在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
灘や東大寺は高校からの方が入りやすい?
大阪の北摂地区に地盤がある類塾
今年から東大寺を前受けにして大阪公立文理学科志望の上位層が集団受験したところ21名合格。
彼らは全員公立第一志望でガチガチの難関私立向けの勉強をしているわけではないのにこれだけの合格者を輩出。
昨年は大阪星光高校に合格した類塾の27人中、23人が公立文理学科に進学、文理学科に落ちた3人は公立普通科に進学。
一言でいえば両校とも公立志望上位層(上位3%といった低い割合ではなくそれなりの割合)のすべり止めになっています。
東大寺に関しては定員40人で、恐らく150人程度の合格者が出ています。
超難関の灘高ですら補欠合格が大量に出ており(英進館 15→21)、恐らく80人程度の合格者が出ています。
中学入試とは違う難しさがあるので一概に比較するのは問題ですが。
こういった数字を見ると「灘や東大寺は高校からの方が入りやすい?」という気がします。
灘
定員40 受験者164 正規合格55(繰り上がり中 英進館 15→21)
東大寺
定員40 受験者227 正規合格136(繰り上がり中 馬渕 26→28)
>高校受験する家庭は冷静に子供の進路を考えて大学受験に向けて少しでも良好な環境を見極めます
>中学受験をする家庭のように闇雲に特定の学校を神格化して盲目的に突っ走る
すごい極論ですね(笑
「私立の中学に行かせる経済力のない保護者」
「中学受験に失敗し高校受験で捲土重来した子供の保護者」
のどちらかでしょうけど、そういうことを言うのはみじめなのでやめた方がよいかと。
私の知っている理Ⅲ・京医現役合格組は全て中学からの子です。
(文系はよく知らないので悪しからず)
なので、
灘中学からの上位組 > 灘高校から入学組 > 灘中学からの深海魚
なのかな?・・と勝手に思っています。
親子の受験と言われるだけあって、本人の実力が見えにくいのかな。
京医は知らんが理三は高入生もそこそこいますよ、何しろ全国から精鋭が集まるからでしょう。
たまに、進学実績が全て中学受験組と勘違いしてる人がいますね。
上の子は公立中学から公立高校へ進みました。
その中学校生活を経験した上で、下の子は私立中学を考えています。
私立中学から公立高校へ進める道があれば、我が家はそれが一番いいんですが。
実際は内申書があり、厳しいです。
1952年、灘高校から東大10人合格。このうち6人が旧制神戸一中の出身。彼らは本来、神戸一中から新制の神戸高校へ進む予定だった。
ところが1949年、県は高校入試を小学区制に変えたため、神戸高校へは学区外の居住者は入学できなくなった。東大合格6人組は学区外に住んでいたため、おのおのの学区にある県立高校に進まざるを得なくなった。彼らはそれを嫌がって灘に入学した。
このときの様子を神戸高校関係者が証言する。
『神戸高校々区に縁故を持たぬものは一斉に灘高校に参集したのです。これには別の理由、即ちできるだけ近くに、しかもなるだけ一カ所に集まって、時来たらば一中入学生全員再会して新しい学園を創り易くしようという話があったからです。その後一方では、一中の良き伝統の上に新しき神戸高校を築くために、他方は灘高校を創りだしたのです』(神戸高校<同窓会誌>9号)
「一斉に灘高校に参集した」生徒は、1946年旧制神戸一中入学組である。県下全域から集まった秀才がごろごろしていた。これについて灘高校の教師はこう認めている。
『うちの恩人は学区制ですよ』(<教育の森1>毎日新聞社)
また1952年の灘卒業生も次のように話す。
『学区制になって神戸一中から、できるやつがようけ来て刺戟になり、何か勉強せないかんという雰囲気になりましたね』(<五十周年記誌>77年)
1952年の灘の東大合格10人は、小学区制で行きたい高校に進めない成績上位者にとって魅力だった。60年代には関西、中四国から、70年代に入ると全国から優秀な生徒が集まった。
【東大合格盛衰史】より




































