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投稿者: ぴよこ (ID:Z3FchS8wTco) 投稿日時:2007年 02月 03日 17:44
愚息が幸運にも栄光、麻布に合格できました。
どちらを選ぶか、明日までの数時間のタイムリミットで、想定外の悩みができました(本当に有りがたく思います)。
麻布は通学に1時間半かかるため(栄光は40分)、やはり栄光にしようと気持ちは傾いています。
麻布は伝統校で人数も多く、バイタリティーを感じますが、栄光の魅力ってどんなところでしょうか?
先輩方、よろしければ、教えてください。
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【7177357】 投稿者: 保護者視点 (ID:cZbHuFVidgo) 投稿日時:2023年 04月 13日 14:40
先生側は裁量を与えられて自由度が大きいことが背景にあるのかどうか
わかりませんが、先生から保護者へのお話の中で懐の大きさを感じることが
よくあります。
なので一見問題ありそうなことでも自発的な行動を止めないでむしろ肯定的に
指導するところを自由と感じる保護者が多いのかなと思います。 -
【7178211】 投稿者: 栄光の優れた所はしっかりとした管理教育 (ID:cUI4oj3ZMts) 投稿日時:2023年 04月 14日 15:14
よく栄光が自由だといわれますが、恐らくですがそんなことはありません。学業面(精神面)では自由ですが、生活面(身体面)では厳しいです。
で、身体面で管理されているということは、実際には精神面も管理されているのと同じなんです。毎日遅刻せずに登校し、長い坂を上って登校し、中間体操し、6時間授業を受ける。この生活を厳守した状態で、精神的な自由が得られると思いますか?実質的に与えられた自由は、悪い成績を取る自由位です…。
外部から見れば栄光は厳しい学校なのに、内部の人は自由だと思っている。これが、しっかりと管理教育を施している証であり、栄光の優れた所だった考えています。
が、最近では中間体操が着衣自由になったりして、管理教育路線から自由放任路線に転換したのかな? -
【7178357】 投稿者: プリコジン (ID:H6P989ZSpnY) 投稿日時:2023年 04月 14日 18:23
開成、聖光、駒東、武蔵、渋渋、どこの有名進学校もこの手のアンチ書き込みを排除できなくて大変だな。
いや、進学校に限らんが。
まあ、それもエデュらしさではあるか。 -
【7178427】 投稿者: 思った事をそのまま書いただけだけど (ID:cUI4oj3ZMts) 投稿日時:2023年 04月 14日 19:58
あるあるアンチ書き込みなの?
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【7178436】 投稿者: どうかね (ID:eZbKvgfHi5c) 投稿日時:2023年 04月 14日 20:12
わかんないよね。あるあるもあれば、そうでないのもあるんじゃないですかね。
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【7213707】 投稿者: 事実と捉え方 (ID:wHZnO53G79s) 投稿日時:2023年 05月 18日 11:41
>毎日遅刻せずに登校し、長い坂を上って登校し、中間体操し、6時間授業を受ける。
これは事実ですね。
>この生活を厳守した状態で、精神的な自由が得られると思いますか?
これは投稿者さんの結論ありきの捉え方でしょう。
私は保護者ですが、
「遅刻自由で、通学中疲れたらバスやタクシーを使って、体操は参加自由、授業は好きなものだけ受ければいい」
という環境だったとして、それだけで精神的な自由が得られるとは思いません。※体操は微妙。
事実は、良いところも悪いところも他にもたくさんあります。
職員との物理的・心理的距離感が近かったり、兼部の自由さだったり、のびのびとした校舎や校庭だったり、親としてはもどかしいほどがつがつ勉強させなかったり・・・
そういった事実が積み上がったうえで総合的に見て、精神的な自由は得られていると思いますよ。 -
【7214588】 投稿者: 栄光の教育の特徴 (ID:cUI4oj3ZMts) 投稿日時:2023年 05月 19日 08:55
のひとつとして身体性の重視?、みたいなのがあったと思いますが、これを私は身体面の管理から精神面の管理へと繋げる手法だと解釈しています。
うつ病の治療で運動をするというのが効果的な治療ですが、身体面と精神面が繋がっている証拠ですよね。これは運動することで、意識が強制的に現実世界に向かう効果があるからでしょう。自分の精神世界に閉じこもるからこそ、悩みが生まれるわけです。まさしくそこにこそ、私の中での精神的な自由があるのです。
授業において身体を使った授業が重視されたり、中間体操や通学、遅刻禁止や6時間の強制的な拘束、これらは全て、強制的に身体を通じて精神を現実世界に縛らせる効果があります。仮にその結果成績が悪かったとしても、その効果だけはしっかりと機能します。
そしてその機能した効果は、大学受験の際にも役立ちます、精神が現実世界に縛られているからこそ、精神的な自由による「自由な発想」に向かうのではなく、現実世界のレールに乗れるのです。現実世界に自分が縛られているという自覚がないからこそなのです。
おそらくそちらの考える精神的な自由というのは、何かに縛られることのない「自由」な気風の中で、安心して先人の知恵に触れ、幅広い教養を積むことなのかと思います。その状態において、自分は自分の能力を超えて、過去の偉大な先人の思考の一部となり、それによって精神的な自由を達成しているのだと。
私からすればそれは「現実世界」という縛りに自分が縛られているということを自覚できていないだけなのです。精神的な自由を達成したと思っているのは、ただ自由を知らないだけなのです。それこそが、優れた管理教育が実践されている状態なのです。 -
【7215038】 投稿者: ご返信ありがとうございます。 (ID:wHZnO53G79s) 投稿日時:2023年 05月 19日 16:34
貴方のおっしゃる「精神的な自由」という定義については理解しました。
※仏教徒ですか・・・?
ただ、やはり
「栄光学園は精神的な自由を知らない、優れた管理教育」
という褒め風貶めについては、結論ありきの詭弁に過ぎないと思います。
貴方の土俵で議論すると、例えば座禅を取り入れている某男子校などは、
まさしく自分の精神世界に閉じこもる・悩みが生まれる⇨貴方のおっしゃる「精神的自由」
を得ることを目的として座禅に臨ませているでしょう。
そのような「精神的な自由」を謳う学校は他にもありますが、彼らは現実世界のレールに乗れていないでしょうか?
著しく管理教育から外れて浮世離れしているでしょうか?
また逆に、程度の差こそあれ、他の学校にも部活や通学や授業といった身体的拘束は当たり前のようにあります。
ここに現実世界への縛りはどの程度存在していますか?貴方の論法だと、日本の学校は全て「優れた管理教育」
を行っていませんでしょうか?
※むしろ中間体操を除いて、栄光は身体的拘束=現実世界への縛りは薄いです。
少々難解な言葉を使って結論ありきで言いくるめようとする議論、
それを詭弁といいます。
中間体操という極めて象徴的な1事例を論って、栄光学園=徹底した身体的拘束・管理教育
というイメージを喧伝するのは、もうやめましょう。
こうした掲示板なのでたしかに何を言ってもよいと思いますが、的の外れた詭弁は
関係者にとって心地よいものではありません。