも分かりようがない。
古い法諺に「裁判官が原告であるとき、被告人は神を弁護人にしなければ対抗できない」というものがある。われわれは常に誤判の可能性に思い致さなければならない。また、だからこそ私は、被処分者たる日大関係者らに処分の執行停止を求める仮処分申請を勧めているのだ。もはや、相対的に中立公正だと考えられている裁判所によるジャジによってしか、あなた方の言い分は通らないよ、と。そして、憲法が保障する人身の自由に関わる諸権利があなた方を不当な攻撃から擁護するのである。それが自由な国の当然の在り方のはずである。
実質的に受け入れ能力があるなら審査して定員増を認めたら良い。
定員厳格化×定員増=現状維持 となる大学・学部もあるだろう。
ただの水増し入学で全員出席したら教室からあふれるようなところは
審査して定員増は認めなければ良い。定員を減らしても良いだろう。
教育の質にかこつけて有力大学の学生数を減らしたいなら
授業の種類ごとに1度に教えて良い学生数を規定したら良い。
実質を規定・審査するなら文句も少なくなるだろう。
限界革命以降の経済学には、代替弾力性という概念がある。これは限界代替率を基にして導き出される概念だから、偏微分を使った数式で示される。
言葉を使って簡潔に翻訳すれば、他の財による代替の難易度を示す数学的な概念と言える。労働力も財と考えれば、代替弾力性の低い労働力(代替の難しい高価な労働力)とそうでない労働力がある。
単純労働は代替が容易だが、専門職の高度な労働は代替が難しい。「高プロ」は代替が困難な高度な労働力に対して設けられた規定だから、制度で守らなければ安く買いたたかれてしまう労働力と同等に論じることできない。
偏微分を駆使する限界概念は、マルクス以降に形成された経済学の概念だから、マル経の世界観では理解できない。































