女子美の中高大連携授業
西日本御三家
新制東京大学合格者数20傑登場回数
試験実施回数は1949~2007(1969は中止)の57回
◎国立 ○私立 ●公立
①○麻布高校(東京)---------55回 ★
②○開成高校(東京)---------54回 ★
③◎筑大附属高校(東京)-----52回 ★
④○灘高校(兵庫)-----------50回 ★ ←
⑤○武蔵高校(東京)---------49回
⑥◎筑大駒場高校(東京)-----47回 ★
_○栄光学園高校(神奈川)---47回 ★
⑧●浦和高校(埼玉)---------46回 ★
⑨○ラサール高校(鹿児島)---41回 ★ ←
⑩◎学大附属高校(東京)-----38回 ★
⑪●湘南高校(神奈川)-------37回
⑫●西高校(東京)-----------34回
⑫●戸山高校(東京)---------34回
⑭●千葉高校(千葉)---------32回
⑮○駒場東邦高校(東京)-----28回 ★
⑯○愛光学園高校(愛媛)-----27回 ★ ←
⑰○桐朋高校(東京)---------26回
⑱○久留米大附高校(福岡)---25回 ★
_●日比谷高校(東京)-------25回 ★
⑳●小石川高校(東京)-------22回
西日本でランキングしているのは、灘、ラ・サール、愛光のみで
東大寺学園、甲陽、洛南、洛星は入っていないぞ。
西日本御三家と呼ばれていた1980年代半ばのOBです。
当時 東大進学者が多かったのは、地域的な影響で 寮生活する生徒が多かったことに拠るものだと思います。
我々の時代、甲陽学院や洛星の残念組の大勢が 寮生として過ごしていましたが、6年間で東京志向へと変わっていくというケースがよくありました。
もともと関西においては、灘校以外の中高一貫校では京大志向が強く、進学先として東京に目を向ける機会が少なかったのです。
東大寺学園は お寺の境内にある小さな学校で、洛南も 超進学校としての名声が確立していない時期のことですね。
これらの学校の生徒の学力水準が劣っていたという証拠は殆どなく、優劣を問うことはあまり意味がないと考えています。
むしろ東大と京大のダブル受験が可能となった1987年度入試では、大きく勢力図が変わったことで、同等のポテンシャルにあることを示しましたから・・・・
洛星残念組で東京志向となった友人に聞いてみたところ、少し考えて
「中学から親元を離れて暮らしてきたことが大きいと思う」
と率直に教えてくれました。
寮生活は自立心を育み、少年が大人になるのを少しだけ後押ししていたのです。
灘校残念組でラ・サールに行った人達にも、同じような心理状況はあったろうと想像しています。
入江塾の受験ツアーの定番になっていたのも大きいですが、臥薪嘗胆組が都落ちして、ほろ苦い青春期を送っていたことに違いはありません。
受験少年院と揶揄されるような窮屈さは決してなかったけれど、一度 地方に下れば、否応なしに自分の生い立ちを見直す機会を突き付けられたのです。
西日本御三家という呼称には、そういった青春文化の匂いが宿っている気がするのです・・・・
現在の校舎は、耐震性とかで問題がありそうですか?
馴染みある学舎の顔つきが変わってしまうのは、少し寂しい気もします。
衣山キャンパスに移っ以降 ずうっと使われてきたので、十分役割は果たしました。
お疲れさまでした。




































