アートの才能を伸ばす女子教育
受験する学校選び
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を目指すご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容
面倒見が良く、イベントが多くて楽しそうな学校等の教育環境等で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共有しませんか。
入試のあり方は生徒の学びに大きな影響を与える。現在の日本の中高の学びは、知識の多寡を問う受験対策に偏っている。
一方正解のない世界に生きていくには、教科学習によってえられた幅広い知識をもとに、実社会の中から課題を見つけ、解決策を導き出し、新たな価値を創造していくことが重要。
入試においても、基礎学力に加え、好奇心、探究心等を総合的に評価することが求められる。
経団連の教育改革提言。
ここでコメントしてきたこととほとんど同じ趣旨。社会が求めている能力や、入試改革の必要性を自覚すべき。
知識詰め込み教育の成果を測る入試が主流であることは由々しき状況。
大学入試において探究的な学習等主体的な学びの成果を評価する総合型選抜等の入学者選抜を拡大していくことが望まれる。
大学、高校関係者は一丸となって入試改革に取り組むことを期待する。
経団連の教育改革提言もここで自分がコメントしてきたことと同じ。
探究は大事ですが、科目として制度化することの是非はあると思います。経団連や文科省の言い分が正しいとは限らないし、implementationを考えなければ、絵に描いた餅になってしまいます(例えば、ゆとり教育やタブレット学習はどうなった?)。
そこで、2点、教えていただきたいのですが、①探究学習の成果は何で、どのように計測し、評価できるとお考えですか。②探究心を持たない子どもに、主体的に探究させるにはどうすればよいですか(「探究させよう」と仕向けている時点ですでに「主体的」とはいいがたいですが、それは不問とします)。ぜひご教示ください。
本物の学者でも価値のあるテーマを見つけるのは容易でなくて、博士や修士の論文は通すために既存の研究にわずかばかりの条件の変更を加えて、実験や検証しなくても大体分かってる話をわざわざ確認しました程度のもので通している。
専門教育を全く受けてない高校生の立てるテーマになれば、本当に意味のあるテーマなら絶対に検証不可能(そんなに簡単に科学的発見ができるなら苦労はないが、世の中でどれだけの学者や学者の卵が日夜苦労してるのか舐めんなって感じ)。
大抵は修士論文や学士論文よりもっともっと愚にもつかないテーマで論文もどきを書かせてやった感出すだけ。
そういうやった感をデモするための研究もどきをやって変なテクニックに偏った癖をつけるなら、まず基礎知識をつけろってこと。
大学の総合型選抜入試であれば探究の評価基準については、各大学、学部にアドミッションポリシーとともに評価基準が示されている。
探究は必ずしも試験対策だけでなく、研究や知的関心の喚起、ものづくりや起業のきっかけなどにもなるので、知識詰め込み型の日本の教育よりは効果的。
関心のない人には問いを発する。例えば、電車に興味があれば、なぜ電車は走るのか、などそこら辺から、考えたり調べたりするきっかけをつくればいいのでは、
探究は文部科学省や経団連だけでなく、世界の教育の大きな流れ。従来の教育や基礎学力向上のみを続けたければ続ければいいのでは。
ザビエルはどういう人で何をした人だという従来の日本の教育ではなく、ザビエルのように知らない土地で何か新しいことを広めるにはどのようにするか、など思考コードの創造型の授業をした方が非効率に見えて、実は深い学びになる。
サピックスなどのように同じことを何度も何度も演習などを通じて基礎学力を身につける勉強法ではなく、そもそもなぜこうした公式何だっけ、という学びの方が深い学びになるということでしょ。
探究学習と教科学習は連動している。例えば、音速以上の乗り物が人間につくれたのなら、光速以上の乗り物がつくれるか、火星に人間が移住できるか、移住するためにどうすればいいかなど、に関心があれば、自分で調べ考えを議論し、整理し、発表するなどを通じて、深い学びになる。それが物理や科学等の関心を喚起し深い学びにつながる。
誰もが国語、数学、理科、社会、英語などの教科書を学ぶ必要はなく、得意なことを深く学ぶ国や人があってもいい。
ミュトスの開発者は高校を卒業していない。それでも人智や従来AIを超える人工知能を創造した。
興味や関心、好奇心をのばす主体的な学びは、こうした社会が求める新しい価値を創造できる人間を生む。学校はこうした関心の喚起、議論、様々な視点からの問いを行う、などの環境を提供する場であればいい。
誰もが与えられた知識体系を詰め込む教育をする必要はない。今の時代は新しい価値を創造する人間が必要な時代。そんな時代にAIができることを競わせて、青春を浪費する余裕はもはや日本にはない。





























