将来の選択肢が広がる学部合同説明会
受験する学校選び
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を目指すご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容
面倒見が良く、イベントが多くて楽しそうな学校等の教育環境等で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共有しませんか。
教育には時代に取り残されず、先を見据えた戦略や政策が必要なのだけれども、利害関係者が多すぎて教育改革がまったく進まない。
東大の国卓と汚職の数々をみていても、反執行部の時期を考えたリークの数々をみてもわかるとおり、改革をしようとすると、足を引っ張る人が無数にあらわれる。
大学の自治、学問の自由、統治構造の転換をさせない、長期研究の重要性など次々と御旗をたてて、從來学部のポストや定員減、予算減などを防ぎ、自分のクビやキャリアを守ろうとする人たちが反対する。
東大改革をみていても、日本で教育改革がいかに難しいかよくわかるよね。
東北大等国卓に認定され、大胆な改革をしている大学を国は支援し、自立させていくしかないだろう。
一番の問題は「公平」という理解なんだと思うけどね。
日本の公共教育は「同じ」でなくても良いはずなんだけど。
ズルい、とか「こっちの方が上」だとか。
どっちでも良いのよ。
必要な所に必要なものがあれば。
あとは本人の選択だから。
日本の大学が世界や将来を見据え、戦略的に自ら組織を改革していくことができないのは、利害関係者たる教職員が大学を統治しているからだ。
サラリーマン経営を続ける日本企業が大胆に改革できないのは、社内のしがらみやリストラにできないからでもあるが、日本企業は世界と競争しているので、企業が将来的に潰れる、将来見通しが良くないとなれば黒字リストラを敢行する。
他方、大学は教職員を守る、身内を守るために改革を怠り、子どもたちや学生が犠牲になっていく。日本の教育や大学がいつも古びた後追い教育になるのは、自ら改革ができないからだ。
成功し自立している米国トップ大学の統治構造を国は研究し、大学経営について、文部科学省と経済産業省が審議会を設置して議論しているが、根本的にはガバナンス、統治構造を変える必要があるとの認識で一致している。
国はそうした自ら改革を行うことができる大学を支援する方針。支援も期限付きで将来的には米国トップ大学のように大学が国に頼らず自立的な運営ができることを目的としている。
他の中高一貫校に、近年最も大きな影響を与えたのは開智所沢の開校だろう。
開智所沢は、わずか数年で受験生1万人を集める中学となったことで、他の中高一貫校に大きな影響を与えた。受験者1万人超えは開智、開智所沢のほかに栄東しかない。つまり日本トップの受験生数を集めることができる中高一貫校ということで注目された。
特に、探究、グローバル教育、メディカルサイエンス医進、と横軸のコース分けをしたことが大きい。今までは学習種熟度別のクラス編成をする中学はわりと多かったが、横軸のコース分けをしている中学はあまりなかった。
この影響で從來の教育を続けてきた中高一貫校が、探究サイエンス、グローバル教育、メディカルサイエンス、リベラルアーツなどを教育の特色として全面的にカリキュラムなどを含め改革する学校も出てきた。
人材を塾や外部から受け入れ、カリキュラムをつくり教材をそろえるだけでなく、海外の中高との協力関係構築など積極的に改革する中高がいくつか出てきた。
結果を出すには時間はかかるだろうが、よい傾向だ。
エデュの日常ですなぁ。
>米国トップ大学で成功している統治構造の転換を日本の大学でやるべきではないというなら、結果を出すべき。
これはもう三度目です。
同じ主張を語彙だけ変えて繰り返しているだけで、指摘した論理の欠陥には一度も答えていない。「反対するなら結果を出せ」という立証責任の転嫁、「結果が出ていない」の定義不在、統治構造と結果の因果関係の未証明。
この三点、毎回スルーして同じ結論だけ繰り返すのは、反論ではなく単なる呪文の再生です。ゲートウエイという言葉しか書けないのと同じ理屈で、この主張も同じ形のまま何度再生しても内容は増えません。
>米国トップ大学の統治構造を国は研究し、大学経営について、文部科学省と経済産業省が審議会を設置して議論しているが、根本的にはガバナンス、統治構造を変える必要があるとの認識で一致している。
これも精査すると崩れる。
米国トップ大学の統治構造とは、実際には大学ごとに大きく異なります。ハーバードは評議員会(Corporation)が最終権限を持つが教授陣の自治的権限も強く残る。
カリフォルニア大学群は州政府の強い関与下にある公立大学。
プリンストンは小規模ゆえに教授会の発言力が相対的に強い。
「米国トップ大学の統治構造」を単一のモデルであるかのように語ること自体が、比較対象の解像度を意図的に落としている。他人に詳しくない事がバレバレと、自分がいかにも詳しい立ち位置でいつも語っているが、詳しいと言っていない私に突っ込まれている様も毎度の景色。
そして、日本の官庁が審議会で「ガバナンス強化」という言葉を使っていることと、それが具体的にどのアメリカの大学のどの制度を指しているのかは、まったく別の精度の話です。
>教職員が大学を統治しているから改革ができない。サラリーマン経営を続ける日本企業と同じ。
これも比喩が破綻している。
企業は株主・市場という外部からの淘汰圧に晒される主体で、黒字リストラも株主利益の最大化という明確な目的関数のもとで行われる。
大学の目的関数は利益最大化ではなく、学問の継承と知の生産です。企業と大学を同じ経営モデルで語れると考えている時点で、この一連の投稿群は「大学とは何か」という定義そのものを企業に丸ごと置き換えてしまっている。
これは統治構造の議論ではなく、大学という制度の存在意義そのものへの無理解ですね。
保護者くんの一連の投稿にある「革新的なアイデアが日本から出てこない」という嘆きも、皮肉なことに今まさにこのスレッドで起きている現象そのもの。
統治構造を変えれば革新が生まれるという単純な因果を、根拠なく何度も繰り返す。これは「革新的な発想」ではなく、逆に「思考停止した紋切り型」の典型例でしょうね。教育の未来を憂う投稿の中で、まさに憂うべき思考の型をキミ自身が体現してくれている。
これだけの論点を積み重ねて尚、同じ主張を装いだけ変えて繰り返すというなら、続けてもらって一向に構いませんよ。
ただ、次にまた同じ内容を別の言葉で書いてきたとしても、それは反論ではなく単なる再生であることは、もうこの場にいる誰の目にも明らかだと思いますがね。
ま。それを放置して観察するのも、エデュの楽しみ方なのかもしれませんが。






























