女子美の中高大連携授業
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
(2009年8月14日 読売新聞)より
戦争 自分ならどうする
加藤陽子・東大教授、中高生への講義を本に
1930年代の外交と軍事を研究する加藤陽子・東京大学教授(日本近現代史)が、
日本が戦争へと突き進んだ背景を中高生と共に考える『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
(朝日出版社)を出版した。神奈川県の私立栄光学園で、中学1年生から高校2年生までの
約20人を対象に行った5日間の講義をまとめた。
(以下略)
www.yomiuri.co.jp/book/news/20090814bk01.htm
別に右翼ではありません。
僕の意見はどこにも右翼と称される文章はないつもりですが、それでも右翼と云うことは、↑が極左かな?
なのです。それからどこが「右翼」なのかを具体的に指摘すべきです。しないまま感覚的に右翼というのは卑怯です。
ちなみに皇太子様とま今でも同窓会で普通に使います、「殿下」という敬称を使う学友はほとんど居ません。中には未だに「宮様」と呼ぶ人もいます。
> もうしわけありませんが、このような「偏った方(加糖氏)」が青少年に歴史を講じているとはとてつもな> く恐ろしく、2010年の終戦記念日を迎えました。
加藤さんや私とも同世代の方のようですが、上記のような文章から始めてしまうのが問題と言えば
問題なんだと思います。まるで全共闘世代の方のように断じては、楽しい議論はできません。
相手の考えを否定するのに人格否定から始めるのは、全共闘世代の方が良く使う手法で、
「君、それは危険だな」なんて言われたことないですか。何が危険なのかよくわからないんです。
加藤さんには加藤さんなりの立ち位置があって、ある意味偏っているのは当然のことでしょう。
いま話題になっている日韓併合についても、韓国人の認識と日本人の認識が違うのは当然で、
それが歴史というものです。ただ事実の認識にズレがあったら、出来る限り修正すべきです。
また歴史を述べるに当たって、自らの立ち位置を明確にしたほうがいいのは当然です。しかし加藤さんは
歴史の先生ですから、「できるだけ普遍的」な立ち位置を目指しているのではないでしょうか。
いまだに歴史の先生には、れっきとした左翼の先生がたくさんいらっしゃるので、そういう職場環境を
前提にすれば、加藤さんはいいポジションだと思います。
NHKの爆笑問題の番組に加藤さんが出演されたときも、学生からいろいろ客観的な指摘をされて、
考えさせられたという話もしていました。
加藤さんの本で重要なのは、歴史を認識するに当たって、そのときの当事者になって状況判断してみる、
思考してみるという手法を提示していることであって、その手法で歴史を考えてみれば、それぞれ独自の
判断が出てくるわけです。危惧されているような思想統一の状況にはなりえないですね。
別の学校の掲示板でしたね。
何かもうしわけありませんでした。
それと私の見解に対するminiさんのご意見ですが、書きだしがまずかったというのはそうでした。
ただ、
・少なくとも加藤氏の意見は普遍的とは言えないと思います
・偏りがあってももちろん良いのですが、加藤氏が立ち位置を明確にしていて、それが読者や講義を聴いて いた青少年に伝わったとはとても云えないと思います。→立ち位置は不明確か意図的にボカしていると思 います。
・加藤氏の人格を否定しているわけではないのですが。敢えて云えば。最後の2-3行くらいに、ちらと本音と思われる部部がさらっと書かれていたので恐ろしく感じたのです。こういう部分でした
「最近、先の大戦に対し「なぜ、こうなったのか」「..というのは本当なのか」といった、今までの (「反省一本?」)の立場に疑問を呈する出版が多いが、これらに類することを青少年が考えるのは回り 道であって、結局は日本の犯した罪は消えないという今までの主張に正がある」というようなくだりがあ りました(不正確ならすみません)。
僕が恐ろしかったのはこの部分なのです。加藤氏は普通の社会科の先生とは格と影響力において雲泥の差 があります。故人ですが小田○氏や筑紫○○氏、赤尾○氏、ご健在の方なら福島○○氏、○○よしのり氏、桜井 ○○子氏、工藤美○○子氏のようにほとんど誰もが、彼らのよって立つ見解を知っているといった方ではあり ません。同じ東大の上野○○子氏よりも加藤氏は知られてはいないでしょう。 こうした方が、「色々な立 場の意見を勉強するのは回り道だからやめなさい」といっているように、しかもそれを色々な意見を学ぶ 必要のある年頃の青少年に対して語っているように「僕には」読めたわけです。
これが加藤氏の本音であれば、僕は人格を否定はしませんが疑いはします。
最後に、加藤氏が書かれていた
「自分が作戦計画の立案者だったら」というようなくだりはとても無理です。
時局のただ中にいた幕僚組織の作戦立案に60年も経過してから「自分ならこうした」、というのはまった意味がありません(ほかの本でも多い書き方ですけど)。
それからminiさんのご意見に矛盾があるようなので求釈明を致します。
・「加藤さんなりの立ち位置があってある意味偏っているのは当然...」と「できるだけ普遍的な立ち位 置を目指しているのではないでしょうか」→正反対だと思いますが...。
それとも「加藤氏が偏向しているのではないか、と思う点が、加藤氏における普遍的思想なのでしょう か?」
歴史認識で確実に共有できるのは、その時その場所で起きた事実の認識だけではないでしょうか。
しかしそれぞれの価値観を基にした歴史の認識に、私には私なりの、加藤さんには加藤さん
なりの、偏りがあるのは当然です。
ですから、普遍的な歴史認識など基本的に無理だろうと思っています。
現在の個人的な価値観を基にした歴史認識に偏りが当然だけど、主観的な歴史認識を
「絶対に正しい」と固定化する人もいるだろうし、より普遍的と思われる方向に
軌道修正していく人もいるでしょう。
という意味の内容を書いたつもりだったのですが、筆足らずだったでしょうか。
>普遍的な歴史認識など基本的に無理だろうと
僕も前回か前々回の投稿の中で述べたとおり、タイムマシンで過去にもどり客観的に何が何処でどうして行われたのかが明らかにならない以上は、正しい歴史上の認識は不可能だと思います。
そういう意味では「普遍的」という語彙は歴史を学ぶ上では使用できない用語かも知れません。




































