アートの才能を伸ばす女子教育
中学受験に大きな影響あり!地方創世って?
内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。
中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。
>あんたがた、東京から、地方交付税いくら持っていきました?
地方は東京からは交付税は受けていませんよ。
納税は国民の義務なので、全国一律です。
地方交付税は、国からの交付で富の配分は国の重要な役割の一つです。
それとも、東京に住んでいる人は人口が多いだけで納税額が多いのでしょうか?
東京に住んでいる人が都税の使い道に関して口をだすのは当然ですが、国税に関して東京だからといって優位性があることは無いと思います。
ポイントは少子化や人口減少にあわせた速度での組み換えです。
定員厳格化は長い時間かけて実施すべき、と過去に私は書きました。
今、東京圏の18歳人口は年率1%減少で大学進学希望者数は横ばい
であるのに周知もそこそこに3年で定員厳格化をするのは間違いであり、
その理由に地方創生と言うのも間違っている。
>ポイントは少子化や人口減少にあわせた速度での組み換えです。
> 定員厳格化は長い時間かけて実施すべき、と過去に私は書きました。
おや?私も以前、上記と同意見を述べています。
改革に時間をかけ、遷移期の変化率を小さくすれば社会への影響は小さくなると。
私は、それを認めた上で、大学定員枠抑制による現状の短期的変化は、社会に悪影響を及ぼす程のマグニチュードではなくやがて収斂するので、許容すると述べている。
呑気な父さんと私の意見の分岐点は、その変化率の値の対する是非にあるいう理解で良いですか?
「抽象化」とは資本主義経済特有の発想ではないかと私は感じている。
すなわち、個々の生ける具体的人間をアトム化した「抽象的な人」を単位とする量的思考-量的変化-に注目するブルジョア経済学。それに対して、「具体的な人」である人間や働く人々たちのダイナミクスに注目するマルクス経済学。二項対立的にいえばこのようなことかと思われる。
それは法的にも同じこと。
エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で明らかにした悲惨な労働者階級の状態。長時間労働を強いられ、貧困のもとに立たされ、生活は破壊される。6歳の児童でさえ1日16時間働かされ、婦人労働者も分娩間際まで働き、分娩後三日目には再び工場で労働時間いっぱいまで働かされた。
その原因にこの「抽象」的思考があった。すなわち、取引の両当事者が「公平」「対等」な立場であるとのブルジョア的虚構。その虚構を建前とした労働契約。そこに予定した「人」とは、独立な人格者たる「抽象的な人」であった。しかし、事実では「具体的な人」、たとえば生産者と労働者、使用者と労働者が常に対等な立場に立つはずがない。いずれか一方が経済的に優位な立場に立ち、他方が劣後の立場に立つことが現実である。このため、労働力売買たる労働契約で経済的優位に立つ使用者が、その立場から一方的に労働力売買の条件=労働条件を決める。他方、労働者はそれをうのみにした契約を締結せざるを得なくなる。就労しなければ、明日の糧が心配になるからだ。その結果、抽象的な「人」を想定した虚偽的な関係性において、ブルジョア市民法が想定した自由な契約は事実上否定される。その法律効果が、先の労働者の悲惨な状態であった。
本件問題でも肯定論者に共通する発想に、この資本主義的な抽象的量的思考が濃厚に表れている。そこには、思わぬ蹉跌を蒙った生ける個々の受験生たちの慟哭を深く受け止めたふうは見て取れない。あくまで抽象的でアトム化された「単位」でしかないのであろう。
ゆえに、「浪人すればよい。それは有意義だ。浪人→成績向上→志望校合格(するはず)」と短絡してしまうのである。だが、そこに「わかっちゃいるけど、やめられない」の恐れあるのが人間の性であると思うのだが。
>定員無視の学生の詰め込みが憲法で保証された「学問の自由」?
ご冗談を。
だから大学人を夜郎自大と言う。
いつの時代の話かね。
百聞は一見に如かず。研究室から出て、お日さまに当たりなさい。
ときに訪れる東大の法文二号館?と様子はさほど変わらんよ。
> 大学は家庭から学生を預かり、社会に学生を送り出すサービス業です。需要地は、家庭の所在地でもあり、就職先を探す場所でもあり、行きたい場所でもある。
大学生はあと少しすればみな成人なのだから、家庭を基本にするのは違和感があります。高等教育は、誰かにやらされるものではなく、自分の能力を高めるために、自分の見識を広げるために、自分のスキルを磨くために、自ら進んで受けるものです。将来に対する自分への投資です。ですから、自宅から近いとか、就職活動に便利とか、周りに鼻高になれるとか、ランクが上だとか、そういう理由で大学は決めるものではないでしょう。
欧米と比べて日本の学生は中高までは優秀なのに、大学で伸びず追い越されてしまうのは、親から精神的に自立し、自らの考えと責任を持って進めていくことができていないからです。教えられたことをするだけでは、教えた人を超えることはできません。
「教育」の問題は本当はそこにあると考えています。
#予備校に通うのも自己投資と考えれば、決して富の流出にはなりません。































